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2015年10月17日 (土)

歴史短編1のために #17 神聖とされた教育。まるで罰ゲームのような(?)産後の風習。 

 ※43まで公開していた「Notes:初の歴史小説」同様、この「歴史短編1のために」も本格的な執筆に入る前には閉じることになると思う。

図書館から借りてきた以下の本を読むと、江戸時代、教育は神聖なものとされていた。胎教も熱心に行われていて、育児書も沢山出ていた。

江戸の躾と子育て(祥伝社新書)
中江 克己 (著)
出版社: 祥伝社 (2007/04)

江戸の子供は5~8歳で私塾である寺小屋に入門し、読み、書き、そろばんを習った。識字率は男女共70~80パーセントで、武士階級はほぼ100パーセント。ヨーロッパ諸国より進んでいた。

江戸の人々は知的だったのである。

入学金には相場がない――というより、「当時、『教える』という行為は、お金に換えることができないほど神聖なもの、と考えられていた。それだけに『読み、書き、そろばん』を教える報酬として、師匠がお金を要求することはなかった」(中江、2007、p.146)

親たちは「お礼」として入学金や月謝を払ったり、贈答品を送ったりした。それらを収めないからといって、師匠が催促することはなかったらしい。

確か、過去記事で紹介した鈴木大拙が、動画で江戸時代――から明治の初めごろの話――の医師は治療代を催促しなかったと話していた。寺小屋の師匠の場合と同じような大様な雰囲気があったようである。

子供たちの遊びは創意工夫に富んでいた。正月の遊びなどに今も残っている。

江戸時代といっても長いが、萬子媛の子供が長男は子供の頃に、次男は成人したとたんに亡くなったことから見てもわかるように医療はあまり頼りにならなかった。

幼児の病気では、疱瘡(天然痘)、麻疹(はしか)、水疱瘡(水痘)が怖れられ、この三つは「おやく」といわれた。おやくのやくは「厄」。死亡率は高かった。親たちは七五三の祝いをして子供の健康と成長を祈らずにいられない。

乳児の死亡率は、一説では全死亡率の70~80パーセントを占めていたという。お乳が出ないと大変である。当時の日本人に牛乳を飲む習慣はなく、お乳が出なければ「もらい乳[ぢ]」しなくてはならず、困って鰹節をしゃぶらせたりしたらしい。

無事に出産したとしても病死することは珍しくなかったが、何と出産後は、産椅(背もたれと肘掛けのついた椅子のようなもの)に七日間、眠らないようにして(身内の女たちが交代で付き添った)正座していなければならなかったという。

この俗習は勿論罰ゲームではなくて、産後の女性の血ののぼりを予防するためだったというが、それで命を落とす女性もいたらしい。そりゃそうだろう、驚いた! 

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