メーテルリンクの心霊主義に重点を置いた神智学批判と、風評の原因
返却日が迫っているので、モーリス・メーテルリンク(鷲尾浩訳)『メーテルリンク全集 第2巻(復刻版)』(本の友社、1989)を読んでおかなければならないと思い、無理をして大体読んだ。
モーリス・メーテルリンク(Maurice Maeterlinck, 1862 - 1949)は童話劇『青い鳥(L'Oiseau bleu)』で有名なベルギーの作家である。1911年にノーベル文学賞を受賞した。
『メーテルリンク全集 第2巻(復刻版)』は大正10年4月に冬夏社から発行された『マーテルリンク全集――第二巻』の復刻版で、旧字体なのである。「山道」「死後の生活」「蜜蜂の生活」が収録されている。
「蜜蜂の生活」はモーリス・メーテルリンク(山下和夫・橋本綱訳)『蜜蜂の生活』(工作舎、2000)で読み、これは形而上学的な考察を交えた蜜蜂の生態観察記で、大層面白かった。
「死後の生活」はモーリス・メーテルリンク(山崎剛訳)『死後の存続』(めるくまーる、2004)と同じ作品であるようだ。大正時代の訳は美しいが、旧字体に閉口し、頭に入ってきにくいので、できるならこちらの新しい訳で読みたかった。
カトリック教禁書目録に指定された問題作である。残念ながら、よく利用する県立にも市立にも置かれていなかった。
そういうわけで復刻版で読んだ「死後の生活」だが、ブラヴァツキーの神智学説に対する批判――というより、もっと広い括りの東洋思想を含む神秘主義全般に対しての批判というべきかもしれない――が目に留まった。
ごく自然に輪廻転生とか因果応報といった仏教語に子供のころから馴染んできた日本人と、西洋人との違いを感じざるをえなかった。
神智学ウィキ(Theosophy Wiki)でメーテルリンクを閲覧していたので、メーテルリンクはブラヴァツキーと後の神智学者たちの諸作品に精通しており、彼はそれらに対して評価し、また批判を行った――という予備知識がわたしにはあった。
メーテルリンクには多くの著作があり、わたしが読んだのはその中の一部にすぎない。だから、これを書いた当時、メーテルリンクがどの程度ブラヴァツキーと後の神智学者たちの著作を読んでいたのかはわからない。
「死後の生活」を読んだ限りでは、メーテルリンクが神智学的思考法や哲学体系に精通していたようにはとても思えない。上手く理解できないまま、恣意的に拾い読みして自己流の解釈や意味づけを行ったにすぎないような印象を受ける。
ネット検索でメーテルリンクがSPR(心霊現象研究協会)フランス支部のメンバーだったとの情報に接したが、ソースの確認ができなかった。確かにウィリアム・ジェームズ、ホジソンの実験をメーテルリンクは詳しく紹介していて、神智学協会に対するような距離は感じられなかったので、そうかなとは思っていた。
メーテルリンクの真正面から死を見つめる、率直で真摯な姿勢には好感が持てる。例えば、次のような考察にはハッとさせられる(引用の旧字体は新字体に改めた)。
それでは吾々は、死と、事件の恐怖にとらわれず、想像の恐怖から離脱して、それのみの、あるが儘の姿で眺めようではないか。吾々は先ずそれに先立ち、そしてそれに属しない一切のものから免れよう。吾々は最後の病気の苦悩を死に属するものに数える。それは正当でない、病気と病気の果に来るものとの間には何等共通点は無い。病気はその一部となすもので、死の一部となすものではない。(メーテルリンク,鷲尾訳,1989,死後の生活p.10)
死の考察は安楽死の問題にも通ずるような内容を通り、次の小結論へと至る。
いつかは生命が、より賢明になって、時が来れば、自分が自分の限界に達したのを知り、あたかも夕べが自分の勤めの終ったことを知って黙って引きさがる様に、黙って別離[わか]れ行く時が来るであろう。一度医師や病人が彼等の知るべきことを知ったならば、何故に死の来着が眠りのそれの様に喜ばしいものであってはならないのかということの自然科学的乃至形而上学的理由は毫も無いことになろう。おそらく、他に心を煩わすべき何事も無かろうからして最も深い法悦やより美しい夢が死を囲繞して見られるであろうとさへ考えられる。兎に角、か様に死をしてそれに先立つものを振り捨てさせた上は、それを恐怖なくして眺めて、後に来るものの道を照らすことがより容易であろう。(メーテルリンク,鷲尾訳,1989,死後の生活pp.17-18)
