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2016年8月 8日 (月)

カロッサはどこで神智学、アントロポゾフィーに出合ったのか?

記事としては断片的な、メモの更新が多くなって、申し訳ない。以下は過去記事からの引用である。

  • 2016年6月22日 (水)
    神智学をさりげなく受容した知識人たち――カロッサ、ハッチ判事 ①ハンス・カロッサ
    https://elder.tea-nifty.com/blog/2016/06/post-df1c.html
    イタリア神智学協会のオフィシャルサイトによると、ポール・ゴーギャン、ピエト・モンドリアン、ワシリー・カンディンスキー、パウル・クレーは神智学の影響を受けた画家たちであるが、カロッサのようにさりげなく神智学を受容していた芸術家もいたに違いない。
  • 2016年6月 1日 (水)
    神智学の影響を受けたボームのオズ・シリーズ、メーテルリンク『青い鳥』、タブッキ再び
    https://elder.tea-nifty.com/blog/2016/06/post-778c.html
    アインシュタインもそうだが、第二次大戦中ナチスの影響下にあった国々では神智学協会のメンバーは迫害を受けたようだから(共産圏でもそうだろう)、神智学の影響を受けた人々が出てきにくいという事情がありそうである。

カロッサはどこで神智学、アントロポゾフィーに出合ったのだろうと思っていた。

今日、ハンス・カロッサ(相良憲一・浜中春訳)『ハンス・カロッサ全集 第4巻』(臨川書店、1997)の解説を読んでいると、次のような箇所に目が留まった。第4巻に収録されている作品は、「美しい惑いの年」「学位授与」「ミュンヒェンへの移住」である。

世紀転換期のミュンヘンの芸術界が持っていた独特の雰囲気も、作品のそこここから伝わって来る。ちなみにこの時期はちょうどミュンヒェンが最も平穏で幸福だったと言われる黄金時代、「摂政宮時代」と重なる。ミュンヒェンは、ルートヴィヒ一世、二世という熱心な芸術庇護者の君主のもとで「イーゼル河畔のアテネ」の異名を持つほどの芸術の都として栄えていたが、リベラルで平民的な摂政ルイトポルトも芸術に寛容な関心を示し、ミュンヒェンにはドイツ国内だけでなくヨーロッパ各地からも芸術家が集まってきた。著名な人物だけでも、トーマス・マン、リルケ、イプセン、カンディンスキー、クレーなど、枚挙にいとまがない。(カロッサ,相良・浜中訳,1997,解説p.252)

カンディンスキー、クレーは神智学の影響を受けた画家たちとしてイタリア神智学協会のオフィシャルサイトに名があった。カロッサは、芸術家たちがたむろしたというミュンヒェンの酒場やカフェで、神智学の影響を受けた芸術家たちから神智学、アントロポゾフィーを知ったのではないだろうか。

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