初の歴史小説 (41)普茶料理(黄檗料理)と有田焼(伊万里焼)・鍋島焼
(40)で、ウィキペディアから以下の文章を引用した。
隠元には、後水尾法皇を始めとする皇族、幕府要人を始めとする各地の大名、多くの商人たちが競って帰依した。
これと関連するものとして、このノートではやはりウィキペディアから以下の二つの文章を引用しておきたい。
江戸時代初期の1654年、中国(現在の福建省)の禅僧隠元隆琦が来日。1661年には山城国宇治(京都府宇治市)に萬福寺を開き、禅宗の一つである黄檗宗の開祖となった。隠元は、中国式の禅文化を日本に伝えるとともに、インゲンマメ、孟宗竹、スイカ、レンコンなど、さまざまな品を日本へもたらした。その時一緒に伝わった当時の「素菜」(スーツァイ、いわゆる中国式の精進料理)が普茶料理である。「普茶」とは「普(あまね)く衆人に茶を施す」という意味であり、法要や仏事の終了後に僧侶や檀家が一堂に会し、煎茶などを飲みながら重要事項を協議する茶礼に出された食事が原型となっている。
(……)
こうした普茶料理は、異国情緒を味わうものとして黄檗宗の寺院ばかりでなく、料理屋や文化人など、民間でも広く嗜まれた。
…………………………
鍋島焼:Wikipedia
藩直営の窯では藩主の所用品や将軍家・諸大名への贈答品などの高級品をもっぱら焼造していた。
有田を中心として焼かれる磁器は有田焼と呼ばれるが、伊万里港から積み出されていたため、伊万里焼とも呼ばれる。これらとは別に、大川内山にあった鍋島藩直営の窯で焼かれた献上用の高級磁器は鍋島焼と呼ばれた。
上の3枚は、お借りしたパブリックドメインの写真。
こうして三つの引用文を並べてみると、はっきりする。
萬子媛が生きていた江戸初期から中期にかけて、黄檗宗が流行り、人々は普茶料理に親しんだ。そして、佐賀藩の有田で焼かれた磁器及び献上用の鍋島焼は、普茶料理に使用されたであろう。
- 2014年5月24日 (土)
初の歴史小説 (31)『葉隠』 ②山本常朝の父は有田皿山(窯場)の代官
https://elder.tea-nifty.com/blog/notes_7/index.html
萬子媛の次男は、光茂に仕え、佐賀に住み、光茂の信頼厚く「親類同格」の扱いを受けていた。しかし21歳で亡くなり、このことが萬子媛を慟哭させ、出家の動機となった。その宗教は黄檗宗であった。
光茂は黄檗宗、煎茶道と関係が浅いとは考えられないし、鍋島焼とも関係が深い。鍋島焼との関係の深さは、元禄6年(1693年)、光茂が有田皿山代官に与えた手頭(指示書)からも明らかである。
煎茶は極上のやきものに注がれたのだ。
鍋島藩で焼かれた磁器は、江戸時代に花開いた黄檗文化の形成に深く関係していたといえる。
わたしは胡麻豆腐が大好きなのだけれど、この胡麻豆腐は代表的な普茶料理の一つという。「麻腐」(マフ)というらしい。
煎茶も、胡麻豆腐も、日本文化に溶け込みすぎていて、黄檗宗に育まれたものだとは知らなかった。
煎茶道(せんちゃどう)は、広義には茶道の一種。ただし、一般的には茶道は抹茶を用いる抹茶道を指すことから、急須等を用いて煎茶や玉露などの茶葉に湯を注いで飲む形式を採る煎茶道は、茶道とは別のものとして捉えられている。
日本における歴史
日本における煎茶道の開祖は、江戸時代初期に禅宗の一つである黄檗宗を開いた隠元隆琦とされている。このことから、現在も全日本煎茶道連盟の事務局は京都の黄檗山萬福寺内に置かれ、同連盟の会長は萬福寺の管長が兼務することが慣わしとなっている。
この頃既に茶道の世界において形式化が進みつつあったことへの反発に加え、煎茶自体が当時最新の中国文化であったことなどから、形式にとらわれずに煎茶を飲みながら清談を交わすいわゆる「煎茶趣味」が文人の間で急速に広まった。江戸中期になると売茶翁により、それまで中国文化の模倣の域を出なかった煎茶趣味の世界に独自の方向が示され、さらに煎茶は江戸や京都・大坂を中心に上流階級に広く普及した。
今、萬子媛の大叔父に当たる後水尾天皇に関する本、『後水尾天皇 ――千年の坂も踏みわけて――』(久保貴子著、ミネルヴァ書房、2008年)を読んでいるところ。
よく書かれた本。やはり幕府と後陽成天皇・後水尾天皇父子との確執が印象的だ。幕府の態度がひどく陰湿に映る。
そして、父は子にそのことで八つ当たりしたようでもある。危篤状態となった父の手をとり、子の天皇が言葉もなく、ただ涙を流す場面には心を打たれるのだが……。
この本は読んでしまわなくてはならない。
萬子媛が12歳のころ起きた島原の乱について、BSプレミアム『英雄たちの選択』の「激突!島原の乱 天草四郎vs.松平信綱」で、「島原の乱は一地域の反乱ではなくて、全日本的な、あるいは世界に波及するような危機的要素をもっていた事件と幕府は判断していたのではないか」といっていた。
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