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2016年2月17日 (水)

江戸初期五景2 #3 江戸時代の老人パワー、物見遊山を伴う神社参詣 

萬子媛の主宰した禅院「祐徳院」は義理の息子、鍋島直條の著作とされる『祐徳開山瑞顔大師行業記』から抜粋すると、「大師、尼十数輩フ領シ」「晨ニ誦シ、夜ニ禅シ、敢(あえ)テ少シモ懈(おこた)ルコトナシ」「迹(あと)閫(しきみ)ヲ越エズ。并(あは)セテ尼輩ノ出門、俗客ノ往来を許サズ。其ノ佗ノ規矩、森厳タリ」とあるように世俗との交わりを断った孤高の存在であった。

だから、村人との接触はほとんどなかったと思われるが、神社の公式サイトに「水鏡」と題し、畑で獲れた野菜を届けた村人との会話が紹介されているから、そのような形で村人が萬子媛(祐徳院様と呼ばれていたのだろう)の姿を見たり、話ができた――こともある――ということだろう。

その村人の暮らしがどのようであったかは、郷土史家の年表が大変参考になる。自然災害に関する記述を拾っておきたい。

また、江戸時代の特色として、以下の過去ノートで書いた高齢者の有効活用がある。

それは江戸時代は幼児、若者、壮年が疱瘡(天然痘)のような致死率の高い伝染病などであったいう間に死んでしまう医療事情と表裏一体となった生活の知恵であったが、幕府は高齢者の人材活用を奨励し、藩はそのための工夫を凝らした。

働く高齢者には褒美や養老扶持の支給などで報いたのであった。

そして、人がよく死ぬということは嫌でもこの世のことやあの世のことを考えさせ、宗教が盛んになる機縁ともなる。

幕府の農業政策が成功し、商業が発達して街道が整備されるようになると、物見遊山を伴う神社参詣の旅が流行した。わたしは短編小説1で、その街道について書いている。

村人の生活を書き込むには、上記のような特色を軸として、もっと調べなくてはならない。

萬子媛が「水鏡」に出てくる村人と会話を交わしたのがいつのことかはわからないが、僧侶としての方向性が定まり、落ち着きが備わって、貫禄が出て来たころではないかと想像する。

元禄11年(1698)に黄檗僧の正装をした萬子媛の肖像画が描かれている。このとき73歳。

謹厳そのもののお顔だが、わたしが神秘主義的に感じとった萬子媛は、さすがは「神様」として祀られているだけあって、圧倒的なパワーの持ち主であり、おそらくは生前もそうであったように温かな人柄と微に入り細を穿つ洞察力を持ちながら、一方ではユーモアを好みそうなタイプの方だと感じた。

そして、生前も、あの世でボランティア集団を組織して300年以上も奉仕活動をなさっている今も、とても率直な方なのではないだろうか。

『祐徳開山瑞顔大師行業記』に、親戚がうるさくてなかなか出家できなかった……と萬子媛がもう1人の義理の息子で、僧侶になった断橋(直孝)に打ち明けたようなことが書かれていて、つい笑ってしまった。生前から率直な方だったんだと納得した次第。

人間、死んでもそう変わるものではないというが、本当にそうだという気がする。またあの世では具体的に、実際に、この世のために奉仕している方々がいらっしゃるということが萬子媛の存在とあり方で本当にわかった。

それで、わたしは萬子媛が怖くなく、たちまち大好きになってしまったのだ。もしわたしが江戸時代に生まれ、萬子媛の禅院で修行生活を送ったとしたら、優しさ、面白さ、楽しさ――などの豊かな情緒が萬子媛からは格調高く伝わってくる――よりも、厳格さをより痛烈に感じることになったのだろうか。

わたしの萬子媛に関する神秘主義的記録は拙「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下の記事を参照されたい。

ノートのテーマから逸れたが、村人の暮らしには江戸幕府の政策が反映している。江戸を設計した2人の黒衣の宰相を分析するために、まずは天海をざっと調べ、昔買った『臨済録』を崇伝や萬子媛の宗教に関係することから読んだ。

そういえば、郷土史家が萬子媛の夫、直朝公の宗教観について、重大なことをお書きになっていた。次のノートで、年表からの自然災害の抜き書きや、そのことを改めてノートしておこう。天台宗の僧侶であった天海が創唱した「山王一実神道」もノートしなくては。『臨済録』からも抜き書きしておきたい箇所がある(これは創作のためというより、神秘主義的興味からだが)。

ところで、昨日はデップ様主演の映画『ブラックスキャンダル』を家族で観に行った。ギャングが登場するので(デップ様演ずるジェームズ・ホワイティ・バルジャーはアイルランド系の移民だが、ボストンにおけるアイルランド・マフィアのドンで、イタリア・マフィアと対立している)、残酷な場面が多く、半分くらいは両手の人差し指で耳に栓をし(効き目なし)、目を閉じていた。

政界、FBIを巻き込んだスキャンダルへと発展するが、実話がもととなっているのである。その興味がなければ、いくらデップ様の演技が迫力あったとはいえ、観たことを後悔したかもしれない。

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