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2015年9月14日 (月)

『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』で紹介された「はるかな国の兄弟」と関係のあるエピソード

過去記事で、児童文学作家アストリッド・リンドグレーン(大塚勇三訳)『はるかな国の兄弟 (岩波少年文庫 85) 』(岩波書店 、2001年)を考察した。

はるかな国の兄弟 (岩波少年文庫 85)
アストリッド・リンドグレーン (著),    イロン・ヴィークランド (イラスト),    大塚 勇三 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2001/6/18)

その後、娘にヤコブ・フォシェッル監修(石井 登志子訳)
『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(岩波書店、2007年)を誕生日のプレゼントとして買って貰った。

愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン
ヤコブ フォシェッル (監修),    Jacob Forsell (原著),    石井 登志子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2007/11/14)

このアルバムの写真を見、それらの写真に合わせて紹介されるリンドグレーンの人生の断片の数々をキルト模様を眺めるように読んだ後で、記事を書いた。その記事の中から、リンドグレーンに関する部分を引用しておこう。

  • 2015年2月15日 (日)
    シネマ『バベットの晩餐会』を観て 追記:文学の話へと脱線「マッチ売りの少女」とリンドグレーンの2編
    https://elder.tea-nifty.com/blog/2015/02/post-cdaf.html

    石井登志子訳『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(ヤコブ・フォシェッル監修、岩波書店、2007年)を読んで初めて、それまで断片的にしか知らなかったリンドグレーンの人生全体を鳥瞰できた。
    両親は農場が軌道に乗るまで苦労したかもしれないが、あのころのスウェーデンの時代背景を考えると、彼女は何しろ農場主の娘で、父親は酪農業組合、雄牛協会、種馬協会を結成した活動的な事業家でもあり、娘のリンドグレーンが苦労した様子はアルバムからは窺えない。
    ラッセを産んだ件では苦労しただろうが、一生を共にしたくない男の子供を妊娠し、その男と一生を共にしない選択の自由がともかくもあり、女性の権利拡張運動の闘士(職業は弁護士)エヴァ・アンデンの援助も受けられて……と、確かに一時的な苦労はあったようだが、自由奔放な女性がしたいようにしたという印象を強く受ける。
    ラッセは、実父から3万クローナの遺産を受けとっている。
    ちなみに、ラッセが大学受験資格に合格したときの写真を見ると、どちらかというと、いかつい男性的な容貌のリンドグレーンとは対照的な、女性的といってよいようなハンサムボーイだ。
    それまでに読んだリンドグレーンの作品解説や伝記的なものからは地味な境遇が想像されていたが、いや、とんでもなかった!
    想像とは違っていたが(違っていたからこそ、というべきか)、リンドグレーンや周囲に写っているものがとっても素敵なので、昨年、娘に誕生祝いに何がほしいかと訊かれたとき、迷わず、リンドグレーンのアルバムを挙げたのだった。
    だから勿論、わたしは、アンデルセンやリンドグレーンが有名だったり、お金持ちだったり、自由奔放だったりしたからどうのとケチをつけたいわけではない。
    無名で貧乏だと、取材もままならないから、有名でお金持ちのほうがいいに決まっているし、自由でなくては書きたいように書けないから、環境的に自由なムードがあり、気質的にも自由奔放なくらいがいいと思う。
    ただ、「マッチ売りの少女」にも、「小さいきょうだい」「ボダイジュがかなでるとき」にも、どことなく貼り付いたような不自然さを覚えていたので、つい、どんな環境で書かれたかを探りたくもなったのだった。
    そういえば、カレン・ブリクセンもアンデルセンも、同じデンマークの作家である。
    リンドグレーンの2編についても、不可解な点や解釈に迷うところがあるので、いずれ考察してみたいと考えている。
    『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』には作品解釈の手がかりになるようなことが多く書かれている。「はるかな国の兄弟」の謎はそれで大部分が解けた。
    わたしが深読みしたより、単純に――シンプルにというべきか――書かれていた。それでも、まだ謎の部分がある。これについても、いずれまた。

