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2016年1月13日 (水)

ゾラ(國分俊宏訳)『オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家 ゾラ傑作短篇集』(光文社古典新訳文庫、2015年)を読んで

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家 ゾラ傑作短篇集 (光文社古典新訳文庫)
ゾラ (著), 國分 俊宏 (翻訳)
出版社: 光文社 (2015/6/11)

実は、図書館の返却日が迫っていたため、収録作品の5編中3編だけ読んだ。ジャーナリスティックな社会派長編小説の名手として名高いゾラだが、ストーリー展開に重きを置いた簡潔明瞭な短編小説にはまた別の魅力があって、賞応募の場合の参考になりそうである。

わが国の文学賞には否定的な考えを持っているので、なるべくなら応募を経ずに社会に出たいものだが、まあ応募しようとしまいとあかい文学界でのデビューは所詮は叶わぬ夢であろう。

わたしが読んだのは「オリヴィエ・ベカイユの死」「ナンタス」「シャーブル氏の貝」。これら3編は描写の精緻さ、筋の運びの巧みさ、落ちの見事さですばらしい読書体験を味わわせてくれた。

ただ、わたしにはさほどの余韻が残らなかった。いや、映像としては鮮明な場面が蘇ってくるのだが、内面的なものは――人物の感情、気分、考えといったものは克明に、しばしば激しいタッチで描かれているにも拘わらず――ぼんやりとしか蘇ってこない。

それと対照的なのがバルザックである。映像的には混乱を来す場合があるほどで、錯綜した曖昧なイメージとしてしか思い出せないことも多いのだが、人物の内面世界が読者であるわたしも一緒に体験したことのように鮮やかに蘇ってくるのだ。とりわけ、書き込まれた豊かな情緒が香しく蘇ってくる。それは、いつまでも消えることのない花の香りのようだ。

両者がどこに力を注いで作品作りをしているかがよくわかる。時代の資料的価値は双方が持っている。それくらい、長編であろうと短編であろうと、その時代の描写が丹念になされている。

「オリヴィエ・ベカイユの死」は仮死状態(?)で埋葬された男が墓地から生還する物語である。

カバーに「完全に意識はあるが肉体が動かず、周囲に死んだと思われた男の視点から綴られる」とあったので、ポーのゴシック短編「アッシャー家の没落(The Fall of the House of Usher)」を連想したが、そのような怪奇物ではなかった。

読み始めてしばらくすると結末が憶測できたが、それでも面白い。そこに至る経緯が迫力ある筆遣いで逐一報告されるため、ドキュメンタリーのような臨場感があるのだ。

「ナンタス」は、青年ナンタスが社会的成功を収めるにつれて深まる不幸と、それがどんな結末を迎えるかに焦点を絞って描かれる。

物語は、仕事が見つからないために絶望して自殺を考えるナンタスにある奇妙な提案が持ち込まれるところからスタートする。

物語は超特急で進行する。ナンタスのストレートさ、情熱の一途さと、それに伴う人生の急展開は、解説に「おとぎ話」という言葉があるように現実離れしているが、読後感は清々しい。

「シャーブル氏の貝」はユーモアを籠めた皮肉なタッチで、洒落ている。実はコキュの物語なのだ。ゾラは様々な小道具に性的な意味を籠めている。

洞窟もその小道具の一つとして使われていて、それが何をシンボライズしているのかは嫌でもわかるが、下品さが全くなく、自然描写は限りなく美しい。

過去記事で、ゾラの出産の描写が真剣そのものであるために読みながら産婆の見習いをしているような気になったと書いた。ここでも、ゾラはシンボリックな設定に悪戯っぽさを漂わせながらも、自然の造形への感動を籠めて敬虔なまでの真摯さで描いている。

そうしたところはバルザックにも共通したものがあり、自身の感動や驚きを読者と共有したいという強い思いと、書く行為に対する純粋さや責任感が感じられる。

「オリヴィエ・ベカイユの死」「シャーブル氏の貝」のいずれにもゲランドという町が出てくる。塩田で有名なあのゲランドだ。調味料売り場でゲランドの塩を手にとり、「ゲランドってどんなところなのだろう?」と思ったことがあったので、ゲランドを知ることができてわたしは満足した。

解説によると、今日のフランスで最も人気のある作品が「オリヴィエ・ベカイユの死」「ナンタス」「シャーブル氏の貝」で、中高生向けの読本などにもこれらがよく選ばれているという。

そうだとすれば、フランスの文学教育はすばらしいと思う。不屈さ、思慮深さ、情熱、大志、純粋さ、ユーモアに包まれたほのかなエロティシズム……といったものが散りばめられた瑞々しい作品を若い人々に与えようというのだから。3編はいずれも短い作品でシンプルな構造になっており、読書が好きでない生徒にも読みやすいだろう。

それに比べて日本の場合はどうだろう? 無意味な思索を強いて深読みさせる(原作に作品としての深みがないために)一方では、陰湿な情感の揺さぶりで落ち着きをなくさせるといった、偏向・変態性和製小説が多く生徒に与えられているように思えてならない。そんなものを推薦するくらいなら、ゾラのこの短篇集の感想文を宿題にするほうが格段にましだと思う。

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