歴史短編1のために #29 萬子媛遺愛の品々 ④御化粧袋、貝合わせ、鉄鉢
祐徳博物館での個人的なメモです。
御遺物メモの続き。
漆に蒔絵[まきえ]が施されたシックな調度は婚礼調度だろう。鎌倉時代くらいを起点とした婚礼調度は、江戸時代初期には道具類が体系化され、豪華なものになっていたという。
印籠
室町時代に明から輸入された長方形の小型の容器には当初は印を入れたらしいが、江戸時代には薬入れやアクセサリーとして流行ったとか。
御化粧袋
お化粧袋は赤地に牡丹模様、それに市松模様のバンドがついていて、現代感覚の目で見ても洒落ている。
以下のノートは、谷田有史・村田孝子『江戸時代の流行と美意識 装いの文化史』(三樹書房、2015)を読みながらとったものだが、引用する。本の監修者である谷田氏はたばこと塩の博物館学芸員、村田氏はポーラ文化研究所シニア研究員。
2015年10月31日 (土)
歴史短編1のために #18 江戸時代のおしゃれを作り上げたもの
https://elder.tea-nifty.com/blog/2015/10/18-8d71.html
江戸時代には多くの育児書が書かれていたと書いたが、美容読本なども書かれ、読まれていた。
房州砂に竜脳や丁子、白檀などの香料で香りづけした歯磨き粉、石鹸の代わりの糠や粗い粉。糠を銭湯で売っている様子が浮世絵に描かれているらしい。糠はタンパク質や脂肪を含んでいて、天然のクリームとなった。糠袋は母が時々使っていたが、江戸時代からあったのか……。
萬子媛は江戸時代初期から中期にかかるくらいの人なので(1625年 -
1705年)、初期に注目して本から拾えば、洗顔のあとには化粧水。花露屋から発売されていた「花の露」が有名だった。これは天和2年(1682)に書かれた井原西鶴『好色一代男』(巻二)に出てくるらしい。
この花露屋は寛永の末に江戸の医師がつくった、江戸初期から明治時代まで続いた化粧品店だったという。萬子媛が二十歳のころには創業していたというわけか。おしゃれなネーミングだなあ。萬子媛も使ったのかしら、花の露。
お歯黒は『源氏物語』『堤中納言物語』にも書かれた日本で一番古い化粧とされているという。お歯黒は歯槽膿漏、虫歯予防に役立っていたそうだ。
井原西鶴『好色一代男』(巻二)に確かに、花の露屋の五郎吉という香具売の少年が登場する。
つゞきて桐[きり]の鋏箱[はさみばこ]の上に小帳[こちょう]・十露盤[そろばん]をかさね、利口[りこう]さう成男[をとこの]行は、人の目に立ぬやうにこしらえて、みるほどうつくしき風情[ぜい]也。「是なん香具賣[かうぐうり]」と申。こゝろうつりてよび返し、沈香[ぢんかう]など入[いる]のよし申て、調[とゝのえ]て、とやかく隙[ひま]の入こそ笑[をか]し。「御用[ごよう]もあらば重而」と立かへる程[ほど]に、宿[やど]もとをきけば、「芝神明[しばしんめい]の前[まへ]、花の露屋[つゆや]の五郎吉、親かた十左衛門」とぞ申。(麻生磯次・冨士昭雄『対訳西鶴全集 一 好色一代男』明治書院、昭和58新版、64頁)
人目に立たないこしらえながら美しい風情の少年は、香具だけを売っていたのではないようだ。
貝合わせ
貝櫃(貝合わせを入れる箱)
「上流社会の嫁入り道具中必需品であった」と説明があった。
平安時代を連想させる美しい貝合わせ。実物が見られて、感激した。貝殻の内側に金箔が貼られ、絵が描かれていて、美しい。
ウィキペディア「貝合わせ」
貝合わせ(かいあわせ)は、平安時代から伝わる日本の遊び。本来の貝合わせは、合わせものの一つとして貝殻の色合いや形の美しさ、珍しさを競ったり、その貝を題材にした歌を詠んでその優劣を競い合ったりする貴族たちの遊びであった。
江戸時代の貝合わせ
江戸時代の貝合わせは、内側を蒔絵や金箔で装飾されたハマグリの貝殻を使用する。ハマグリなどの二枚貝は、対となる貝殻としか組み合わせることができないので、裏返した貝殻のペアを選ぶようにして遊んだ。
また、対になる貝を違えないところから夫婦和合の象徴として、公家や大名家の嫁入り道具の美しい貝桶や貝が作られた。貝の内側に描かれるのは自然の風物や土佐一門風の公家の男女が多く、対になる貝には同じく対になる絵が描かれた。美しく装飾された合貝を納めた貝桶は八角形の形をしており二個一対であった。大名家の姫の婚礼調度の中で最も重要な意味を持ち、婚礼行列の際には先頭で運ばれた。婚礼行列が婚家に到着すると、まず初めに貝桶を新婦側から婚家側に引き渡す「貝桶渡し」の儀式が行われた。貝桶渡しは家老などの重臣が担当し、大名家の婚礼に置いて重要な儀式であった。
金箔が使われている。
ウィキペディアの執筆者. “貝合わせ”. ウィキペディア日本語版. 2016-08-06. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%B2%9D%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B&oldid=60679944, (参照 2016-08-06).
雁[かり]が音の琴
「万媛遺愛の名琴で、黄金を以て雁一双、家紋並に唐詩和歌を象眼[ぞうがん]した鹿島鍋島家の家宝で累[るい]代公夫人に伝わり(略)」と説明があった。
小説を書いているときに、気品の高い女性が筝を弾いている姿が目に浮かび、その場面を取り入れたのだが、萬子媛は本当に箏を弾かれていたようである。ちなみに琴と普段呼ばれている楽器は音楽専門サイトによると筝(琴には柱がない)、小説にはどちらの表現を使うかで迷う。
ウィキペディア「筝」
一般的に、「箏(こと)」と呼ばれ、「琴(きん)」の字を当てることもあるが、「箏」と「琴」は別の楽器である。最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴は柱が無く弦を押さえる場所で音程を決める。ただし、箏の柱(箏の駒)は「琴柱」とするのが一般的で(商品名も琴柱)、箏の台は琴台(きんだい)と必ず琴の字を使う。
ウィキペディアの執筆者. “箏”. ウィキペディア日本語版. 2016-04-15. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AE%8F&oldid=59361089, (参照 2016-04-15).
藩主 御火鉢 参勤交代用湯沸[わかし]
参勤交代時に用いられたという湯沸が興味深かった。
御茶道具
紺地に龍が描かれているものがあった。
鉄鉢
鉄鉢は「てっぱつ」と読むようだ。
托鉢(タクハツ)僧が信者から米などを受ける。鉄製のはち。(『新明解国語辞典 第五版(特装版)』三省堂、1999)
出家前と後の遺愛品が混じって展示されていたので、僧侶時代の遺愛品であることに気づくとハッとしたが(御袈裟)、鉄鉢は辞書を引かなければ、僧侶時代のものであることに気づかなかっただろう。
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