「善五郎に捧げるレクイエム」連載第1回
年賀状を書くはずが(あと半分ほども残っています)、なぜか小説の続きを書いてしまっていました。
以下の過去記事で、何となく書き始めた小説です。
- 2014年6月14日 (土)
またミューズが舞い降りた
https://elder.tea-nifty.com/blog/2014/06/post-52e9.html
本当は他に、自分のために書きたい小説があるのです。
- 2014年11月24日 (月)
今年中に書きたい、自分のためのロマンティック(?)な短編小説
https://elder.tea-nifty.com/blog/2014/11/post-9cc8.html
対して、こちらは書くのが億劫な小説なのですが(面白くないでしょうし)、書き始めたからには義務感に駆られて仕方なく、と申しましょうか。
まあよほど気が向かれたら、どうぞ。賞に出そうなんて全く思わないため、連載します。気が向いたときの連載となりますが、気が向くことはあまりないかもしれません。勿論、フィクションです。
この小説で今日は潰えましたが、朝心臓の発作を起こしたので、休養になってよかったのかもしれません。
夜は年賀状を書かなくちゃ。東京、神奈川辺りが残っているので、それだけでも済ませなくては。では、連載第1回をお届けします。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「善五郎に捧げるレクイエム」
港がすたれ、旅館街に客が来なくなった。客が来なくなっても、善五郎[ぜんごろう]は毎日、帳場に座っていた。旅館街には、みうらや、いろは、水月[すいげつ]、七福、みゆき――といった旅館があった。
善五郎が座っていた帳場は、水月の帳場だった。旅館は細々と続いていた。善五郎が亡くなると、旅館はその歴史を閉じた。
善五郎はなにがしかの想いを残して亡くなったのだろう。亡くなったあと、お迎えを拒んだようだから。
善五郎は律儀に仏壇を住居としていた。といっても、そこは現住所であって、よほど帰りたいときに帰るだけで、彼はお客になるほうが好きだった。
見えない体となってからも、善五郎は一番仲良しだった孫と多くの時間を過ごしていた。幽霊になってからも、孫は彼にとって可愛い男の子であった。男の子が青年となり、中年となっても、依然として彼には可愛い男の子であったのだ。
人として生きていた頃は、孫が小学三年生になったとき、離ればなれになった。息子一家は孫と一緒に、老夫婦を伊万里に残して引っ越してしまった。旅館を継がなかった息子の仕事の都合によるものだった。
旅館の帳場に座り続ける善五郎の姿が、パソコンの前に座り続ける今のわたしの姿に重なる。自己出版した電子書籍が売れるのを待つわたしは、泊まり客を待つ善五郎にそっくりではないか。
わたしは夫に、自分が如何に彼の祖父の善五郎に似てきたかを話した……
― 第一章 ―
結婚後、初めて北九州の婚家に泊まった晩、わたしは善五郎と心霊的な対面をした。
霊的という高級な霊的現象を指す言葉をわたしは使い慣れているが、その言葉では表現できない不純物を含む現象に想われたので、心霊的と表現したい。
里帰り出産をするために帰省していた義妹りか子とその夫匠平[しょうへい]、義父母が、居間でくつろいでいた。その空気に馴染めないものを感じていたわたしは、義母に二階に上がって布団を敷いてくるようにいわれたとき、ホッとした。
そこで寝るようにいわれた二階の部屋に、仏壇があった。驚いた。
仏壇のある家として連想されるのは父の実家で、仏間は、家中で一番明るく、綺麗な客間でもあった。壁の高いところにはご先祖様の写真がずらりと並び、大きな仏壇は季節の花々で彩られ、お盆には分家の者たちが勢揃いするという、農村ではありふれた光景が見られた。
仏壇の前で親戚一同、食べたり飲んだりしながら談笑し、歌った。
父が帰宅していれば、こうした集まりではエンターテイナーとなるのが常なので、喉を震わせて歌声を披露したことだろう。耳につく、その黄色い歌声がわたしは恥ずかしかったが、皆を存分に楽しませ、座を盛り上げている姿は芸能人のようで、自分の父親ながら、ちょっと魅力的だと感じたりもした。
が、船員の父は不在であることが多かったから、わたしと妹は母に連れられてお盆に父の実家を訪れ、まず仏壇の前で手を合わせた。そのように躾けられた。
いつからか、手を合わせていると、仏壇が輝いてくる錯覚を覚えていた。それがわたしにとっての仏壇のイメージだった。
婚家にある仏壇は簡素だった。たまたまだろうか、花はなく、御飯が添えられていた。
仏壇にはどなたが祀られているのだろうと思いながら、線香を点じ、手を合わせた。
「お初にお目にかかります。彰[あきら]さんの嫁となった絢子[あやこ]です。ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした……」
そのとき、仏壇の奥の暗がり――暗がりと感じられた――から、卑しい、好奇心に満ちた目の光を感じたような錯覚を覚え、「えっ?」と思った。戦慄を覚えた。
わたしには自身を神秘主義者と分類できるだけの内的な体験があったが、それは美しいと感じられる性質を帯びたものだったから、そのような心霊的な初体験に戸惑い、どうしたらよいのかわからなかった。
気のせいだろうか?
