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2015年12月28日 (月)

(3度の改稿)ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ②三浦関造の雛たちに危いまなざしを向ける人

①は次の記事(はてなブログ)。

今年はブラヴァツキーの神智学や神智学協会、それを日本に紹介した一人であった竜王会の創設者三浦関造に対する誹謗中傷にわたしの関心が向いた年であった。

過去記事に書いたことだが、三浦先生をわたしが初めて意識したのは35年前に遡る。自己流の断食体験から話さなければならない。

大学時代、今思えば危険な断食を若さに任せてやってみたことがあった。

3日でおなかがぺったんこになった記憶がある。当時は痩せていたので、それこそ、おなかの皮と背中の皮がくっつくという感じに窪んだのだ。たったの3日で、ああなるとは驚いた。

それでも、いつもはサボったりした大学の講義にきちんと出席した。体が軽くて、ある意味では爽快だったのだ。後に竜王会で学んだヨガや神智学を通して、自己流の断食はとても危険であることを知った。

当然、自己流の様々な行法すべてがとても危険である。今は瞑想一つとっても、いわゆるハタヨガ的な行法にしても、きちんと指導できる人はいない――何かあったときに対処できるだけの人はいない――と、お亡くなりになった田中恵美子先生(竜王会二代会長・神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長)はおっしゃっていた。

懸念されていたのは、霊媒体質になる危険性が高まりやすいこととクンダリニの暴走だと思う。クンダリニとはヨガでは知られているエネルギーの一種で、蛇の火ともいう。人間の脊柱基底の中心内にとぐろを巻いて眠っている龍のようであるといわれる。

精神的進歩にそって自然に目覚めるのが最も安全で、無理に行法などで目覚めさせようとすると、破壊エネルギーとなって、その人に弊害をもたらす。発狂することもあるという。

先生のお父様、三浦関造は牧師補時代にキリスト教に疑問を持ち、東洋思想に転向。ヨガの達人として知られ、神智学を日本に紹介。知性、人格、霊性共に別格の人であったと聞く。竜王会という総合ヨガの会を創設した。

教育者として著名であり、以下の本に詳しい。アマゾンより引用する。

ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会
岩間 浩 (著)
出版社: 学苑社 (2008/08)

内容(「BOOK」データベースより)

本書はユネスコ設立の母体は何かの問題の解明に取り組み、その淵源として教育に関する国際的連帯組織・新教育連盟と、人種・宗派を越える古来の英知を探求する神智学協会に照明を当てる。その結果、スイスの世界的発達心理学者ピアジェ、インドの詩聖タゴール、イタリアの幼児教育家モンテッソーリ、ロシアの芸術家レーリヒ、出版界の代表人物かつ平和運動家・下中彌三郎、教育革新思想家およびニューエイジ思想先駆者・三浦修吾・関造兄弟などの著名人たちが、いずれも新教育連盟や神智学協会に深くかかわりつつ、教育革新運動とユネスコ運動を推進した事実を明らかにした。

わたしが竜王会に入会したときは内部に神智学協会ニッポン・ロッジがあった。現在は竜王会と神智学協会ニッポン・ロッジに分裂。

わたしは竜王文庫から出ている本に心惹かれたが、竜王会への入会を迷っていた。変な名前の会に思えたので。釈迦の大勢の弟子の一人に竜王という人がいたそうで、そこからの命名であると後に会員の一人から聞いた。

わたしの大学卒業の直前に母が倒れ、そのときに『枕許からのレポート』で書いた神秘的な体験があった。竜王会への入会を迷っていたのは、退院した母をドライバーとして病院に送り迎えしながら公文教室で助手のバイトをしていた頃で、ある日、夢現のうちに輝かしく光るエメラルドグリーンの大きな円が額の上あたりに見えた。

そのエメラルドグリーンの円の中に今生のわたしを見守ってくださっている方々がいて、その中心に写真でしか見たことのなかった――正直いって、あまり意識もしていなかった――三浦先生の生き生きとしたお顔があった(故人であった)。

竜王会にはわたしが全国大会に出かけていたころ、三浦先生の愛弟子といわれる人々がいて、講演や懇親会などで話を聞く機会があった。三浦先生は大変敬愛されていたが、師としてであって、崇拝されていたわけではない。