いずれまた――と書いたまま、このことについて放置状態だった。申し訳ない。

『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』では、作品解釈に役立つようなエピソードが沢山紹介されている。ここでは『はるかな国の兄弟』に関係のあるエピソードを引用しておこうと思うが、詳細はアルバムを参照していただきたい。

値段は少々張るけれど、豊富な写真と丁寧な解説でリンドグレーンの人生が陰影深く描き出される魅力的な本となっている。リンドグレーンファンには宝物となるに違いない1冊なので、オススメだ。近くの図書館にあれば、ぜひ借りてみてほしい。

『はるかな国の兄弟』について触れられているのはアルバムの中の「写真で綴る、アストリッドの人生」で2箇所、マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」で1箇所である。

アストリッドの娘には4人の子どもがあって、それぞれ文学関係の道に進んだそうだ。アストリッドは創作に一人ひとりの孫に着想を得ることはなかったというが、ちょっとした言葉づかいや心の動きは借りることがあったとか。

『はるかな国の兄弟』の創作時には二男ニルスと三男ウッレが貢献しているらしい。

4歳だった二男ニルスの、死についての不安な気持ちは『はるかな国の兄弟』の創作に貢献した。三男のウッレは1歳の時に、しきりに「ナン-ギ、ナン-ギ。」と口にしていたのが、やはり『はるかな国の兄弟』の中の主人公、クッキーやヨンタンの済む世界“ナカギヤラ”の名前に使われている。(Forsell監修、石井訳、2007、p.106)

弟クッキーと兄ヨナタン・レインイェッタの物語『はるかな国の兄弟』は、1970年あたりに、ふたりの兄弟と死を主題とすることで構想が徐々にまとまったという。

 1971年の元旦の朝、フリーケン湖に沿って汽車に乗っている時、湖上のバラ色に輝く朝日を見て、アストリッドははっとした。「これは人類の夜明けの光だ。そして何かに火がついたと感じた。」兄弟の物語は、この世で展開されるものではないと気づいたのだ。
 善と悪、生と死、そして互いに滅ぼし合うことになるふたつの怪物の登場、これをアストリッドは、第2次世界大戦のナチズムとボルシェビキと見なしていたようだが、物語は緊張感あふれる作品になった。物語を書き始めた時、どんな終わり方をするのか、アストリッドには分からなかった。クッキーが確かな死に向かって飛び降りる結末は、子どもにはよくないと、多くの大人が不快感を示したが、子どもたちは明るい結末ととらえていた。
(Forsell監修、石井訳、2007、p.175)

2番目に紹介したエピソードにもあったが、マルガレータ・ストレムステッド「アストレッドの内面のイメージ」でも大人たちの反応に触れられている。

『はるかな国の兄弟』は、「“死”というタブーの境界に添って展開していくため、多くの大人に不安を与え脅えさせた」という。しかし、子どもたちは大人とは違う方法で読んでいるとストレムステッドは書いている。

『はるかな国の兄弟』が出版された直後、アストリッドが若い心理学者に会い、そのときのことをストレムステッドに語ったという。

アストリッド・リンドグレーンは語った。「彼は、子どもに対しては『はるかな国の兄弟』の最後のあたりを読むことができないと言ったの。兄弟が二度も死ななくてはならないと考えるのはおぞましいから、と。その後、家に帰ったら、エーミル映画でイーダの役をしていた女の子から電話があって、こう話してくれたの。“たった今、『はるかな国の兄弟』を読み終わったんだけれど、幸せな終りにしてくれてありがとう”って、子どもはそのように経験できるのよ。」 (Forsell監修、石井訳、2007、p.255)

大人の読後感はいろいろだろうし、子どもたちの反応も一律ではないと思うが、あの終わらせかたには議論を呼ぶところがあると思う。

前掲の過去記事「アストリッド・リンドグレーン「はるかな国の兄弟」を考察する」でわたしは既に自分の考えを述べたが、またそのうち書くかもしれない。

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