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2015年12月 8日 (火)

江戸初期五景2 #1 天海と崇伝

2人の黒衣の宰相、天海と崇伝は江戸時代をデザインしたといってもいいくらいの人物で、幕府に及ぼした影響力は計り知れないほどだ。

天海は天台宗の僧、崇伝は禅僧である。

短編2では天海・崇伝にスポットライトを当てることにした。このうちのどちらかを主人公にするかもしれないし、2人を主人公にするかもしれない。あるいは第3の人物を立てる可能性もある。

わたしは萬子媛を中心に置いた歴史小説を執筆するにあたり、短編5編をまず執筆して、それをあとで長編に纏める予定で計画を進めていた。

そのままの計画で行くかもしれないし、5編の短編はそのままの形で『江戸初期五景』(仮題)という題のもとに収録するということも考えている。まだ結論は出ていない。

何はともあれ、第1の短編は何とか書き上げた。残る4編で採り上げたいのは、天海・崇伝、林家、外国勢力との関係、公家と武家で、これらはどうしても外せない。他に採り上げたいものが出てきたときは短編のどれかに織り込むことになる。

外国勢力との関係では短編1で島原の乱、鎖国政策における四口、オランダ東インド会社と伊万里焼などについて書き込みたかったが、割愛せざるをえなかった。黄檗宗も短編2か、林家にスポットライトを当てた短編か、あるいは外国勢力との関係を描く短編かでもっと書くことにしたい。

江戸幕府はキリスト教を生理的に嫌って黄檗宗を依怙贔屓したというわけではない。
黄檗宗も、キリスト教と同じように最初は警戒されていたのである。幕府の警戒感がキリスト教に対しては高まり、黄檗宗に関しては和らいで好待遇へと変化した。

なぜか?

それは「江戸初期五景」に収録予定の萬子媛をヒロインとした短編1に書いているので、今ここでは回答しない。

武家、公家を描く短編では、慶安の変(由井正雪の乱)、猪熊事件はぜひ採り上げたい。

猪熊事件のきっかけとなったのは、以下のノートにも書いたように、花山院定好の兄だった。

佐賀でも似たような事件が起きており、興味深い。

萬子媛の父方伯父に当たる花山院忠長は猪熊事件に関係したかどで蝦夷松前藩へ流された。

忠長は、萬子媛の母方曾祖父に当たる後陽成天皇の女官と密通するというようなことをやってのけたのであった。

それがきっかけとなって「猪熊事件」が起きたのだ。花山院忠長は流刑となった先で京文化を伝えている。また、忠長のその息子は天海の弟子となった(公海)

どうです、萬子媛のまわりの人物とうまく絡むでしょ。

花山院忠長が流されたのが松前というので、思い出した。6月に家族旅行で神戸に行き、神戸市立博物館でプラハ国立美術工芸博物館所蔵「輝きの静と動ボヘミアン・グラス」を観たときのことを。

伊万里焼の地図皿も見たのだが、一度見れば忘れられない奇抜な地図だった。

天保期に製造されたものなのだが、小人国、女護国という不思議な国が書かれていたのだ。そのような国があると、信じられていたのか、ファンタジーなのか。沖縄が四国より大きく描かれ、北海道には松前しかないように描かれたりもしていた。松前が馬鹿デカかった。

そんな皿が複数枚あった。

伊万里焼といえば、伊万里焼の一様式である鍋島焼(藩窯で高級磁器を焼いた)は佐賀二代藩主・鍋島光茂と関係が深い。光茂が皿山代官に与えた厳しい指示書の写しが残っているのである。

光茂は萬子媛の第二子・朝清を厚遇した。朝清は若い身空で急死し、母親の萬子媛を慟哭させ、それが萬子媛の出家につながった。

あちこちで萬子媛のまわりの人物と絡むので、萬子媛を無理に挿入しなくとも、5編の短編のどこかには萬子媛が自然に登場することになるのだ。

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