幽霊を見たわけではなかったので、気のせいだと思い込むことはそう難しいことではなかった。
わたしは一旦階下へ行き、団欒に加わった。
時折、義妹りか子の賑やかな声が響くが、団欒はなぜか陰気だった。わたしは頃合いを見計らって話題づくりに挑戦してみるが、そのたびに浮いてしまう。わたしの話題には、誰も積極的に加わらなかった。
義父は寡黙な人であった。義母は性格の強[こわ]いタイプで、わたしが話し出すと、あからさまに顰めっ面をするような人。その反面、世話好きで、何をさせてもできるタイプといえた。
元来おしゃべりで、笑いをとるのが好きなわたしは、途方に暮れた。何か気に障ることをいったかしら、と当たり障りのない話題のつもりだった話の中身を総点検してみたが、わからなかった。
夫の彰は、匠平と並んでテレビの前にいた。それぞれが一人用ソファに身を預けている。彰は酔っ払ったとろんとした顔で、満足げな表情にも見える。
りか子も匠平も彰より二歳下、わたしより五歳上で、共に九大卒だった。匠平は商社マンだった。
彰から、彼の妹のりか子が大学で考古学を専攻したことや音大を目指した時期があったことなど前もって聞いたとき、嬉しかった。早く話してみたかった、
しかし、実際に話してみると、福大卒の彰とわたしはりか子と匠平から、完全に下の階級の人間と見られていることを感じないわけにはいかなかった。
わたしには、真理子[まりこ]ちゃんという幼馴染みがいた。そばかすのある可愛い顔をしていて、強[こわ]い髪の毛を三つ編みしていた。講談社の「世界の名作図書館」で、『長くつ下のピッピ』を読んだとき、挿絵を見て「真理子ちゃんだ!」と思った。
賢くて、三つ年下のわたしに優しかった真理子ちゃんは九大の文学部に進み、高校の先生になった。小学校で盛んに相合い傘を書かれた相手の男子は母親が友達同士で、彼とも幼馴染みといってよかったが、彼も九大に行った。
「九大に行った人」のイメージが彼ら子供のころの幼馴染みで出来上がっていたわたしには、そのイメージが壊れてしまった。
自分が誰からか下の階級の人間と見られていると感じたことなど、初めてだったが、彰が同じことを感じているのかどうかは、わからなかった。
仮に感じていたとしても、意に介していなかったのかもしれない。この家で最高に優遇されていた匠平は、義理の兄に対するそれなりの敬意は払っていたし、義母は「彰ちゃん」をちやほやしたから、それで満足なのだろうとわたしは解釈していた。
義母に先に寝るように促され、わたしは仏壇のある部屋に戻った。もう仏壇のことなんか、気にせず、布団にもぐった。下から爆笑が起きた。
何だろう?
わたしがいたから、あんな陰気なムードになっていたということなのだろうか。腹立たしいというより、哀しいというより、訳がわからなかった。こんな扱いを受けることは初体験だったので、どう解釈してよいのかわからなかったのだ。
わたしはしくしく泣き出し、泣き疲れて寝てしまった。眠りが浅かったのか、彰が階段を上がってきた足音で目が覚めた。
「今、何時?」
「三時すぎ」
「楽しそうだったわね。わたしがいないほうが、皆、楽しめるみたい。なぜ?」
「そんなことない、気のせいだよ」
布団に滑り込んできた彰の手を払いのけて、訊いてみた。
「あそこにある仏壇には、どなたがいらっしゃるの?」
「先祖の誰や彼やだと思うよ。戦死した伯父さんとかさ」
誰や彼やって……と、わたしは彰の言葉を心の中で繰り返し、再び驚いていた。
「あの淋しそうな仏壇に、そんなに沢山いらっしゃるというの? あなた、昨夜ここに着いてから、お参りした?」
「ああ……いや」
「仏壇があるのに、お参りしないの?」
わたしには驚くことばかりだった。
のちに聞いたところによると、仏壇の位牌は彰の父方の祖父母のものだそうだ。唐津にある本家で本格的に祀られているが、祖母の最期を看取った縁で、祖父母の位牌があるのだという。
こちらでも、お坊さんを呼んで、供養はなされているのだそうだ。
婚約中に彰のほうの親戚回りをしたときに行った唐津のことは覚えていた。唐津では二箇所行ったが、本家がどちらだったかはわかった。
父方の祖父――すなわち善五郎は、彰が中学一年のときに伊万里で亡くなった。
善五郎には五人の息子があったが、末の男子は後妻の子であった。その末の男子が彰の父であり、善五郎に死なれて未亡人となった母親を引き取ったのだった。
いずれにしても、先妻の四人の息子は自分たちを捨てて唐津の家を出て行った善五郎を許さず、善五郎が生きているうちから、面倒を見る気はないと明言していた。
善五郎は、村の青年団で作った芝居一座の中心人物であったが、それにすっかりはまり、旅芸人となってしまったのである。伊万里川の川縁にある旅館を譲り受けたのは、後年の話であった。
仏壇が二階にあるのは、仏様の上に寝ないためだという話だった。
あの仏壇に彰の祖父母の位牌しか存在しないのならば、男性的な卑しい目の光と感じられたものの正体は、彰の亡くなった祖父であるはずだ。そんなことがあっていいのだろうか?
「お祖父さんの名前を教えてちょうだい」
「善五郎」
やがて、わたしたちの新居には彰の祖父の善五郎が同居しているらしいことが、わたしには嫌でも感じられた。
姿は見えず、時々その存在が「心霊的に」感じられ、彰を観察してそれと感じられるだけだったから、これを空想譚に分類することはそう難しいことではない。
空想譚にするほうが気が楽である。
善五郎、この小説をわたしは書きたくて書くわけではない。一日も早く成仏して貰いたいがために、情けを込めて書くのだ。
この小説は、善五郎に捧げるレクイエムである。(連載第2回に続く)
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