歴史短編1のために #16 教科書から消えた「士農工商」。5種類はあった江戸時代の子の種類。
#13で、例外が多いなあと思っていた「士農工商」の定義を改めて意識した。
- 2015年4月18日 (土)
歴史短編1のために #13 身分の序列を厳格に規定した「士農工商」令を発布した将軍は誰?
そして、ふと考えた。あれっ、身分の序列を厳格に規定した「士農工商」令――正式名称はええっと?――を起草したのは誰だったっけ? 発布した将軍は?
わたしはハビアンのごとく、動揺を来した。
思い出せない。(……)
江戸時代を調べれば調べるほど、大雑把と思っていたところがきちんとしており、厳格と思っていたところが大様という不思議さがあった。そして、「士農工商」を厳格に規定した法度をまだ見ていないことに気づいたのだ。
頭の中が真っ白になってググってみると……
わたしは1958年2月生まれで、江戸時代には「士農工商」という身分が厳しく定められていたと教わった。「士農工商」に属さない「穢多・非人」という最下層の人々が存在したことも教わり、巡回映画『橋のない川』を観せられた。
そのことを格別疑うこともなかったのだが、江戸初期に生まれた花山院萬子媛について調べものを進めるにつれ、「士農工商」という身分制度にはずいぶん例外が多いように感じ出した。
萬子媛が、別格とされた(?)範疇外の公家から、武家すなわち「士」へ嫁いだことだって、身分制度からすれば、ずいぶんな例外ではないだろうか。こんな例外が見つかりすぎるのである。
例えば、大石学『史上最強カラー図解 江戸時代のすべてがわかる本』(ナツメ社、2009年、p.170)で描かれた曲亭馬琴の場合は武士身分に生を受け、浪人を経て、その後町人――雑貨商の家に婿入りした――となっている。
馬琴の息子が松前藩の医者となって、滝沢家は再び武士身分となるが、息子が早世したため、馬琴は孫に幕府御家人の株を買い与えた。
大石氏は「このように、馬琴や彼を取り巻く人々の生涯は、江戸時代の人々の身分に対する意識や、固定的な身分制という我々の通念に大きく疑問を投げかけるのである」とお書きになっている。
改めてググってみると、ブログ「こはにわ歴史堂」の次の記事がヒットしたので、閲覧させていただいた。
目から鱗だった。
ウィキペディアにも、わたしが教わったことはもう古いといわんばかりの記述がなされている。
概要
士農工商(四民)は、古代中国から用いられた言葉で紀元前1000年頃には既に見られる。意味としては、漢書に「士農工商、四民に業あり」とあるように、「民」の職業は4種類に大別されるということになる。そして、これを連続して表記することで、「老若男女」のように、あらゆる職業の民、つまり「民全体」または「みんな」といった意味で使われる。
近世日本では、遅くとも17世紀半ばまでに「士」が武士を意味するように意味が改変されて受け入れられた。また、近代以降には「士農工商」が近世の身分制とその支配・上下関係を表す用語として認識されるようになった。しかし、1990年代になると近世史の研究が進み、士農工商という身分制度や上下関係は存在しないことが実証的研究から明らかとなり、2000年代には「士農工商」の記述は教科書から外されるようになった。これに関係して、「四民平等」も本来の意味(すべての民は平等)ではなく、「士農工商の身分制からの解放」という認識を前提に用いられたものであったため、教科書から消された。ただ、昭和時代の教育を受けた人を中心に未だ士農工商は身分制として認識されていることがある。
なお、上記はあくまで近世日本に「士農工商という身分制」が存在しないということであって、「士農工商」という言葉は当時も(本来の意味で)用いられており、「身分制」も存在していることに注意されたい(実際の身分制については士農工商#歴史を参照のこと)。
(……)
図書館から借りてきて読んでいる松田敬之『次男坊たちの江戸時代 公家社会の〈厄介者〉』(吉川弘文館、2008年)には、「江戸時代、公家とはどの範囲までを指すのか、非常に難しい点であろう」(p.12)と書かれている。
公家の家族の範囲がはっきりしないのである。現代社会では、「子」の種類は実子と養子くらいなものだが、「江戸時代の子どもの種類は多種多様であり、子[こ]・実子・養子・密子[みつし]、猶子[ゆうし]とだいたいこの五種類に分類される」(p.14)とある。
サブタイトルにある「厄介」とは、「家長の傍系親[ぼうけいしん](兄弟姉妹またその子孫間の関係の意)で被扶養者のことを指している」(p.2)そうだ。
ちなみにウィキペディアによると、インドのカーストには大英帝国時代の植民政策のために歪められ、捏造された部分があるらしい。カースト:Wikipedia
神智学を研究する中で、前にそのようなことを読んだ気がする。
ところで、教科書から消えたのは「士農工商」だけではないという。次の動画で、「聖徳太子」が消えたと語られているのには驚いた。
厩戸皇子まで消えたわけではないようなので、ホッとした。
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