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2017年2月 7日 (火)

恩田陸『蜜蜂と遠雷』感想メモ1

作家の卵を続けているうちに、他人の作品の構造が嫌でも見えるようになる。

資料を参考にしている部分とそうでない部分。

資料がうまく消化され、それが創作にうまく生かされていないと、異なる地層を見るような違和感がある。

そこが創作の難しいところで、歴史小説初体験のわたしの悩みでもある。消化するのが難しいとあって、資料そのものを損ないたくないために、引用という形で資料を用いる箇所が多くなった初稿であった。

恩田陸『蜜蜂と遠雷』はまだ3分の1程度読んだところなのだが、資料を参考にしていると思われる部分とそうでないオリジナルと思われる部分とに、異なる地層を見るような違和感がある。

本日読んだ最後の頁は162頁で、その頁の次の引用部分などは作者が表現に工夫した独自性の高い部分だろう。

「なんという迫力。/ 曲は後半のクライマックスに向かって突き進んでいた。きらびやかなメロディ、凄まじい和音の連打と加速。ピアノから、いや、ステージ上の大きな直方体の空間全体から、音の壁が飛び出してくるかのようだ。/ 観客は、その音圧に、飛び出してくる音楽に吹き飛ばされまいと、席で踏ん張って必死に耐えている。むろん、耐えているのは、驚異的な演奏を聴いている衝撃に対してであり、それは形容しがたい無類の快楽でもあるのだ。地響きにも似た分厚いトレモロが、正面から剛速球で顔を、眼を、全身を打ってくる。」を読んで、いくら形容しがたいからといって、ここまで物理的な表現を重ねられると、スポ根コミック『巨人の星』を連想してしまう。

生演奏を視聴する醍醐味は、演奏者の生活ぶりや肉体的強みと弱点、内面などが透けて見えるところである。

アルゲリッチはすばらしかったが、テレビで観るのとそれほど大きな違いを感じなかった。

中村紘子の指の体操のような(技術に終始したような)、内容の痩せた演奏には愕然とさせられた。テレビで視聴していたNHK『ピアノのおけいこ』はよかったし、舞台でのチャーミングなスピーチとよく似合っていた可愛らしい衣装は忘れがたいけれど。

中村紘子のエッセーがあれほど秀逸なのに演奏が無味乾燥に感じられたのはなぜだろう、とずっと考えている。もしかしたら、彼女には左派的、唯物論的考えかたがあって、そのせいだったのだろうか……と最近は考えたりしている。

思想が何もない人間など考えられず(凡人であっても、その時代と地域で支配的となっている思想の影響は受ける)、思想が曲の理解に影響しないはずはない。

テレビで観るよりずっと白人ぽく見えたフジ子・ヘミングの曲に対する深い解釈と瞑想的な趣も、生でないとわからなかった。それだけに、フジ子はソロ向きで、オーケストラとの共演には向かないのではないだろうか。中村紘子はその逆だろう。

以上は勿論、わたしの勝手な印象にすぎない。

いずれにしても、絵に描いたような天才はいないのだとわたしには感じられる。だからこそ、演奏家が、人間が、いとおしく、興味深い。

絵に描いた餅のようでない小説が読みたかったわたしは既に『蜜蜂と遠雷』に失望しつつあるが、文字通り絵にしたらいいかもしれない。

「ガラスの仮面」はストップしたままだが、美内すずえに漫画にして貰えば、ぴったりかもしれない。映画にもよさそうだ。

白髪三千丈式の馬鹿馬鹿しい表現や、ステレオタイプの登場人物たちと現実には存在しえないスーパー天才ぶりなども上手に肉づけされて、広告通りの名作になるかもしれない。

参考文献の記載がないので、作者がどのような本を参考にしたのかはわからないが、わたしが魅力を覚えたとしたら、そうした資料的部分である。

クラシック音楽の名エッセーは多い。わたしの印象に特に残っているのは、中村紘子『チャイコフスキー・コンクール―― ピアニストが聴く現代』(中央公論社、1991)や『ピアニストという蛮族がいる』(中央公論社、2009)、あるいは奥田昭則『母と神童―五嶋節物語』(小学館、1998)などである。

題名は失念したが、グレン・グルールドの評伝、吉田秀和のエッセーも記憶に残る。まだ読んでいない、青柳いづみこのエッセーを読んでみたい。

小説では何といっても、『ジャン・クリストフ』である。読み返そうとして、あまりの厚さ、内容の濃さに、すぐには読み返せないと思った。ブラヴァツキー「不思議なヴァイオリン」(『夢魔物語』所収。田中恵美子訳、竜王文庫、1997)も忘れられない。

「不思議なヴァイオリン」はピアノの名手であったブラヴァツキーが神秘主義的教訓を籠めた作品で、手っ取り早くいうと、悪魔に魂を売り渡したヴァイオリニストの話である。恐ろしい演奏の場面を描いた部分を147頁から引用してみると、

すみません、中断しますが、この記事は書きかけです。

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