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2015年12月19日 (土)

タブッキかクレジオかの贅沢な迷い。初の歴史小説で受けた良質の刺激。

娘が訊いてきた。「ル・クレジオの本かタブッキの『スペイン広場』のどちらか買おうと思っているんだけれど、どちらがいいと思う?」

ル・クレジオの本のタイトルを娘が何といっていたか忘れてしまったが、確か青い表紙といっていた。これか?


ル・クレジオ (著), 中地 義和 (翻訳)
出版社: 作品社 (2015/10/29)

何て美しい表紙。『嵐』は未読だが、透明感ある端正なル・クレジオの作品傾向にはマッチしている表紙だ。

タブッキの『スペイン広場』は、わたしが好きな洒落た軽快なテイストの作品からすれば、これはそれとは対照的な重厚なタイプの小説に属する。

イタリア広場
アントニオ タブッキ (著), 村松 真理子 (翻訳)
出版社: 白水社 (2009/09)

タブッキの原点ともいえる作品である。Amazonの内容(「BOOK」データベースより)から引用すると、「三十歳で死ぬことが宿命づけられている男たち三代の物語。激動のイタリア現代史を、ある家族の叙事詩として描く。作家の小説第一作、待望の邦訳なる」とある。

図書館から借りてきてざっと読んだだけなので、じっくり再読してみたい。

読んでいない魅力的に見える本と再読したい魅力的な本を比べてどちらかを選べなんて、わたしには残酷な選択だ。

わたしはご馳走を前にした涎を垂らさんばかりの犬のように、ない尻尾を振っていった。「どちらもよさそう!」

娘は「どちらかいってよ」というが、難しすぎる。

娘は書店員だけあって、センスのいい本を選ぶのが上手い。わたしはタブッキもル・クレジオも娘に教わって読むようになったのだ。

娘はそれほど純文系の本を読まないので、正直いってこれほど本の鑑賞力があるとは思っていなかった。書店員になってから磨かれた部分もあるのかもしれない。

それだけでなく、満遍なく大衆好みの本にもアンテナを張っていて、そうした本も娘は好む。

偏った本選びしかできないわたしには、書店員は勤まらないかもしれない。

娘がどちらかを買ったら、わたしもおこぼれで読ませて貰おう。それがわたしにとってはおこぼれ的なXmasプレゼントになるかも。

今年はもう小説を書かないことにしたので、時間があるときには(年末だから年賀状、掃除と時間がない気もするが)好きに本を読むことにした。

年中本ばかり読んでいるわたしにも、こんな時間はめったにない。執筆に関係のある本を資料として張り詰めた神経で読むため、それらは楽しむどころではないし、その合間に図書館からついでのように借りた好みの本を慌ただしく読めるにすぎない。

昨年は萬子媛のことが気になって、その関係の本を読むことだけが頭にあった。昨年の今頃は、執筆を中断することになるかどうかの瀬戸際にいたという感じで、全く書ける自信が持てなかった。

わたしは歴史小説の書き方も知らない、物書きとしても素人である。人口に膾炙している萬子媛を描くなど、畏れ多いというか、罰当たりな気さえした。

それが何とか書き続けられたのは、萬子媛の生年で問い合わせた佐賀市立図書館の調べものコーナーで受け付けてくださった女のかたのプロフェッショナルな姿勢と綿密な調査に驚嘆し、それに刺激を受けて、書き続けないわけにはいかないと思わされた。

加えて、郷土史家・迎昭典先生が発掘されたすばらしい史料の魅力と郷土史家としてのプロフェッショナルな姿勢に教わるところも多かった。

そして、最大の刺激は萬子媛そのかたの魅力であった。

……と書くと、まるでよほどの大作、それも名作を仕上げたみたいだ。いや、ハハハ……短編で、それも形になっているかどうかという程度の作品にすぎない。短編として完結した作品ではあるが、賞に落選したら長編にする予定であり、その予定からすると、五分の一書き上げた段階といえる。

ただモデルのよさがあったにせよ、手応えのある人物像を確かに描ききったという満足感がわたしにはあるのだ。創作の真の歓びはこれ以外にないとわたしは思う。

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