このあと、メーテルリンクは埋葬の形を考察し、火葬と土葬の違いが死の姿をも違うものにしてしまうことを確認して、次の小結論へと至る。
其故に、死に特有な恐怖というものは一つしかない。それはそれが吾々を投げ込むところの未知の世界の恐怖である。それに面するに際しては、吾々は時を移さず吾々の心から既成宗教が吾々の心に残しておいた一切を取り除こうではないか。(メーテルリンク,鷲尾訳,1989,死後の生活pp.20-21)
メーテルリンクはパスカルを批判し、このことをもってキリスト教を性急に退ける。キリスト教のみならず既成宗教を束にして退けたつもりらしい。そして、わたしたちがやがては行くべく定められている未知の世界が恐ろしいものかどうかを知ることに、四つの解決策があるという。
諸宗教の圏外に、これに対して四つの解決がある。それは全くの絶滅、今日通りの意識を以ての生存、何等の意識なき生存、および最後に、偏在的意識における、もしくは吾等が此の世界で所有するそれとは異った意識をもっての生存である。(メーテルリンク,鷲尾訳,1989,死後の生活p.30)
しかし、メーテルリンクは意識と無限を考察しながら、支離滅裂になっていくようにわたしには思われた。
考察が死を超えて拡がったとき、依拠していたSPRの心霊主義的世界観と、自己流の形而上学的、思弁的な思索、また切なる願望とがメーテルリンクの頭の中で交じり合い、渦巻き、収拾がつかないものとなっているにも拘らず、解決を急ぎ、結論づけようとする。
最後の問題に入る前に、彼は接神学(神智学)と新交霊学(心霊学)を研究してみるという。
「第四章 接神学上の仮説」、及び「第五章 新交霊術上の仮説――霊怪」「第六章 死者との交通」「第七章 十字通信」「第八章 再生」「第九章 吾等の意識の運命」「第十章 無限の二面」「第十一章 吾等の無限の中の吾等の運命」「第十二章 結論」がそれである。
神智学には第四章の7ページだけが割かれている。輪廻説に神智学説を代表させ、アンニイ・ベザント(アニー・ベザント)に神智学者を代表させて批判し、神智学上の仮説は「感傷的な論議にすぎない」と批判し、退けている。
それに対して、結論を含む140ページがSPR(心霊現象研究協会)の説に沿った考察となっている。
メーテルリンクは断言する。
新接神学の注目すべき宣伝者アンニイ・ベザント夫人の次の言葉は尤もである。
『更生説ほど偉大な智慧の祖先を背後に有する学説は無い。最も賢明なる人間の意見をか程に味方につけている物はない。マックス、ミュラが行った様に、人道の最大の哲学達がそれ程完全に一致している学説はない。』
これは皆全く真実である。けれども今日の吾等の疑り深い信仰心を征服する為には他の証拠を要する。私は近代新接神学者達の主な著作を探したが一としてそれを発見しなかった。彼等はただ最も漠とした独断的言説を繰返すに止まるのである。彼等の最大の言説主要なそして、容赦なく言えば、彼等が依拠する唯一つの言説は感情的なものにすぎない。(メーテルリンク,鷲尾訳,1989,死後の生活p.56)
SPRのメンバーであったような人々がどれほど執拗に証拠を求めたかが、このメーテルリンクの言葉だけからしても察するに余りある。
神智学協会の目的は次のように掲げられている。
1. 人種、肌の色、宗教の差別をせず、人類の普遍的同胞団の核を作ること。
2. アーリア人及び他の民族の聖典の研究、世界の宗教及び科学の研究を増進すること。及び古代アジアの文献、即ちバラモン、仏教、ゾロアスターの哲学の重要性を証明すること。
3. あらゆる面で、自然の秘められた神秘を探究し、また特に人間に潜在するサイキック及び霊的な能力を研究すること。
(H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版〈1987初版〉、p.48)
3 のような目的があったにせよ、ブラヴァツキーが降霊会を開いて心霊現象の本質を解き明かそうとしたり、アニー・ベザントとリードビーターが過度なまでにサイキック及び霊的な研究に取り組んだのも、彼らの要求に追い立てられた一面があっただろうことは容易に考えられる。
