#3 神仏分離政策の影? ②「こころ」のKの気になる境遇、藤村操の自殺
ウィキペディアの「夏目漱石」を閲覧して思ったが、「こころ」のKには、藤村操がモデルとなっている部分があるのではないだろうか。
「吾輩は猫である」「草枕」には藤村の死について言及した箇所があるようだ。創作だから、死に方や境遇は異なっても、藤村の死がモチーフとなって「こころ」のKが造形化された可能性はあるだろう。
藤村は漱石の生徒だった。英語の授業中、漱石に叱責され、その翌日、華厳の滝から身を投げた。漱石の叱責が藤村の死の原因だとは思えないが、漱石は衝撃を受けたようだ。以下、ウィキペディアより、部分的に引用してみる。
藤村 操(ふじむら みさお、1886年(明治19年)7月 - 1903年(明治36年)5月22日)は北海道出身の旧制一高の学生。華厳滝で投身自殺した。自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時のマスコミ・知識人に波紋を広げた。
(……)
1903年(明治36年)5月22日、日光の華厳滝において、傍らの木に「巌頭之感」(がんとうのかん)を書き残して自殺。厭世観によるエリート学生の死は「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出した。警戒中の警察官に保護され未遂に終わった者が多かったものの、藤村の死後4年間で同所で自殺を図った者は185名にのぼった(内既遂が40名)。華厳滝がいまだに自殺の名所として知られるのは、操の死ゆえである。
(……)
彼の死は、一高で彼のクラスの英語を担当していた夏目漱石やその同級生、在学中の岩波茂雄の精神にも大きな打撃を与えた。漱石は自殺直前の授業中、藤村に「君の英文学の考え方は間違っている」と叱っていた。この事件は漱石が後年、うつ病となった一因とも言われる。
(……)
藤村が遺書として残した「巌頭之感」の全文は以下の通り。巌頭之感
悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
藤村操の父は屯田銀行頭取(1899年の死は自殺ともいわれる)、弟は建築家で三菱地所社長となり、妹の夫安倍能成は漱石門下の哲学者で学習院院長や文部大臣を歴任、叔父は歴史学者という錚々たる顔ぶれだ。
友人たちがまた凄い。岩波書店創業者の岩波茂雄、英文学者・能楽研究者の野上豊一郎(妻は野上弥生子)。友人たちの追悼文はウィキに「日本ペンクラブ:電子文藝館 藤村操」へのリンクがあり、読める。⇒ここ
そして、英語講師としての漱石である。
やはりウィキに、明治36年5月27日報知新聞『新聞集成明治編年史. 第十二卷』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)へのリンクがあって、藤村操の死を報じた新聞記事が読める。⇒ここ
新聞記事のタイトルは「巌頭の感の一文華厳瀧の轟きより強し」で、そのタイトルからも記事の内容からも、当時の興奮した、ほとんど絶賛しているかのようなムードが伝わってくる。そのムードはわたしが学校に通っていたころも残っていた。
いつ、どの先生から教わったのか覚えていないが(高校時代に複数の先生から教わった気もする)、藤村操について聴かされて、語呂がいいので、遺書を当時は諳んじたりしたものだ。
ノイローゼだったに違いないとは誰しも思うところだろうが、わたしも当時、膀胱神経症で苦しんでいたので、他人事ではない気がした。
前掲の明治36年5月27日付・報知新聞に、「京北中学校を出で、目下高等学校文科第一年に学び、哲学宗教を専攻しつつありたれば」とある。
ノート(1)で、「わたしが中・高校生だったころ、誰からともなく、哲学書を読むと発狂するとか自殺するとか脅かされた」と書いたが、そうした哲学を忌避する風潮には、藤村操の自殺がかなり影響していたのかもしれない。
明治時代の出来事がいつまでも尾を引いたのは、国民的作家となった漱石はじめエリートたちが藤村操をいつまでも忘れなかったからだろう。
それは藤村操の陥った不可知論に、日本のエリートたちが陥っていたためではないだろうか。今なお、そうかもしれない。
遺書に出てくるシェークスピアの「ハムレット」以外に藤村が何を読んだのかは知らないが、旧制高校生が好んだのはデカンショ――デカルト、カント、ショーペンハウエル――だった。
いわゆる近代哲学で、ワタクシ的にはデカルトには少し興奮したが、古代哲学に比べると、彼らの哲学は小さくて、縮こまっていて、乾燥しているという印象だ(無知なわたしの偏見ととられてもいいが)。とめどもなくバケツから溢れ出る新鮮なミルクと干からびたチーズのかけら、といった違いを感じる。
その中でもとりわけ小さな印象のショーペンハウエルの以下の本は、わたしが若かったころにはよく読まれていたように思う。わたしも一応読んだが、つまらなかったことしか覚えていない。
自殺について 他四篇 (岩波文庫)
ショウペンハウエル (著), Arthur Schopenhauer (原著), 斎藤 信治 (翻訳)
出版社: 岩波書店; 改版 (1979/04)
いきなりそんなものを読むくらいなら、プラトンの1冊でも読むほうがずっといいと思う。「ソクラテスの弁明」では、思想の美しさに触れることができるだけでなく、言葉の正確な使い方を学ぶことができるので、高校生から大学生におすすめ。
哲学はどんどん細分化され、下請け企業的になっていった感じがある(今は、下請け企業だけが存在している不思議な状況)。
※ちなみにブラヴァツキーはショーペンハウエルを評価し、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)には複数の引用があるので、再読の必要を覚えているが、それでもプラトンとはやはり格が違うように思う。ブラヴァツキーの扱いでもプラトンは、「ピタゴラスやプラトンから新プラトン派に至るまでの偉大なアデプト達」(ブラヴァツキー、田中&クラーク,1989:序論p.169)という記述からもわかるように別格と思われる。
藤村の自殺は、哲学的自殺の典型例とまでいわれているらしいが、そもそも、遺書に戯曲から引用すること自体、哲学的というより、演劇的だ。含蓄のあるシェークスピアの言葉であるにせよ(藤村の遺書にある英語解釈は間違っているらしい)。いずれにせよ、カッコつけすぎではあるまいか。
漱石はイギリスに留学して英文学に違和感を覚え、神経衰弱に陥った。。
「不可解」と書いて投身した藤村を時代のシンボルに祀りたくなるほど、知識人たちは疲弊していたのだろう。考えられる原因として、日本の精神的土壌が破壊され、なすすべもないほど荒んでいたからではないだろうか?
