夢で会えた、夫のおじいさん ①おじいさんと本物の家族になれた喜び
昨日、唐突に小説の構想が浮かび、それを書いても世に出られぬ身、書いてどうなるだろう、初の歴史小説もあるし……と思いながらも書き始め、徹夜してしまった。
若いころは、1~2時間の仮眠をとれば、3晩はいけた。今はだめで、朝になると、1時間だけと思いつつ、爆睡。
そして、何と本当に1時間で目が覚めた。「今日はママ、だめ。何も用意できないかもしれないから、早く起きて自分でやって」といって、早めに娘を起こした。
その娘は、まだシャワーを浴びていた。たっぷりとはいえなかったが、時間はまだあり、すばらしい幸福感に包まれていたお陰で、わたしは徹夜したにも関わらず、朝から元気いっぱい、目はぱっちり。
義祖父(夫の父方のおじいさん)の夢を見ていたのだった。わずか1時間の間に、とても長く感じる充実した夢だった。
夢の中で、わたしが義祖父を発見する。義祖父はずいぶん長い間、部屋の隅で寝ていたらしい。まるでミイラになったみたいに。
誰もそれに気づかず、義父母なんかは薄情にも死んだことにしてしまって、しかも、親を亡くしたことすら忘れ、思い出しもしなかったようだ。
しかし、発見者のわたしも、自分の見つけた老人が、夫の父方のおじいさんなのか、母方のおじいさんなのか、区別がなく、ただ、おじいさんだと思っていた。正体がわかるまでは、怖かった。
夢の中で、おじいさんと一緒にいるうちに、わたしはおじいさんのことを大好きになった。
夢であろうとなかろうと、あんなに優しい人をわたしは未だ知らない。目覚めてから夫に尋ねると、優しい人だったそうだ。前にも夫はそういったが、わたしには信じられなかった。
本来が優しかったところへ、成仏して菩薩のような優しさが加わっていたのだろう。
この世の人で、あれほど無条件に優しい人はいない、この世の人の過剰な優しさは欠落を感じさせるが、充実した、実りのような優しさだった(うまく表現できない)。
そして、現実には義祖父を写真で観て、義祖父が夫にも夫のおとうさん(舅)にも似ていないと思っていたのだが、夢で会った義祖父には舅を想わせるところと、夫を想わせるところがあり、自然の造形の妙に打たれた。
わたしは夢の中で夫と喧嘩して、義祖父の背中の後ろに隠れ、義祖父に甘えたりした。
「おじいさんがもっと早く目を覚ましてくれていたら、わたしは婚家でいじめられることも、夫と喧嘩することもなかったのに。おじいさん、おじいさん、大好き……」と、わたしは夢の中で、おじいさんにそういったようでもあり、思っていただけのようでもあった。
どうして、長くあんなところで眠っていたのだろう、とわたしは不思議だった。わたしの知らない親戚の人々――現実に会ったことのある夫の親戚の人々とは異なる、知らない人々――がいて、皆で何となく御祝いをしようとしていた。
わたしはただ、おじいさんの優しい雰囲気にうっとりとし、甘えていた。
結婚して34年になるが、新婚時代から、わたしはこの義祖父の成仏を願ってきた。成仏していないと確信していた。
想像の義祖父に反発したり、悪霊扱いしたり、妄想だろうか、とわが脳味噌を疑ったりしながら。
これが、わたしの今生の課題の一つだと感じていた。
おじいさんの夢は、雑念が作り出した条件反射的、生理的な夢ではなく、霊的な夢だと感じている。おじいさんは成仏したのだ。この世に囚われていたために、あの世の人としては昏睡状態にあったのだと思う。
自分の生きているうちに、義祖父を成仏させることに成功しなければ、わたしは自分が死ぬときに彼を連れて行くつもりだった。もし、それに失敗して、自分も成仏できなかったらと思うと、怖かった。そこまでつき合うつもりはないが、何せあの世の細かいことはもう一度死んでみなくてはわからない。
毎日ではないけれど、心の中で語りかけたり、あの世の魅力を語ったり、夫の嗜好に依存(憑依)しないよう、夫の依存体質を改善しようと、いろいろやってみたが、どうもおじいさんが成仏できたようには思えなかった。
義祖父が幸福でいるという感じが伝わってこなかった。
義祖父は酒好き、遊び好きな人であったという。映画や競輪が好きで、蛍狩りにも夫は連れて行って貰った。
あの世はもっと壮大な遊び場であることを、わたしは義祖父に心の中で説いた。死んだばかりの人のために、あの世にもお酒に似たものはあると思うと語りかけた。
孫を愛するあまり、心配してくれているのだとしたら、あの世からのほうがもっと効果的に見守れるはず、といって安心させようとした。
義祖父の成仏を確信できないまま、何年も経ったが、今日、確信した。
たぶん、義祖父は成仏した。おめでとう!
義祖父の夢を見たのは初めてだった。
まあ、全てがわたしの妄想と思っていただいたらよいと思う。本当にこれまでのわたしの努力は妄想の中で行われ、すばらしい夢もただの夢だったのかもしれないので。
ただ、わたしは神秘主義者で、神智学協会の会員でもある。きちんと書き残しておきたいと思うのだ。
またわたしは自称作家でもあるので、結末が決まらないまま、義祖父をモデルに小説を書き始めていた。執筆計画が充分でないまま書き始めたものなので、つまらない冒頭となっている。いずれ、書き直すつもり。
- カテゴリー:連載小説「善五郎に捧げるレクイエム」
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