初の歴史小説 (42)萬子媛の存命中に在職した徳川将軍、在位した天皇
萬子媛(祐徳院)は1625年に生まれ、1705年閏4月10日に没した(80歳)。以下、Wikipediaから、萬子媛の存命中に在職した徳川将軍、在位した天皇をメモしておく。
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徳川将軍。
3代、徳川家光(江戸前期)
在職29年:元和9年 (1623年) 7月27日 - 慶安4年 (1651年) 4月20日
4代、徳川家綱(江戸前期)
在職30年:慶安4年 (1651年) 8月18日 - 延宝8年 (1680年) 5月8日
5代、徳川綱吉(江戸前期 - 中期)
在職30年:延宝8年 (1680年) 8月23日 - 宝永6年 (1709年) 1月10日
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曾祖父・後陽成天皇、、萬子媛を養女とした祖母・清子内親王、大叔父・後水尾天皇。後陽成天皇は萬子媛が生まれる以前に崩御。
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後陽成(ごようぜい)天皇
元亀2年12月15日(1571年12月31日) - 元和3年8月26日(1617年9月25日)45歳
安土桃山から江戸初期の第107代天皇(在位25年:天正14年11月7日(1586年12月17日) - 慶長16年3月27日(1611年5月9日))。
諱を和仁(かずひと)といい、後に周仁(かたひと)と名乗った。
第三皇女:清子内親王(1593-1674) - 鷹司信尚室
第三皇子:政仁親王(後水尾天皇)
後水尾(ごみずのお)天皇
慶長元年6月4日(1596年6月29日) - 延宝8年8月19日(1680年9月11日)84歳
第108代天皇(在位19年:慶長16年3月27日(1611年5月9日) - 寛永6年11月8日(1629年12月22日))。
諱を政仁(ことひと)。
明正(めいしょう)天皇
元和9年11月19日(1624年1月9日) - 元禄9年11月10日(1696年12月4日)72歳
第109代天皇(在位11年:寛永6年11月8日(1629年12月22日) - 寛永20年10月3日(1643年11月14日))。女帝。※称徳天皇以来859年ぶりに女帝が誕生したが、治世中は後水尾上皇による院政が敷かれ、明正天皇が朝廷における実権を持つことは何一つなかった。
幼名は女一宮、諱を興子(おきこ)。
後光明(ごこうみょう)天皇
寛永10年3月12日(1633年4月20日) - 承応3年9月20日(1654年10月30日)21歳
第110代天皇(在位11年:寛永20年10月3日(1643年11月14日) - 承応3年9月20日(1654年10月30日))。
幼名を素鵞宮(すがのみや)、諱を紹仁(つぐひと)。
反幕府的な態度をとっていたともいわれるが、その反面で幼少から学問を好み、特に儒学や漢学を尊重して、これを奨励。在位中は朝儀復興に心を砕いており、正保3年(1646年)に神宮例幣の儀の再興を果たした。突然の崩御は武家側による毒殺説がある一方、前年から体調を崩しており、廷臣達と末弟の識仁親王(後の霊元天皇)を養子に迎える相談をしていたとする記録もある。
後西(ござい)天皇
寛永14年11月16日(1638年1月1日) - 貞享2年2月22日(1685年3月26日)47歳
第111代天皇(在位9年:承応3年11月28日(1655年1月5日) - 寛文3年1月26日(1663年3月5日))
幼名を秀宮、諱を良仁(ながひと)。花町宮。花町殿。
もっぱら学問に打ち込み、『水日集』などの著作を多数残している。和歌の才能もあり、古典への理解も深かった。治世中には伊勢神宮・大坂城・内裏などの炎上や明暦の大火、地方の地震、水害などが多発。
霊元(れいげん)天皇
承応3年5月25日(1654年7月9日) - 享保17年8月6日(1732年9月24日)78歳
第112代天皇(在位25年:寛文3年1月26日(1663年3月5日)- 貞享4年3月21日(1687年5月6日))。
幼名を高貴宮(あてのみや)、諱を識仁(さとひと)。「仙洞様」と呼ばれるよばれることが多い(長らく院政を敷いたため)。
治世の最初は父である後水尾法皇に院政を敷かれていたが、延宝8年(1680年)、後水尾法皇の崩御後は直接政務を執った。霊元天皇は父の遺した路線を一歩進めて皇室再興と独自の政策展開を目指したために幕府と距離をとることが多く、この時代、「親幕派」と認められた公卿は徹底的に冷遇された。「小倉事件」。
東山(ひがしやま)天皇
延宝3年9月3日(1675年10月21日) - 宝永6年12月17日(1710年1月16日) 34歳
第113代天皇(在位23年:貞享4年3月25日(1687年5月6日) - 宝永6年6月21日(1709年7月27日)。
幼名を五宮、諱を朝仁(あさひと)。追号の「東山」は陵所泉涌寺の山号に因む。
長く廃絶していた大嘗祭の儀式を復活させた。この背景には朝儀復活や王政復古運動に尽力していた父・霊元天皇の意向が強く働いていた。東山天皇の治世は23年に及ぶが、その全期を通じて父・霊元上皇が院政を敷いた。
東山天皇の在位期間はいわゆる元禄時代に相当し、犬公方とよばれた徳川綱吉の将軍在職期間と重なっている。徳川綱吉はことのほか皇室を敬ったため、朝廷と江戸幕府との関係はおおむね良好に推移していた。この結果、御料(皇室領)は1万石から3万石に増え、山稜の大幅修繕なども実現した。次の将軍徳川家宣は近衛基熙の娘婿にあたり、東山天皇−近衛基熙−徳川家宣のラインの完成によって朝幕関係はもっとも安定した時期を迎える。
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