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2016年6月 9日 (木)

20世紀前半のイタリアで神智学・アントロポゾフィー運動。ガブリエラ・ミストラル。ジブラン。(加筆あり)

※加筆部分は青字

過去記事で書いたオープンアクセス可能な吉永進一氏の論文は、今後時間を見つけながら閲覧していくことにしたい(読んだら感想をアップする)。

神智学協会の影響を受けていたことがわかった「青い鳥」のメーテルリンク、「不思議の国のアリス」のルイス・キャロル、「オズの魔法使い」のボームについて調べていたときに、このことも過去記事で書いたが、海外の論文を偶然閲覧した。

Marco Pasi、Joscelyn Godwin英訳、Theosophy and Anthroposophy in Italy during the First Half of the Twentieth Century (20世紀前半のイタリアにおける神智学とアントロポゾフィー)というタイトルの論文である。

論文は神智学の前史時代から説き起こされていて、ああそうだった、イタリアはルネサンスを起こした国だった――とわたしは再認識させられた。論文の結論ではアントニオ・タブッキの小説『インド夜想曲』が採り上げられている。

戦後もイタリア国内では神智学・アントロポゾフィー(人智学)運動はいろいろな形で連続して存在しており、それは今日まで続いているそうだが、20世紀の最初の30年のような社会と文化への顕著な影響力を継続させることはできなかったという。

しかし、『インド夜想曲』の中の、アディヤールの神智学協会国際本部で語り手が会長と会話する章のあいまいで魅惑的な雰囲気こそが、神智学協会・アントロポゾフィーの運動がイタリアで花開いた20世紀の最初の30年にどれくらい浸透したかを物語っていると述べられている。

イタリア神智学協会のオフィシャルサイトによると、現在、イタリア神智学協会はアオスタ、フィレンツェ、ミラノ、ぺルージャ、ローマ、トリノ、トリエステ、ウーディネ、ヴィチェンツァに存在する。

論文の執筆者 Marco Pasi 氏が神智学協会・アントロポゾフィーに対立する立場の人であるのか、協会に属する人なのかがわからないくらい、論文は資料を元に客観的な視点で描かれている。

竜王会の会長に就任された岩間先生の『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』(学苑社,2008)を読んだときも、綿密な取材と資料に基づいた客観的な視点で書かれていると思った。

このバランス感覚を保持した純一、客観的な視点こそ、アカデミックな学者の仕事のあかしではないだろうか。

前掲のお二人とは対照的に、わたしが読んだ吉永進一氏の論文はあまりにも偏向した姿勢と、資料の読解力を欠いた憶測で成り立っているという印象で、助成を受けている研究者の論文とも思えなかった。

吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」
『宗教研究』84 巻2 輯(2010年)
ci.nii.ac.jp/naid/110007701175  (2015/12/27 アクセス)

わが国ではノーベル文学賞というと、村上春樹のことばかりで違和感があるが、タブッキはノーベル文学賞をとるかもしれないといわれていた。

タブッキが亡くなったときに娘が「タブッキが死んでしまった! 死んだらノーベル文学賞は貰えないよね」と悔しがっているのを見、わたしは初めてタブッキを読んでみようと思ったのだった。娘にタブッキを教わったのだ。

タブッキについては当ブログに①~④までノートしており、今後もそれは続ける予定だが、萬子媛の江戸時代に戻る前に、これまでのノートをエッセーブログに入れておこうと思う。

イタリア神智学協会のオフィシャルサイトを閲覧し、「著名な神智学者の名前の一部」という項目を閲覧したところでは、タブッキが神智学協会のメンバーであったかどうかはわからなかった。

鈴木大拙の名があり、最近奥さんだけでなく、鈴木本人も神智学協会のメンバーだとわかったという報告がなされていた。1年ごとの更新だし、協会には誰がメンバーだったかどうかを詮索する習慣もないので、何かのきっかけでわからない限り、メンバーだったかどうかの確認は難しい。

ドイツの小説家カロッサの小説には神智学、アントロポゾフィーに言及した箇所があるのだが、カロッサのこうした面について書いた文章をこれまでに読んだことはない。

文学の分野は、わたしのような文学好きの人間がコツコツ堀り起こしていくしかないのだろう。

「ラテンアメリカの母」と敬愛されたチリの国民的詩人で外交官だったガブリエラ・ミストラルは、チリの神智学協会の形成期にメンバーだったのではないかとわたしは考えている(拙エッセーブログの以下の記事参照)

ミストラルは1889年に生まれ、1957年に亡くなっている。チリの神智学協会が設立されたのは1920年で、ミストラルはこのとき既に31歳になっている。

ガブリエラ・ミストラル(田村さとこ訳)『ガブリエラ・ミストラル詩集 (双書・20世紀の詩人 8)』( 小沢書店、1993)の「ガブリエラ・ミストラル年譜」には1912年、23歳のときに 神智学の会〈デステージョス〉に入会すると書かれている。

年譜に書かれた神智学の会は、チリ神智学協会の形成期に作られた会ではないだろうか。伝記にそれを思わせる印象的な記述があるので、改めて見ていきたいと思う。

ノーベル賞を受賞した中に神智学協会のメンバーだったことが判明した人々くらいは採り上げて、研究していくべきだろうと考えている。

そうすることで、ブラヴァツキーや神智学協会の本当の影響がわかると思うからだ。

スピリチュアルブームの中でいろいろとおかしなことが起きてきて、それらを全てブラヴァツキーに結びつける傾向があるけれど、それはあまりに大雑把で根拠を欠いた、危険な話である。

ブラヴァツキーは心霊的な領域で起きる様々な危険性について警告しただけでなく、その原理を解き明かし、また東西の諸宗教哲学が共通の源としている教えを書物に著した。

それは人類を見守ってくださっている方々に助けられて可能になったことで、ブラヴァツキーは常に謙虚な姿勢でそのことを控えめに表現した。

彼女の代表作すらまともに読まずに誹謗中傷する人々は、人類を見守ってくださっている大先輩方を貶めているだけでなく、スピリチュアルブームを刺激し、煽り、危険性を膨張させているとわたしは思う。

魔女狩りでもしているつもりだろうか。

そういえば、「神智学ウィキ」にカリール・ジブラン(ハリール・ジブラーン、カーリル・ジブラン)​​の神秘主義は、キリスト教、イスラム教、スーフィズム、ユダヤ教と神智学といった異なる影響が収束したものだと書かれていた。(→ここ

カリール・ジブランは人気のある詩人だ。

イタリア神智学協会のオフィシャルサイト「著名な神智学者の名前の一部」にもカリール・ジブランの名があった。その部分を引用しておく。

Kahlil Gibran, celebre poeta e scrittore di origine libonese (1883-1931) (cfr. Il Profeta: la vita ed il tempo di Kahlil Gibran/Robin Waterfield (New York: St. Martin’s Press, 1999), pag. 225);

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