そもそも盲目的な崇拝はヨガや神智学の精神に反する。とはいえ、敬愛する師が亡くなったとき、弟子たちが愛慕と悲嘆のあまり、それに近い感情になることはある。田中先生のときにそれが起きた。

母鳥を亡くした雛のように、お亡くなりになった田中先生をピイピイ恋い慕う会員は多かったと思う。死者となった先生が別れの挨拶においでになったことを複数の会員が体験したようであった。

わたしもその一人で、肉眼で見るように先生を見たわけではなかったが、先生の気配をありありと感じ、なつかしいオーラの放射を見た。それはまさにヨガや神智学でいわれるところの魂は不滅という実例の一つであった。

会員はピイピイ鳴きながらも我をとり戻し、機関誌には先生を慕うあまりに神格化するようなみっともない真似はやめようという会員の意見が表れたりした。

三浦先生が亡くなったときのことはどうであったかわからないが、三浦先生からヨガの行法を教わっていた人々は瞑想の中で先生にお目にかかろうとしたのではないだろうか。

ある全国大会のとき、三浦先生の愛弟子の一人として尊敬を集めていた高齢のご婦人と旅館で同室となった。

わたしは知的で気品に満ちた田中先生と同室になるのは憧れすぎていたので怖かったから、そのご婦人と同室になりたかった。故三浦先生の話を聞きたかったのである。念願叶って同室となったわけだった。

三浦先生が同時に2箇所――3箇所だったかもしれない――に出現した話(この話は別の人からも聞いた)、瞑想の中に出現した先生が天に昇って行く神々しい姿の話、病人を癒やされた話……物静かだけれど、腹の底から響くような声のモノローグのような語りでいろいろな話を聞かせていただいたが、正確には記憶していない。

三浦先生の分身の術さながらの複数の出現は先生が生存中のエピソードだが、他の話が三浦先生の存命中のことであったのか故人となってからのことであったかわからなくなってしまったほど、三浦先生には生死を超えたところが生前からあったようである。わたしに出現した三浦先生は当然故人であった。

萬子媛が生前から村人たちにその徳や神通力を敬慕されていたことを連想してしまう。死んだからといって、誰もが聖者のようになれるわけではないのである。生前に聖者であった人のみが死後も聖者としての高級な影響力を発揮しうるのだ。

そうした話の間中、ご婦人の体は透明感を帯びて神々しく輝き、部屋の中が虹色のオーラでいっぱいで、わたしはその非現実的ともいえる光景に打たれ、オーラの壮麗な響き合いの中で呆然となっていた。

その夜、わたしは眠れなかった。オーラの壮麗な光景はなりを潜めていたが、眠っていられる三浦先生の愛弟子の迫力ある鼾のために眠れなかったのだった。

三浦先生が執筆なさっていた当時の機関誌を読むと、会員からのお便りが沢山掲載されている。

お便りからはまるで新約聖書の世界が出現したかのようで、先生の神通力に驚かされる。お便りには生き神様と感謝する言葉があったりする。そこまで感謝したくなる現象があったというわけである。

三浦先生は救世主が人間の内外に存在することを会員たちに喚起し、会員自らの神性発露を共に喜びながら、さらなる霊的進歩が可能であることを示唆し、励ました。機関誌のお便りからは、ヨガ教師としての理想的な姿が見えてくる。

『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』では、三浦先生が「知的障害者や差別されている子ども達の友となり、彼らの成長の援助者となっていた」(岩間、2008、p.267)とある。教師としての豊かな人間像はそのままヨガ教師としての人間像でもあったのだ。

わたしの知る三浦先生とはそのような人物であった。だから、ウイキペディア「神智学協会」の中の「日本における神智学」で描かれた三浦関造像には驚いた。

類似宗教学者(自称)の吉永進一と紹介されている人物の以下のオンライン論文が最も参考にされているようなので、それを閲覧してみた。

ウィキペディアでも出て来なかった吉永進一という人物だが、はてなキーワードで出て来た。

はてなキーワード:吉永進一

1957年生まれ。自称・類似宗教学者。別名:岩本道人。
京都大学文学部大学院(宗教学専攻)を修了。オカルティズム研究ユニット「近代ピラミッド協会」を横山茂雄と結成。

