わたしが観察したオーラと想念形体、そしてプライバシーに関わると考える他人のオーラ
当ブログの過去記事をもとに執筆した「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中のエッセーですが、オーラに関する考えを述べたものなので、こちらにもアップします。
わたしがオーラについて知っていることはわずかだと思いますが、そのわずかな知識でもってしても、オーラに関してインチキ臭いなあと思える情報が氾濫しており、そのことを憂えています。
お金を払って身につけられるような神秘主義的な能力はありません。真正な神秘主義的な能力は自然に拓けてくるものとされており、それには責任感が伴うはずです。
また催眠療法の一種として退行催眠により「前世療法」を行うセラピストが増えているようですが、催眠術は神秘主義では黒魔術とされています。お金を取られるだけならまだしも(セラピストに悪気がない場合でも)、下手をすれば霊媒になってしまいますよ!
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わたしの目の前に、図書館から借りたジョルジュ・サンド*1の『ちいさな愛の物語』*2がある。
*1 ジョルジュ・サンド(George Sand、1804 – 1876)はフランスの女性作家、フェミニスト。ショパンとの恋愛でも有名。
*2 ジョルジュ・サンド(小椋順子訳)『 ちいさな愛の物語(ジョルジュ・サンドセレクション 8) 』 藤原書店、2005年。
この中に「バラ色の雲」があるのを知ったからだが、昔読んだ気がして読んでみたくなったのだった。
ジョルジュ・サンド(1864年、ナダールによる肖像写真)
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
ジョルジュ・サンドの作品はなつかしい。最も読書を楽しんだ中学時代に、サンドの作品を好んで読んだ。彼女の書くような、何といえばいいのか、善良という核のある作品は若い頃には特に貴重だと感じる。
世の中、本当におかしな人間が多くなって、彼らにつける薬はないのかもしれないけれど、わたしはせめてこちらが彼らに内面まで侵されないよう、よい小説を読みたいのである。
薫り高く高揚した精神状態はオーラの状態をよくしてくれる。それは確かだ。
神秘主義の修行者は敏感になるゆえに心臓に異常を起こしやすい時期があると、神智学関係の著作で読んだことがあった。
人間の思いも有害な影響物となりえる。勿論、その逆も然りである。
目に見えない悪い影響から身を守る方法も読んだことがあった。白い防御の光の層を身の周りに築くのである。自身が白い光の殻に守られていると想像するだけで、オーラの外郭は想像力の度合いに応じて強化されるはずである。
わたしは他人のオーラをその構造までありありと見たことは、これまでに2度しかないが、どちらのオーラの卵も、一方は力強いエメラルドグリーンの光の層で、他方は金色の光のリボンで輝かしく縁どられていた。
幼児が描いた絵と勘違いされるかもしれないが、昭和63年(1988)の日記に記録したスケッチである。下手なオーラの絵に次のような解説をつけている。
竜王会の大会で*さんが前に出て話していたとき、オーラがありありと見えた。きらきら光るエメラルドグリーンのとても太い輪がとりまき、内側はほとんど透き通るような、とてもデリケートなレモン色だった。これほど完璧な形状のオーラを視たのは初めてだった。とても美しかった。
その次に大会に出席したとき、初めてありありと**先生のオーラを見た。それまでにも、大会のとき、電話で話しているときでさえも、先生からは銀色がかった白い光のシャワー状の放射を感覚できたが、あれほどくっきり見たことはなかった。
そのときの大会は先生とお会いできた最後の機会だったから、先生の高級我が見せてくださったのだと考えている。*さんのオーラも、*さんの高級我に見せていただいたのに違いない。
普段は、他人のオーラを意識することはほとんどない。
あの世同様にこの世はオーラで満ちているに違いなく、実際にときどきは光の交響曲を楽しむこともあるけれど、基本的にわたしの場合は他人のオーラをプライバシーに関わるものだと捉えているためか、自然にコントロールされていて、誰彼のオーラを覗き見てアドバイスするなど、わたしには考えられない。オーラはそれだけ神聖さを感じさせるものだからである。
一方では、自分から放射されている光を見るのは当たり前のこととなっている。
先生のオーラの絵も描いたはずだが、記録した紙がどこかへいってしまった。おそらくすぐに日記に写しておくはずだったのが、当時の子育て真っ盛りの慌ただしさのためだったのか、日記には記録がない。
しかし、それからしばらくしてわたしは小説の材料に使ったのだった。平成5年(1993)発行の個人誌「ハーモニー」に連載の小説「曙」第3回目、女王卑弥呼の描写である。
