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2016年8月21日 (日)

歴史短編1のために #28 萬子媛遺愛の品々 ➂金書金剛般若波羅蜜経

ウィキペディア「入定」によると、入定とは「僧が、生死の境を超え弥勒出世の時まで衆生救済を目的とする」行為である(ウィキペディアの執筆者. “入定”. ウィキペディア日本語版. 2016-03-26. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%85%A5%E5%AE%9A&oldid=59110228, (参照 2016-08-21). )。

であるならば、入定を果たした萬子媛は、稲荷神社という大衆的な形式を衆生救済の場として最大限に活用していらっしゃるのだと思われる。

御遺物メモの続き。

金書金剛般若波羅蜜経
金字で書写された「金剛般若波羅蜜経」。
「臨済禅、黄檗禅 公式サイト」によると、臨済宗・黄檗宗でよく誦まれるお経には次のようなものがある(他にも、各派本山のご開山の遺誡や和讃なども含め、多くのお経が誦まれるという)。

  • 開経偈
  • 懺悔文
  • 三帰戒
  • 摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)
  • 消災妙吉祥神呪(消災呪)
  • 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五(観音経)
  • 大悲円満無礙神呪(大悲呪)
  • 開甘露門(施餓鬼)
  • 仏頂尊勝陀羅尼
  • 金剛般若波羅蜜経(金剛経)
  • 大仏頂万行首楞厳神呪(楞厳呪)
  • 延命十句観音経
  • 四弘誓願文
  • 舎利礼文
  • 白隠禅師坐禅和讃

このうち、経名を含めてわずか276文字の『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経) (まかはんにゃはらみたしんぎょう)』は宗派を問わず広く誦まれるお経で、仏さまの教えのエッセンスともいえ、この題目は「偉大なる真理を自覚する肝心な教え」(山田無文『般若心経』)とも訳されるという。

『金剛般若波羅蜜経(金剛経) (こんごうはんにゃはらみきょう)』は般若経典の一つで、『般若心経』についで広く流布しているもの。禅宗では特に重んじられる経典で、午課で一日半分ずつ誦むのだという。(2016/8/20アクセス)

博物館で見学したときに見た、この般若経典のことが記憶に残ったためか、見学後に神楽殿で30分間家内安全の御祈願をしていただいていたときのことだった。

わたしたち家族は長椅子に座っていたのだが、その背後に萬子媛を中心に見えない世界の大勢の方々――ボランティア集団と呼びたくなる統一感のある方々――のいらっしゃるのがわかった(お仕事の一環のような感じであった)。

映像的には内的鏡にはほんのり映ったような気がするだけなのだが、なぜかそうした方々の挙動や心の動き、そして萬子媛のオーラは――色彩より熱として――鮮明に感じられた。

過去記事で書いたように、こうした場所での30分という時間は半端ではなく、萬子媛の臨在を感じていながらふと緊張感の途切れる瞬間が何度もあり、あれこれ雑念が浮かんでしまった。

心の中でつぶやいたことは筒抜けで、それに対する萬子媛やその近くにいる方々の反応が伝わってきた瞬間が何度かあった(すなわち願い事も雑念も筒抜けであるから、参拝するときは願い事の整理ときよらかな心持ちが肝要)。

博物館で見た般若経典のことが頭をよぎり、わたしはふと「波羅蜜多」と2回心の中でつぶやいた。わたしが見たのは『金剛般若波羅蜜経』だったのだが、つぶやきの対象は『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)』の方だった。

つぶやいたとき、萬子媛から、すぐさま動揺の気配が伝わってきて、精妙な情感が音楽のように流れてきた。郷愁の交じった、きよらかな心の動きが感じられた。こうした心の動きという点では、生きている人間もあの世の方々も変わらない。

高級霊は自己管理能力に優れていることを感じさせるが(幼い頃からわたしを見守っていてくださっている方々もそうである)、情感という点ではわたしが知っているこの世の誰よりもはるかに豊かで、香り高い。心の動きのえもいわれぬ香しさのために、蜜蜂が花に惹かれるようにわたしは萬子媛に惹かれるのだ。

萬子媛はもっと聴こうとするかのように、こちらへ一心に注意を傾けておられるのがわかった。

『金剛般若波羅蜜経』は御遺物にあったのだから愛誦なさっていたのは当然のこととして、『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)』という言葉に強く反応されたのは、それだけ生前、般若心経を愛誦なさっていたからだろう。

神様として祀られるようになった萬子媛は、前述したように、生死の境を超えて衆生救済を目的とする入定を果たした方らしく、稲荷神社という大衆的な形式を衆生救済の場として最大限に活用していらっしゃるように思われる。

しかしながら、萬子媛の生前は大名の奥方でありながら出家し、晩年の20年を禅院を主宰して入定まで行った僧侶だったのだ。

わたしが何気なくつぶやいた「波羅蜜多」という言葉に、それが甘露か何かであるかのように反応なさった萬子媛、否、祐徳院様がどれほど僧侶に徹した方だったのかということが自ずと想像された。

わたしは萬子媛が愛誦し指針とされたに違いない『般若心経』を暗記することにした。

ちなみに、このあとでマントラム(マントラ)を意図的につぶやいてみたのだが、こちらのほうは反応が感じられなかった。萬子媛を囲むように控えている大勢の方々に幾分白けたような気配さえ漂ったところからすると、マントラムは意味不明な言葉と受け取られたのだと思われる。