現在、舞鶴工業高等専門学校・准教授。
宗教学、ウィリアム・ジェイムズ、近代霊性思想史を専門に研究している。

次のような著作があるようである。

催眠術の黎明―近代日本臨床心理の誕生
吉永進一  (著)
出版社: クレス出版 (2006/01)

「天使」と「悪魔」がよくわかる本 ミカエル、ルシファーからティアマト、毘沙門天まで (PHP文庫)
造事務所 (編集), 吉永 進一 (監修)
出版社: PHP研究所 (2006/9/2)

そのうち図書館から借りて確認したいが、催眠術は神秘主義では黒魔術である。わたしは村上春樹との関連から拙著『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版)で河合隼雄と日本臨床心理に疑問を呈し、それについてもいずれ書きたいと思っているが、まだ手をつけていない。

そして、この吉永進一は神智学協会ニッポン・ロッジとは別の神智学研究会を主宰しているようである。

ウィリアム・ジェイムズを研究しているというだけで、わたしには偏見が起きそうになる。以下の記事はまとまりを欠いているが、ウィリアム・ジェイムズに関するわたしの雑感である。

吉永進一の論文「近代日本における神智学思想の歴史」は400字詰原稿換算で50枚の短い論文である。全文に疑問が湧いたが、その中でも特に見過ごせなかった部分を挙げたい。

三浦が神智学やヨガの教師として姿を現すのは昭和二八年、ヨガナンダのヨガ技法をまとめた『幸福への招待』(東光書房、一九五三)を出版してからで、そこから神智学ヨガ団体「竜王会」結成に至る。竜王会は、昭和二九年に機関誌『至上我の』光を創刊、さらに竜王文庫としてヨガ行法の解説書や神智学書を出版し、三浦の亡くなるまでに十冊ほど出版している。つまりヨガ教師、神智学徒として三浦が活躍する時期は最晩年のこの七年間のことである。ただし、竜王会発足後、彼が紹介したヨガはヨガナンダのそれではない。『至上我の光』五九号(一九五九年二月一日)には「印度ヨガの危険と建て直しについて」という記事を載せ、インドのヨガは堕落しており、アリス・ベイリー、ポール・ブラントン、ドーリルを学ぶことが重要であると力説している。その一方で同号に「いかがわしい誤謬だらけの西洋模倣ヨガの本を悉く棄ててしまいなさい」と、まったく矛盾した主張をしている。(吉永、2010、pp.389(593) - 390(594)

パラマンサ・ヨガナンダは1920年に渡米し、1952年3月7日にマハサマージに入った(亡くなった)。「遺骸の顔は死後数週間腐敗の徴候を示さず、神々しい光に輝いていた」という(パラマンサ・ヨガナンダ『ヨガ行者の一生』関書院新社、昭和35年初版、昭和54年改訂(第12版)、p.Ⅱ「遺骸に関する検証」)。

若い頃からのパラマンサ・ヨガナンダの動画がアップされている。

1959年時点でのインドのヨガは三浦関造の目に堕落したものと映っていたようだが、それはハタヨガに傾斜したインドヨガを批判したものであることが『至上我の光』59号を読めばわかる。吉永には単に読解力がないだけなのか、曲解しているのかわたしには不明である。

59号で言及されたアリス・ベリー、ブラントン、M・ドウリルについては、いずれもハタヨガの危険性、西洋で出版され日本人の訳している誤謬だらけのヨガの本に対する警告との関連で出てくるのである。上記三者はいずれも著作の中で、当時のインドのヨガの堕落や西洋で出版されている誤謬だらけのヨガ本の危険性を警告していた。