女王の全身から美酒のように溢れていた物皆あまねく照らし出すかのような光や御身を取り巻く黄金の光のリボン……(以下、略)
ひじょうに控えめに書いたつもりであった。
頭の周りにあった青色の光の輪のことは書いていない。そして、すばらしく美しい、まるで楽しげに舞踏しているかのような金色のリボンに楕円状に縁どられていたオーラの色が清浄そのものの純白だったことも書いてはいないのである。
先生がお亡くなりになって長い時間が経過したので、書いても時効として許されるかなとわたしは考えている。
神秘主義者には思いが形体として見えることもある。神智学では想念形体と呼ばれている。
わたしは、7年前に、沢山の小旗が弓状に連なって見える想念形体を目撃したことがあった。小旗は鮮やかな青色とオレンジ色からなっていた。
そのときわたしは、ユーモアとアイディアに溢れる高齢の女性と電話で話していた。
彼女は文学と歌うことが趣味で、声楽の発表会のときに着る服を自分で作る。あるとき、気に入った生地を買ってきて作り始めたら、生地が足りなかったことに気づいたそうだ。腕1本分が足りなかった。
彼女はそれをデザインとした。彼女の自伝には、ローマ時代の服みたいに見える片腕がむき出しのドレスを着た上半身の写真がある。
そのときに何を話していたのかは、全く覚えていないし、そのときに見えた想念形体が何を表現していたのかもわからない。その輝かしい小旗の群れは、たっぷり2分間は空間にたなびいていた。
その想念形体が彼女とわたしのどちらから発生したものなのかは、わからなかった。
比較的近い別の日に、やはり幾何学的なくっきりとした想念形体を観たが、そのときも電話で話していたときで、色の鮮やかさ以外はよく覚えていない。
電話の相手は文学賞に小説を応募した先の編集者だった。
そのとき、わたしは天にも昇る心地と奈落の底へ突き落とされる失望を短時間に連続して味わっていた。
電話を受けた直後の歓喜は「ついに受賞したのだ!」という錯覚が惹き起こしたものであった。最終選考に残っていたわたしは、電話があるのを怖れつつも待ちわびていたのである。わたしの書いた小説がその賞で最終候補作品となったのは2度目のことだった。
わたしはスポットライトを浴びて舞台に立っている女優になった気がしていた。「ようやく、これまでの苦労が報われた。これで世に出るきっかけが掴める。2度目の正直だった……」とわたしは思った。しかし、無常にもその華やいだ興奮はつかの間のもので、状況は暗転した。
電話で告げられたのは落選だった。衝撃は大きかった。
わたしの衝撃がやわらぐのを助け、平常心に戻るのを待ってくれているかのように、彼女は様々な励ましを与えてくれていた。
それは最終選考の後の彼女の仕事の一環であって、片付けや、受賞者や他の落選者への連絡などに時間を要することを推し量れば、ここはあっさりと話を打ち切って仕事を終え、一刻も早く休みたかったことだろう。
わたしは落胆の中で、真に文学を愛している編集者にめぐり逢えた現実に感謝した。それこそがミューズがわたしにもたらしてくれたご褒美なのだと思った。
編集者の話が続く中で、わたしは自身の落選を様々な角度から眺めていた。
幾何学的な想念形体を見たのはそのときだった。ああ、また見えた――という興味が複雑な感情の中に加わった。
それは小旗の想念形体のとき同様、この世で見るどんな色彩よりも鮮やかさにおいて勝るもので、わたしの失望とは無関係に明るい、規則的なものだった。
だが、前回同様、それが彼女とわたしのどちらから発したものなのかはわからなかった。時間としては小旗のときよりも若干長かった。それでも、編集者と話していた時間の途中から見え始め、電話と共にその現象は消失したのだから、精々10分ぐらいではなかったかと思う。
それは小旗のときよりも幾何学模様としては複雑で面白いものだったと思うが、記録していなかったので、それ以上のことは書けない。
今後もたびたび見るだろうから、次に見たときから記録をつけ始めようと考えていた。ところが、それ以降、このタイプの想念形体をこの7年間1度も見ていないのである。
色彩を帯びた光の点や塊、また雲状のものはよく見るが、それらを想念形体と呼ぶべきかどうかがわからない。オーラと区別がつきがたいことも多い。
アニー・ベサントとC・W・リードビーターの共著による“Thought‐Forms”(田中恵美子訳『―想念形体―思いは生きている』神智学協会ニッポンロッジ、昭和58年)には、観察された沢山の想念形体のイラストがあり、解説がある。
それによると、あらゆる想念形体が出来る場合には、思いの特性は色を、思いの性質は形を、思いの確実さは輪郭の明瞭さを決定するという三つの一般的な原則があるそうだ。
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