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2015年3月 5日 (木)

#10 漱石の講演録「文芸の哲学的基礎」を読了し、ショックから抜け出せなかった昨日

Notes:夏目漱石・インデックス

#9で、漱石の講演録「文芸の哲学的基礎」を読みかけていると書いた。

それを何とか読了したものの、昨日一日受けたショックから抜け出せなかった。

お札にまでなった夏目漱石。何て、滅茶苦茶な文学論を展開するのかと呆れ、漱石が国民作家と崇められ続けてきた現実と、そのことでどれだけ日本人の読書環境、情操が損なわれ続けてきたかを思うと……(絶句)。

これほど神格化されることなく、一作家として、実力に応じた遇され方をしたのであれば、それほどの問題はなかったのかもしれない。が、漱石を神格化した勢力が日本には明らかに存在していて(その勢力は、村上春樹を第二の漱石にしようとしたと思われる)、彼らの目的が何なのかをわたしは疑う。

わたしは以下の電子書籍で村上春樹にかんする評論を書いたが、食わず嫌いせず、もっと早い時期に、漱石をちゃんと読むべきだった。まあ無力なわたしがそうしたからといって、それでどうなるというわけでもないのだが。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

ハーヴァード大学のカレン・L・キング教授がイエスにかんする重大な発表を行っても、バチカンが公式にひとこと否定して、それで終わりなのだから、わたしなんかがここや電子書籍で声を限りに叫んでも、南海の孤島からボトルメールを日本に向けて流すのに等しい。

ウィキペディアによると、幸い、漱石は欧米での知名度はあまり高くないという。そりゃそうだろう! 村上春樹を高く評価したジェイ・ルービンが漱石を積極的にプッシュしているようで、苦笑してしまった。

漱石の小品にはすばらしいものがあるから、作品のどこかで引っかかったりしながらも、その引っかかりが問題意識にまで発展するに至らず、追究しようとはしなかった(小品を読む程度で、興味がなかった)。だから、今日になるまで漱石の文学の全貌がわからなかったのだった。最近になって、ようやく読み始めてからは驚きの連続……

「文芸の哲学的基礎」を研究した学者も少なくないだろうに、なぜ、漱石の文学が問題視されないのか、不思議である。問題視した学者、評論家は潰されたのだろうか。

勿論、「文芸の哲学的基礎」がどんな思想家の影響を受けているのか、きちんと調べられているのはさすがに学者の仕事だとありがたい思いでいっぱいになる。

しかし、漱石が影響を受けたとされるウィリアム・ジェイムズにしても、漱石がウィリアム・ジェイムズに本当の意味で影響されたのか、そうではなく、漱石が自分の勝手な都合で断片を拝借し、結果的にウィリアム・ジェイムズの仕事を貶める結果になったのか、そこのところは究明されなくてはならないはずである。それでなくては、研究とはいえない。

当記事のトップに挙げた拙過去記事で、わたしは漱石の因果の法則にかんする解釈に疑問を呈し、「漱石は、キリスト教史観(直線史観)と東洋哲学でいう因果の法則をごちゃ混ぜにして論じているのではないだろうか。ずいぶん滅茶苦茶な内容に思えてしまう」と書いたが、ウィリアム・ジェイムズに因果の法則にかんするものがあるのだろうか。漱石のいう因果の法則とは、東洋哲学でいう因果の法則ではなく、ウィリアム・ジェイムズのいうそれなのだろうか。

西洋哲学由来の因果の法則であるならば、そう説明すべきであろうが、いずれにしてもわたしには漱石のいう因果の法則は東洋哲学でいうそれとしか思えない。

わたしは、まだプラグマティズムの哲学者ウィリアム・ジェイムズを読んではいない。

だが、弟のヘンリー・ジェイムズの小説は――まだ読み残しのほうが多いにせよ――愛読している。この二人はよく比較され、両者共に比較に耐える人物であることを思えば、ウィリアム・ジェイムズの哲学も弟の小説と同レベルの高さを持っていると想像するのが自然ではないだろうか。

その想像からすると、漱石の「文芸の哲学的基礎」はあまりといえばあまりの「猫踏んじゃった」ではあるまいか。だから、漱石がウィリアム・ジェイムズの影響を受けたということに、ウィリアム・ジェイムズを読む前から疑問を抱かずにいられない。