今日、世界的にヨガ及び印度ヨガ以上のヨガについては有益な啓明力ある著書で有名なブラントン氏は、「ヨガを越えて隠れた教えへ」という本の中で、真のヨガの行き方を教えて、印度ヨガの堕落を指摘し、特にハタヨガ(誤ってハタヨガを翻訳者無知の故にハサと書いている)は低級な人々、即ち精神的一心集注の出来ない者が、体[からだ]を支配することばかりやっているもので、その経典を書いたスワミ自らが不完全なものであることを告白しているといい、ハタヨガを修行の埒外に叩きつけていられます。(……)
ヨガには数種ありますが、注意すべき事はと(原文ママ)ヨガに関する西洋の本や、日本人の訳した米国怪化[ばけ]ヨガ、特にハタヨガをやるということは無知の沙汰[さた]で、熱心にやれば必ず大きな危険に陥ります。研究しなければならぬ本は四十年前から、みんな読んで、秘伝を授かっている私ですから、私のいうことを軽率に考えないで、深重な、且つ真摯な態度で、私に学んでくださらないと、馬鹿を見たり、とんだ失敗と危険に陥っても私の責任ではありませんよ! いかがわしい誤謬だらけの出来損[そこな]いの西洋模倣ヨガの本を悉く棄ててしまいなさい。 (三浦関造『至上我の光 第一号より第七一号合本』竜王文庫、昭和47年、p.248)

恥ずかしながら、転載しながらわたしは初めて三浦先生が秘伝を授かっていたことを知った。そういえば会員の誰かがそんなことをいっていたような気もする。

三浦先生も人間であったからには誤謬を犯すこともあっただろうが、三浦先生に対する信頼感が著作や長女の田中先生を通して育まれていたわたしは、秘伝のようなことはどうせ俗人にはわからないことだからと聞き流してしまったのだろう。

三浦先生がどこで授かったどんな秘伝だったのだろう? わたしは未読だが、『幸福への招待』という著作があることから考えると、パラマンサ・ヨガナンダのクリヤ・ヨガの秘伝なのだろうか。

わたしはブラヴァツキーの神智学の著作に夢中で、あまり三浦先生の著作を読んでいない。今後、できれば読んでいきたいと考えている。

竜王会では三浦先生亡き後もずっとハタヨガに傾斜することの危険性が警告されてきた。それでもハタヨガ好きは会員にも存在した。ハタヨガは肉体的、機械的な行法であるから、学びやすいし、教えやすいのである。ほとんどがクンダリニが暴走したときの対処法を知らずに教え教わっているのであろうが。

同号にはユネスコに言及した箇所があり、『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』との関連から興味深いので引用する。

摩尼[マニ]光・ヨガは最も確実な総合ヨガで、大蔵経、大乗経及び、四福音書を統一した真のヨガであります。私は本書で、その大意と大切な修業の仕方を説きますが、又英文でも同様出版が出来ましてからアメリカ各地に送り且つ、ユネスコを通して世界的に拡げて貰います。(三浦関造『至上我の光 第一号より第七一号合本』竜王文庫、昭和47年、p.248)

四福音書とは新約聖書の四福音書のことである。摩尼光・ヨガは三浦関造の思想の結実といってよいものだろう。恥ずかしながら、わたしはこれに関する本も読んでいない。ホント、ブラヴァツキーの神智学の著作に夢中で……ずっとあの世で見守っていただいているというのに。

ちなみに、わたしはパラマンサ・ヨガナンダが創設したSRFの会員だった時期があったので、SRFでどんな活動が行われているのか、1980年頃のことは大体把握している。大衆に合わせたものになっている印象を受けた。当時、日本でクリヤ・ヨガの指導ができる人はいなかったので、わたしの関心は薄れてしまった。

アリス・ベイリーの著作をわたしは受けつけなかった。わたしが読んだドウリルの著作は病気治療について書かれた分厚いものだった。ブラントンは未読である。

ユネスコは現在では赤化しているようだ。ユネスコ運動を推進した三浦先生は『至上我の光』で共産主義の危険性について警告しているというのに。

このような終末論を背景に三浦自身は、自己神格化を強め、「大救世主は、真理のみたまとして、我等の三浦尊師をお遣わしになっている」(『至上我の光』六三号、一九五九年六月)とは、本人の偽らざる信念であったろう。「新時代の神軍」のように、信と行を備えた一種の宗教団体に近くなっていた。それは崩壊した天皇=メシア信仰の代替物であったともいえよう。しかし昭和三五年に三浦は亡くなったために、竜王会が終末論を激化させることもなかった。同会はその後も営々と三浦の旧著を刊行し続け、一九七〇年代までは日本における数少ない神智学思想の供給源となっていた。(吉永、2010、pp.391(595) - 392(596)