漱石がイギリスで神経が参っても、母なる日本、誇り高き存在であるべき日本、伝統と永続性を感じさせる安らぎの国であるはずの日本には、それを受けとめる力がなかった。否、日本がそんな状態だったからこそ、漱石は健やかにイギリスで過ごせなかったともいえる。
明治政府の神仏分離政策によって、日本の精神的土壌、文化的環境はひどく損なわれ、変化していたのだ。
Kに、藤村の自殺が投影されているのかどうかはわからないが、Kの境遇は藤村とははっきりと異なるものだ。漱石は、別の人物の境遇を参考にしたのではないだろうか。全くの空想の産物にしては、Kの境遇は、漱石にもうまく説明できない、不透明感のあるものだからだ。
そこには神仏分離令の影響があるのではないだろうか。
ウィキペディア「寺請制度」によると、江戸時代、キリシタンに悩まされた幕府は、寺請制度を設けた。寺院は檀家に対して自己の檀家であることを証明するために寺請証文を発行した。民衆はいずれかの寺院を菩提寺と定め、その檀家となることを義務付けられたのだった。
寺請制度:Wikipedia
僧侶を通じた民衆管理が法制化され事実上幕府の出先機関の役所と化し、本来の宗教活動がおろそかとなり、また汚職の温床にもなった。 この事が明治維新時の廃仏毀釈の一因となった。
1868年、明治政府により出された神仏分離令により、それまで行われてきた神仏習合が禁止されたのだった。これは、廃仏毀釈運動と呼ばれた。わたしが初の歴史小説で描こうとしている祐徳院は神仏分離により、祐徳稲荷神社となった。
伊勢国(三重県)では、伊勢神宮のお膝元という事もあって激しい廃仏毀釈があり、かつて神宮との関係が深かった慶光院など100ヶ所以上が廃寺となった。その為、全国平均に較べて古い建物の数自体が少なくなっている。
明治政府は神道を国家統合の基幹にしようと意図した。一部の国学者主導のもと、仏教は外来の宗教であるとして、それまでさまざまな特権を持っていた仏教勢力の財産や地位を剥奪した。僧侶の下に置かれていた神官の一部には、「廃仏毀釈」運動を起こし、寺院を破壊し、土地を接収する者もいた。また、僧侶の中には神官や兵士となる者や、寺院の土地や宝物を売り逃げていく者もいた。現在は国宝に指定されている興福寺の五重塔は、明治の廃仏毀釈の法難に遭い、25円で売りに出され、薪にされようとしていた。大寺として広壮な伽藍を誇っていたと伝えられる内山永久寺に至っては破壊しつくされ、その痕跡すら残っていない。安徳天皇陵と平家を祀る塚を境内に持ち、「耳なし芳一」の舞台としても知られる阿弥陀寺も廃され、赤間神宮となり現在に至る。
廃仏毀釈が徹底された薩摩藩では、寺院1616寺が廃され、還俗した僧侶は2966人にのぼった。そのうちの3分の1は軍属となったため、寺領から没収された財産や人員が強兵に回されたと言われることもある。
美濃国(岐阜県)の苗木藩では、明治初期に徹底した廃仏毀釈が行われ、領内の全ての寺院・仏壇・仏像が破壊され、藩主の菩提寺(雲林寺)も廃され、現在でも葬儀を神道形式で行う家庭が殆どである。
一方、尾張国(愛知県)では津島神社の神宮寺であった宝寿院が、仏教に関わる物品を神社から買い取ることで存続している。
廃仏毀釈の徹底度に、地域により大きな差があったのは、主に国学の普及の度合いの差による。平田篤胤派の国学や水戸学による神仏習合への不純視が、仏教の排斥につながった。廃仏毀釈は、神道を国教化する運動へと結びついてゆき、神道を国家統合の基幹にしようとした政府の動きと呼応して国家神道の発端ともなった。
どんなに凄まじい文化破壊であったかがわかる。ここまでする必要があったのだろうかと思えるほどだ。
それほどのものであったのに、それについて書き残されたものは少ない。
仏師だった高村光雲(高村光太郎の父)は、『幕末維新懐古談』の中で、仏像が破壊される様を生々しく描き出している。青空文庫に入っているので、ネットで読むことができる。
- 幕末維新懐古談 - 31 神仏混淆廃止改革されたはなし(高村 光雲)
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