現代人と変わりないように感じられるのに、やはり江戸時代に生きた方々ということなのだろうか。現代人であれば、マントラムの内容はわからなくとも、マントラムがインド由来の聖なる言葉であることぐらいは察しがつくのが普通だろうから。

過去記事で紹介したエルザ・バーカー(宮内もとこ訳)『死者Xから来た手紙―友よ、死を恐れるな』(同朋社、1996)には、次のようなことが書かれている。

物質界と霊界が交流するとき、物質界にいるきみたちは、霊界にいるわれわれがなんでも知っていると思いがちだ。きみたちは、われわれが占い師のように未来を予言し、地球の裏側でおきていることを教えてくれると思っている。まれにできることもあるが、ふつうわれわれにはそういうことはできない。(バーカー,宮内訳,1996,p.25) 

あの方々の端然とした統一感のとれているところが、地上界のためにボランティアしている霊界の方々の特徴なのか、かつて江戸時代に生きた方々ならではの特徴なのか、わたしにはわからない。

萬子媛の清麗な雰囲気こそは、高級霊のしるしだとわたしは考えている。

御祈願が終わりかけるころ、萬子媛は近くに控えている方々に促されるようにして、どこかへ去って行かれた。全員がさーっと……一斉に気配が消えた。『竹取物語』の中の昇天するかぐや姫を連想してしまった。上方へ消えて行かれた気がしたのだ。

そういえば、石壁社で萬子媛に語りかける以前に参拝したとき、高いところから夫を見てハッと警戒した方々がいたのを感じたことがあった。

上空を漂いながら警備している天上的な女性たち――といった映像を、わたしは内的鏡で見たように思った。そのときはその場面が何を意味するのかがわからなかった。あのころはまだ義祖父が夫に憑依していたから、そのことが関係していたのではないだろうか。

以前であれば、神社に行くのを嫌がった夫だった。ところが、義祖父が成仏した後の参拝であった今回は何のこだわりもなく一緒に出かけて、それが自然な行動と映った。萬子媛を描いた短編小説を気に入ってくれた夫はむしろ今回の参拝を楽しみにしていたほどだった。変われば変わるものである。改善されたいくつかの傾向を夫に認めるとき、義祖父の憑依と成仏はわたしの妄想ではなかったと確信させるのだ(義祖父の成仏については拙神秘主義的エッセーブログの 47 及び 60 を参照されたい)。

萬子媛を囲むように控えていた方々の中には、あのとき上空からの警備を担当していた方々もおられたに違いない(もしかしたらこのときも警備中で、神楽殿にはおられなかったのかもしれないが)。

あの方々の行動から推測すれば、地上界での一日の仕事が終われば全員があの世へ帰宅なさるのだろう。まさか、あの世の方々が地上界の人間と同じようなスケジュールで行動なさっているなど想像もしなかった。

前掲書には次のようなことも書かれている。

 大師を信じることを恐れてはいけない。大師は最高の力を手にした人だ。彼らは、肉体をもっていてもいなくても、こちらの世界と地上を意志の力で自由に行き来できるのだ。
 だがわたしは、彼らが二つの世界を行き来する方法を世間に教えるつもりはない。大師以外の者がその方法を試そうとすれば、行ったきり戻れなくなる恐れがあるからだ。知は力なり。それは事実だが、ある種の力は、それに見合うだけの英知をもたない者が行使すると、危険な事態を招く場合がある。〔……〕
 こちらの世界でわたしを指導している師は大師である。
 地上の世界に教授より地位の低い教師がいるのと同じで、こちらの世界には大師でない教師もいる。〔……〕
 わたしは、死と呼ばれる変化のあとで迎える生の実態を人々に伝えようとしているわけだが、師はその試みを認めてくれていると言ってよいと思う。もし師が反対するなら、わたしはその卓越した英知に従うしかない。
(バーカー,宮内訳,1996,pp..203-204) 

萬子媛や三浦関造先生がどのような地位にある教師なのか、わたしには知りようがない。

ただ、萬子媛にしても三浦先生にしても、生前から神通力をお持ちだった。現在はどちらも肉体を持っておられない。そして、お二人が二つの世界を自由に行き来なさっていることは間違いのないところだ。

わたしは前世から三浦先生とはつながりがあったと感じている。だからこそ、先生のヴィジョンを見たのだと思っている。

萬子媛にはそのような縁を感じたことはない。だが、萬子媛を知り、作品に描くことは、この世に降りてくるときの計画にあったのではないかと思っている。だから、駄作のままではだめだとの衝動を覚える。

般若心経を暗記するのによさそうな動画を見つけた。

黄檗宗のお経の読み方は違うようなので、こちらで覚えるべきか?

リグヴェーダ、ヤジュルヴェーダ、サーマヴェーダの三種類の詠唱法を紹介した以下の動画を視聴すると、哲学的な般若心経の本質を理解できるような気がしてくる。 

過去記事で紹介した以下の動画では、般若心経がすばらしい仏教音楽となっている。台湾仏教だろうか。

般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)
中村 元 (翻訳),    紀野 一義 (翻訳)
出版社: 岩波書店; 改版 (1960/7/25)

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