「ねじの回転」はよく知られているヘンリー・ジェイムズの小説で、幽霊小説としても、心理小説としても読める名作である。わたしは何度読み返しても、物書きとしての羨望のため息が出る。過去記事で、「ねじの回転」に触れている。

  • 2010年8月 6日 (金)
    真夏の夜にジュニア向きホラーは如何?
    https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/08/post-1bd7.html

     わたしがこれまでの人生で一番ぞっとさせられた文学作品は、ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』です。次が泉鏡花の『草迷宮』。
     どちらもこの世の深淵を垣間見せてぞっとさせながら、襞に秘められた魅力……とでもいうべきものを教えてくれました。

もう一編、過去記事でヘンリー・ジェイムズの「ボストンの人々」に触れている。長いので、ライン以下に関係のない部分を除き、折り畳んでおく。

わたしはその記事の中で、「ヘンリー・ジェイムズはボストンのいわば凋落の秋を『ボストンの人々』という作品で描いた。そこは俗物時代が到来し、拝金主義が蔓延る世界だった」と書いたが、そういえば、漱石も頻りにお金のことを恨みがましく書いた男であった。

ヘンリー・ジェイムズのお金と人物の描き方は、漱石とは著しく異なる。漱石が貶すモーパッサンにしても、ゾラにしても、その描き方はそれぞれに個性的だが、それを描くときの作家の透徹したなまざしを感じさせるという点では、モーパッサン、ゾラ、ヘンリー・ジェイムズには共通したものがある。

漱石の小説とは明らかに違う。モーパッサン、ゾラ、ヘンリー・ジェイムズは社会的視点を感じさせる。お金と人間の関わり方を見通しの利く世界の中で見事に描いてみせたが、漱石の場合は「私」の域を出ていないように思える。

社会的視点が感じられないため、作者の愚痴、よくても世間話のようにしか感じられないのである。むしろ、だから人気があるのかもしれないが、文学作品として評価しようとする場合、貧弱に感じられるのは否めない。

例えば、主人公が騙される話なら、モーパッサン、ゾラ、ヘンリー・ジェイムズの小説では、騙される主人公、騙す人間の人物像だけでなく、そのときの社会状況や経済の動き、人間関係がどのようなものであるかが鮮明に浮かび上がってくる。

漱石の場合は、騙された側の苦境や心理状態はよく描かれているが、そのときの社会状況や経済の動きまではわからない。

明治の初期には、江戸時代の経済の仕組みが崩壊して混乱があったようだし、明治時代を通して激動の時代だったわけだから、そうした時代背景をもっと感じさせていいはずだが、あまりそうした情報を得ることはできない。

林芙美子の小説では、さすがにその辺りはよく描かれている。ちなみに、バルザックの小説は経済学者が引用するほど、経済情報が書き込まれているそうだ。ゾラの金融小説は圧巻である。

また、「文芸の哲学的基礎」では、文芸家の理想として美、真、愛及び道義、荘厳とあるが、具体例があまりに低俗なものばかりなので、どれも同じに思えてしまう。

当記事で挙げた欧米の作家たちの小説には、美、真、愛、荘厳が気高い輝きを放って(漱石のいうそれらとは意味合いもムードも違うものだが、それらの言葉を連想させるだけのものがある)、美も真も愛も荘厳も分かちがたく存在しており、そうした小説を愛読してきたわたしには、漱石の分類の意味がさっぱり呑み込めない。

その分類も、どこからか借りてきて、勝手な使い方をしているのではあるまいか。そう疑いたくなるほどの奇妙さだ。

シェークスピアからは妙な圧迫を受けるだけで不愉快(技巧のあるところはよいそうだ。その点デフォーは駄目だそうで)、イプセンは不愉快な女を書いた、軽薄な落ちを作るモーパッサンも不愉快だそうだ。