吉永のいいかたに従えば、三浦関造は自己神格化を強めたのであった。しかしながら三浦関造はそれを自分だけでなく全会員に促したのである。ヨガでも神智学でも救世主は自らの内と外とに存在すると教えるからである。

救世主を感受するには、それが可能となる段階まで自らを高める以外にないのである。内に救世主を見出すことと、外に見出すこととは区別がないからである。前掲の拙作『枕許からのレポート』はそのことを実例をもって示した作品となっているので、稚拙な表現ではあるが、参考にしていただきたい。わたしがその段階に達したのはまだこのときの一度だけである。

会員が読みとったメッセージは、一層の熱誠をもって自己発見と自己修練に励み、愛他に生きよ――ということだったはずである。

「崩壊した天皇=メシア信仰の代替物」というのは吉永の勝手な意味づけではあるまいか。

天皇をメシア信仰と位置づける日本人は珍しい。在日コリアンか帰化人、あるいは左派にはそうした解釈を時々見ることがあるが……

1959年6月に発行された『至上我の光』63号では、三浦関造のソ連中共に対する危機感が相当に高まっているのが感じられる。

1956年に勃発したチベット動乱は、1959年のこの年に頂点に達した。三浦関造の危機感はそこから発したものではないだろうか。

シャンバラ伝説の伝わるチベットは、神智学徒にとって特別の地である。そのチベットでは今も僧侶たちが抗議の焼身自殺を行っている。

ただ、三浦のようなヨガとシャンバラと陰謀論という組み合せは、冷戦時代の一過性のものではないことは指摘しておきたい。なぜなら、まさにその同じ組み合せを、私たちはオウム真理教で再度見ることになるからである。(吉永、2010、p.392(596)

ユネスコ運動に関係した三浦関造は国際情勢に明るかったに違いない。そこからしばしば前掲のような危機意識が高まって機関誌でそのことに言及することはあっただろう。

しかし、多数の著作を世に出した三浦関造だが、三浦関造の陰謀論とは何だろう? 本のタイトルを示していただきたい。

竜王会東京青年部『総合ヨガ用語解説集』(竜王文庫,昭和55)の「三浦先生 訳・著書一覧 年代順」に「三浦先生の訳,著述作品は約七十余点にのぼると思われますが,震災,戦災,住居移転等で散逸し,その多くは,現存しておりません。ここに掲載したものは,保存されているもの,発行が確認されたもの(発行年不明のものを含む)を,ほぼ年代順に列記したものです」として訳・著書が紹介されている。

このうちのどれだろうか?

「昭和三五年に三浦は亡くなったために、竜王会が終末論を激化させることもなかった」とは何という三浦関造及び会員に対するひどい侮辱であろう。

三浦関造がもっと長生きしていたら三浦関造と会員たちは終末論を激化させて武装蜂起でもしたというのだろうか。オウム真理教のような事件を起こしたというのであろうか。

矛盾した愚説を弄しているのは吉永進一のほうである。なぜなら、竜王会は反日とはおよそ無縁の組織だからである。天皇=メシア思想の代替物と結びつけたかと思えば、オウムのような反日テロ組織と結びつける支離滅裂さ。誹謗中傷もいいところである。

まあ竜王会の一員であるならば、例え終末論を激化させたところで自己修練を激化させるだけの話である。

ヨガを恣意的に解釈し、それだけの準備が整っていないにも拘わらず、ヨガの行法を自己流に採り入れて遂には自己崩壊したオウム真理教の麻原だったが、ヨガに関しては、そのようにならないようにと竜王会ではずっと警告が続けられてきた。

麻原が三浦関造の教えを受けていたら、ああはならなかったに違いない。いや、イエス・キリストの教えを受けた使徒たちからでさえユダが出たことを想えば、絶対にそうとはいいきれないものもあるが……

ただ、前述したようにオウム真理教の問題はそれだけではない。中共のような思想弾圧している一党独裁国家ではない、憲法第20条で信教の自由を規定した日本国において彼らは反日テロを起こすという重大な思想的問題を孕んでいた。

 

分析されるべきは、むしろ吉永進一の思想と思考回路のほうではあるまいか。こうした恣意的な解釈、意味づけは問題で、このような人物が教師をしている今の日本の危うさを懸念せずにはいられない。

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