第四章の章末に註がある。ホジソン・リポートの虚偽性は1977年にSPRの別のメンバー、ヴァーノン・ハリソンによって暴かれたのだが、当時の風評がどのようなものであったかを物語っていると思われるので、引用しておきたい。
註――新接神学の運動およびその最初の効果に関する適確な真実を知ろうという読者は、心霊研究会によって印度に特派されたホヂソン博士が公平な、厳密な探究の後に発表した驚くべき報告を研究して見なければならぬ。その中で博士はかの有名なブラヴアトスキイ夫人や新接神学派全体の明白なそして縷々稚劣な欺瞞を、手際よく、暴露している。(研究報告第三巻 二○一頁より四○○頁まで。接神学上の諸現象に関するホヂソンの報告)
(メーテルリンク,鷲尾訳,1989,死後の生活pp.60-61)
ところで、ブラヴァツキーの神智学論文は、漠とした、感情的な独断的言説なのだろうか? 彼女はH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)のはしがきで述べている。
今、しようとしていることは、最古の教義を集めて、一つの調和のとれた一貫した全体としてまとめることである。筆者が先輩達よりも有利な唯一の点は、個人的な推論や学説をたてる必要がないということである。というのは、この著作は著者自身がもっと進んだ学徒に教えられたことの一部であって、筆者自身の研究と観察による追加はごく僅かだからである。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,はしがきp.138)
証拠をせがまれたので、「もっと進んだ学徒」からの手紙を公開したら、ホジソン・レポートのねたにされてしまったというわけだろう。
科学音痴のわたしだが、科学番組を観るのは好きだ。『シークレット・ドクトリン』に出てくる説を連想させる新説に出合える期待があって、楽しいからである。
『シークレット・ドクトリン』が1888年に書かれたとはとても思えない(それに比べて、当時のSPRの心霊論議はさすがに時代を感じさせる)。最近ではダークマターの番組を視聴して、『シークレット・ドクトリン』の記述を思い浮かべずにはいられなかった。
きりのよいところで区切ることのできる光と闇に関する解説があったので、引用してみたいと思う。この文章が漠とした、感情的な独断的言説なのかどうかご判断いただきたい。
‟ 暗黒は父・母であり、光は息子 ”と東洋の古い諺はいう。光はその原因となる源から来るという以外は想像もできない。そして原初の光の場合には理性や論理による説明を強く要求されても、その源はわからないので、知的観点から、私達は“ 闇 ”と呼んでいる。借りものの、どこからか映された光はその源が何であっても一時的なマーヤー的な性格のものでしかあり得ない。だから闇は光の源が現れたり、消えたりする永遠の母体である。この私達の世界では闇を光にするのに、闇に加えるものは何もなく、光を闇にするのに、光に加えるものは何もない。闇と光とは交替のできるものであり、科学的に光は闇の一つの現れ方であり、逆も真である。従って、両方とも同じ本体の現象である。この本体は科学的な心にとっては絶対的闇であり、一般的神秘家の知覚力には灰色の薄明かりにしかすぎない。だが、イニシエートの霊的な眼には絶対光である。闇に輝く光をどの程度まで洞察するかは、私達の視力如何による。私達にとっての光は、ある昆虫にとっては闇であり、透視家の眼は普通の眼には暗黒としか見えない所で光を見る。全宇宙が眠りにおちた時、つまり原初の唯一の元素に戻った時には、光輝の中心も、光を認める眼もなかった。その闇が必然的に無際限の一切を満たしていた。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,スタンザⅠpp.245-246)
『シークレット・ドクトリン』では、一太陽プララヤ後の地球惑星体系と其のまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけが扱われている。
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