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2015年11月20日 (金)

歴史短編1のために #24 江戸時代を支えた高齢者パワーと幕府の工夫

江戸時代を舞台とした小説を書くために、色々と調べていて、高齢者の活躍が馬鹿に多いなとは思っていたのだが、以下の本を読んで、わたしが思った以上に高齢者パワーが江戸時代を支えていたことがわかった。

江戸時代の老いと看取り (日本史リブレット)
柳谷 慶子 (著)
出版社: 山川出版社 (2011/11)

小説のヒロイン花山院萬子媛からして、37歳で結婚、2年後の39歳で出産(初産だった可能性は高い)、その2年後の41歳でもう1人。62歳で出家、80歳で入定と晩年に花開いた(?)人生だし、その夫の鍋島直朝が亡くなったのは88歳。

島原の乱のときに鹿島藩からも1,113人出兵しているが、兵を率いた人物の年齢は83歳。ただし鍋島勝茂の命で佐賀城の守りに変更になったという。理由は記録にない。まさか80歳以上の高齢者集団だったから、なんてことはないだろうけれど……。

少弐氏の家臣によって子や孫を謀殺されながらも90歳を過ぎて出兵し、一旦は龍造寺家を再興した家兼(これは戦国時代だった)。

これらは特異な体質に恵まれたケースではなく、そう珍しくはないケースであったことが、前掲書を読んでわかった。

幼児死が大変多く、疱瘡などで若い人や中年がぼろぼろ、それもあっという間に死ぬ時代であったことを考えれば、元気な高齢者の活躍なしでは江戸時代は持たなかったに違いない。

江戸時代の芸術を見ていて、渋くて老人向きだな、と若いわたしは思って興味がなかったのも、あながち偏見ではなかったようだ。老人パワーの渦巻いた状況を考えれば、老人向きの芸術や娯楽が発達しなかったはずがない。

徳川の泰平の世が続き、暮らしが安定的に営まれるようになり、生産力が上がり、医療の恩恵に与れるようにもなって、「長寿の可能性は身分・階層、地域、性別の格差を超えて拡大」した。「成人後の平均余命は現代と比べても見劣りしない数値」という。80歳を超えた者は、盛岡藩の1697(元禄10)年9月の調査によれば、領内に780人(男性394・女性386)の該当者がおり、さらに100歳以上の長寿者も122歳を最高に女性3人が書き上げられている(『盛岡藩雑書』第6巻)」という(柳谷、2011、p.008)。

「農業出精」で褒賞の対象になる者があったが、弘前藩の1791(寛政3)年、翌92(同4)年の高齢者褒賞は対象者がみな80歳を超えていた。町人も、80歳を超えて現役がいた。弘前藩の1799(寛政9)年、町奉行が調べたところでは城下の町人に8人いた。(柳谷、2011、pp.020-021)。

武士の場合、70歳が隠居年齢の基準とされたが、武士には現在のサラリーマンのような定年退職の制度はなく、隠居年齢を超えて職にとどまった武士は、80歳をすぎるまで勤務を続けた例も珍しくないようだ。

「1849(嘉永2)年の80以上の仙台藩士と家族」という表には、92歳1人、91歳2人、90歳1人、80歳代が66人。このうち病気の者には「煩」の印があるが、それがついているのは9人しかいない。如何に元気な高齢者が多かったかがわかる。この表は嘉永2年「年長祝い」にリストアップされた藩士と家族。「名前が記されている26人はみな現役と推測される」(柳谷、2011、pp.030)という。

「1834(天保5)年の幕府高齢役人」(柳谷、2011、pp.032)という表では、西丸槍奉行94歳の堀直従(95歳で職を辞した)が最高齢で、80歳代9人、70歳代39人。

長命であることは領主の称揚の対象となり、高齢まで働く庶民や武士は褒賞された。

長寿者に対しては養老扶持の支給も施政化され、もっとも早い例は会津藩。1663(寛文3)年、90歳以上の領民に身分を問わず「老養之御扶持壱人分宛」を定めている。(柳谷、2011、p.078)

養生書の代表として知られる貝原益軒の『養生訓』は益軒82歳のときに執筆、翌年の1713(正德3)年に出版された。これは江戸時代随一のロングセラーともなったという。

介護教育もなされ、武士には「看病断り」の制度があって、身内の病気や臨終に付き添うことができたという。

「庶民家族の看取りの様相は、幕府や藩による高齢者褒賞や、善行褒賞の記録に垣間見ることができる」(柳谷、2011、p.096)

政治家にこの本を読んでほしいですね。高齢者の人材活用のための様々な工夫がなされていることがわかります。

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