ゾラに至っては「ゾラ君は何を考えてこの著作を公けにされたものか存じませんが……ゾラ君なども寄席へでも出られたら、定めし大入りを取られる事であろうと存じます」と偉そうに講演なさる漱石先生は、批判するゾラの著作のタイトルさえ解説なさらず、ゾラも余席も〈普通の人〉もまとめて馬鹿扱い。ゾラとモーパッサンは、ほとんど探偵と同様に下品でもあるとか。探偵をなさっている方にも失礼な物言いだ。

芭蕉の俳句は消極的、李白の詩は放縦……

ここまで読むと、わたしはもう恥ずかしい。これが日本の文豪だというのだから。頭がおかしいのではないかとすら、疑ってしまう。

以下の過去記事で、李白の「月下独酌」を山本和夫訳で紹介し、短い感想を書いている。

  • 2010年9月20日 (月)
    更新のお知らせ。山本和夫編『ジュニア版 世界の文学 35 世界名詩集』(岩崎書店、昭和44年)より。
    https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/09/post-baaf.html

    酒仙、李白の詩をジュニアのわたしは、ふん、と思っただけでしたが、今は惚れ惚れします。道士の修行をしただけあって、雄大ですわ。李白の詩からは、芳醇な老荘思想の香りがしますわね(わたしは結婚後はほとんどお酒を呑まなくなったせいか、酒呑みは嫌いです。李白みたいな酒呑みって、いませんもの)。

何だかわたしまで頭がおかしくなった気がするが、気をとり直して、まずは、ウィリアム・ジェイムズの著作を読むことから始めなくてはならない。

それには時間がかかるだろうし、今は他にしたいことがあるので、とりあえず、2本の記事(メモ)をまとめ、ノートとはいえもう少し整理して、「国民作家・夏目漱石の問題点と、神智学協会の会員だった鈴木大拙 ④漱石の異常な文学論 #1」を書いておこう。

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2010年12月 5日 (日)
ナンとかしたい、この不調。シネマ『グローリー』について少しだけ。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/12/post-e00b.html

昨日、南北戦争時代に北軍で結成された初の黒人部隊、マサチューセッツ第54連隊を題材にした、男の美学タッチの映画『グローリー』関連で調べたことがあった。

第54連隊を率いた将校は白人の若きショー大佐で、マサチューセッツのボストン出身。彼の父親は著名な奴隷解放論者だった。

彼は難攻不落のワグナー要塞において先鋒役を志願するが、それは戦闘においてさえ、肉体労働しか認められなかった黒人たちに、栄えある先鋒をつとめさせることで、彼らに人間としての尊厳を取り戻させようとする行為だった。

ショー大佐はまるでベルばらのオスカルのようにカッコよく戦死し、ワグナー要塞の攻略には失敗したが、第54連隊の勇姿はアメリカ合衆国の歴史に刻まれた。

マサチューセッツ州議事堂の対面に第54連隊の顕彰碑があるそうだ。ショー大佐が南北戦争中に書いた200以上の手紙はハーバード大学のヒューストン図書館に納められているとか。

ショー大佐が出てきた背景を考えたとき、わたしにはぴんとくるものがあった。キイワードはボストンだ。

ボストンは、アメリカ開国から南北戦争の頃まで、ひじょうに特殊な土地柄で、アメリカのアテネと呼ばれた黄金時代をつくったことで知られる。ニュー・イングランド精神の中心地だった。

このニュー・イングランド精神が何かだが、独断でいってしまえば、これはフリーメイソンの思想と切り離せないものだと思う。

イギリスで生まれたフリーメイソンは新天地アメリカで理想の実現を見ようとした。アメリカのフリーメイソンはボストンで設立された。ボストンの栄枯盛衰は、アメリカにおけるフリーメイソンの変遷を物語る資料となりうると思う。

ボストンは南北戦争を境に凋落したというから、皮肉なものだ。ヘンリー・ジェイムズはボストンのいわば凋落の秋を『ボストンの人々』という作品で描いた。そこは俗物時代が到来し、拝金主義が蔓延る世界だった。

南北戦争が経済戦争の側面を持っていたことを考えると、戦争の結果がボストン市をどんな風に飲み込んだのかの想像が朧気ながらつく。

また、奴隷解放論は社会改造運動の一環として出現したものであって、女性解放運動とも連動していたのだが、『グローリー』では女性の匂いは極力排除されている。

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