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2015年10月16日 (金)

イタリア絵本展から思うこと(16日に追記:邦訳版から改めて思ったこと)

イタリア語を勉強している娘が百貨店のイタリア展で、2冊の絵本を購入しました。

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娘と出かけたイタリア展の絵本コーナーには、印象的な絵本がいろいろとありました。娘はその日、黄色い表紙の絵本を選んだのですが、別の日にまた行って、白っぽい表紙の絵本を買いました。

わたしはモナリザを連想させる絵のある絵本に心が惹かれましたが、娘の買った絵本はどちらもすばらしいと思いました。

こんな絵に(どんな絵とはうまくいえませんが、ひとことでいえば芸術的な絵と申しましょうか)、日本の子供たちは飢えているのではないでしょうか。

絵本ですら、漫画っぽい絵が多いように思います。それも、目の大きな、媚びたような顔をした子供たちの顔がここにも、あそこにも。わたしは吐き気すら覚えます。

イタリアはレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどの偉大な画家を生んだ国ですが、日本だって北斎を思い出せばわかるように、負けてはいません。

本格的な挿絵画家を目指している人は日本にも多いはずです。そうした人々はどこへ行ってしまうのでしょうか。

以下の記事は5年前に書いたものです。そのころはまだわたしが文学界を批判すると、僻みととられることも多かったのですが、今ではそうではなかったことがはっきりとわかります。

すっかり左傾化し、腐敗した日本の文学界。そこで書いている人々にはその自覚がないかもしれません。

余命ブログでテーマを募集しています。

わたしは芥川賞に選ばれる近年の作品からも顕著な日本語のおかしさが国民、特に子供たちに与える深刻な影響について訴えたいと思っていますが、いざ考えてみると、難しいですね。

日本の文学の将来を憂えているかたがいらっしゃいましたら、考えてみてほしいと思います。

個人で文学運動を起こすのは難しく、こうした文学界の現象は他の分野と連動した動きから起きてきているものです。放置できないものを感じています。

テーマに投稿するには、抽象的な内容であっては意味がないので、よく考えなくてはなりません。

わたしにはうまくテーマ化し、書ける自信がないので、どなたか投稿してくださればいいのですが。

絵本の話に戻ると、白っぽい絵本は、子供がおかあさんにせがむが如く、娘に訳して貰いました。月曜日と昨日と明日が出てくるお話で、月曜日はやがて雪の中に消えていき、昨日と明日がそのことを悲しんで泣きます。その悲しみの表情が、心底悲しんでいる子供の表情そのままで、わたしも思わず……。

でも、新しい(別の)月曜日が現れます。

不思議な印象の絵本、忘れがたいお話になりそうです。

追記:

ググってみたところ、作者 Anne Herbauts はベルギーのイラストレーターで、活躍なさっているようです。YouTubeに、インタビュー動画が公開されています。

そして、何と、アンネ エルボーの他の本がひくまの出版から6冊、邦訳で出ているではありませんか(現在は中古でしか入手できないようです。原書もAmazonでは中古でしか入手できないようです)。

1978年に浜松市でひくまの出版を創立なさったのは、那須田稔氏。息子さんが那須田淳氏ですね。

ひくまの出版は平成26年に倒産したとウィキペディアにありました。よい本がずいぶん出ていたようなのに、残念です。

わたしは過去記事で、感動した那須田稔氏の本のことを書いています。

この方が児童文学界のトップにずっといらっしゃたとしたら(どうしてそうではないのか、事情は知りませんが)……わたしは文学界を糾弾するような、こんな記事を書いていたでしょうか。

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