Notes:不思議な接着剤#87 洞窟に潜む女性がどんな人物かがわかった
「不思議な接着剤」(2)で描くべき女性がマグダラのマリアではなく、『マリア福音書』を造形化した女性でもなく、神秘主義者であるが、無力な一般人であるべきだという確信がひらめいた。
『異端カタリ派と転生』(原田武、人文書院、1991年)における以下の記述は、知的、清浄、スタイリッシュであったカタリ派の凋落を物語るようでもの悲しい。
ルネ・ネリは、最終段階でのカタリ派信仰は農民のなかでもとりわけ女性によって担われ、彼女たちの社会への不平不満と結びつく一方で、妖術的なものへの傾斜を深めがちであったと述べる。
魔女は、こうしたカタリ派末期の女性を戯画化したものだともいう。
異端カタリ派は、都市部における富裕層の知識人たちによって担われ、栄えたが、弾圧されるにつれ、それは農村部に移り、だんだん迷信化、妖術化した。どんどん俗化を強めていって、ついに絶えたということである。
わたしはその最終段階が近づいた頃のカタリ派の生き残りで、自らの無力を噛みしめつつもカタリ派の教義と古文書(カタリ派が持ち出したとされる宝については、多額の金銭から聖杯に至るまで諸説あるが、古文書であったと想像したとしてもそうおかしなことではない)を守り抜こうとした人々のこと、カタリ派という一神秘主義思想の残照であれば、書ける気がする。
洞窟の中にいたのは、そんな生き残りの一人であったに違いない。子供たちは古文書が安全な場所に隠されるのを助けるのだ。
マグダラのマリアに関する古文書がどんな人々の手で守り抜かれたかはわからないながら、そのような人々がいなければ、わたしが現代日本の田舎町で、生々しくも感動的な『マリア福音書』を目にすることはありえなかった。
神秘主義者の一人として、わたしは無関心ではいられない。当時生きていたら、間違いなく、わたしはカトリックよりもカタリ派を支持しただろう。火炙りになることがわかっていても、関われただろうか――と自らに問いかけるのは恐ろしい。
カタリ派はあくまでモデルであるから、別の架空の名に変えたほうがいいだろうか?
『不思議な接着剤(1) 冒険への道』――冒険前夜の物語で、子供の日常生活に不思議な出来事が迷い込むお話――は、間もなく電子出版します。
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