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2014年9月18日 (木)

初の歴史小説 (39)後陽成天皇の憂鬱 ②猪熊事件の背景にある公家の境遇

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萬子媛が後陽成天皇曾孫女であることから、どうしても後陽成天皇に目が行く。以下の記事で、公家の乱脈ぶりを物語る「猪熊事件」について触れた。

こうした事件の背景には、幕府が実権を掌握していく中での公家の立場の不如意さ、活躍の場のなさがあったようである。

以下の本より、当時の公家がどのような経済状態、精神状態におかれていたかが窺える箇所を引用しておきたい。

江戸の花女御―東福門院和子
出版社: 毎日新聞社 (2000/1/1)
近藤 富枝 (著)

近藤富枝著『江戸の花女御―東福門院和子』(毎日新聞社、2000年)、50頁―51頁。

 皇室の収入が表高たったの一万石である。これでは大名の最下級の俸給である。もっとも皇室武器を整え、軍兵を養う必要はないし、ひざもとの公家たちや女院、皇子皇女の経済も別である。また内裏の建築も幕府まかせだ。
 ちなみに関白の位につく五摂家でも二千石程度で、下級公家になると三十石という家さえある。それさえ幕府の宰領によるものだからいざとなると反抗ができないのだ。したがって公家たちは家柄を利用して内職に励まなければ妻子が養えない。政治の実権は武家にあり、公家は高い官職についても力を発揮することができない。彼らは右往左往して徳川のごぎげんとりに心をつかうだけであった。

想像以上の貧しさ、自由度の低さ、という気がする。「猪熊事件」にしても、Wikipediaによると、荘園収入がほぼ途絶え、稼業が大きな収入源となる時代に起きた事件で、蹴鞠を稼業とする家が商売敵を陥れるために天皇に逐一言上したのだと『花山物語』にあるそうだ。

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