本物の文学の薫りがする、那須田稔著『ぼくらの出航』
数日間セキュリティ関係の補強に追われたが、昨日は少し『不思議な接着剤 (1)冒険への道』のルビ振りをし(まだやっている)、那須田稔著『ぼくらの出航』を読んでいた。
『シラカバと少女』『忍者サノスケじいさんわくわく旅日記 35 やさしいおひめさまの巻』 をAmazonとは別のところに注文しているが、入荷するかどうかはわからないとメールが来た。購入できないかもしれない。
『ぼくらの出航』からは、最近の日本人によって書かれたものからはめったに嗅げない、本物の児童文学の薫りがするので、胸いっぱいにそれを吸い込む。
全体をざっと見、ちゃんと読んだのはまだ半分くらいなので、完読後に――この記事を合わせた――きちんとしたレビューを書きたいが、初の歴史小説も進めなくてはならないので、遅れるかもしれない。
作品は、まばゆいほどの初々しさ、歴史の断面を見せてくれる確かな描写力、人間の真性に対する明るい信頼に満ちている。
終戦の混乱のハルビンで、子供たち、そして大人たち、動物たちまで、何て生き生きと描かれていることか。情景描写も美しい。
わたしは読みながら、伯父たちのことを思い出した。
満鉄勤務だったわたしの母方の伯父も、手広く製麺業を営んでいた伯母夫婦も満州からの引き揚げ者だった。伯父の奥さんは終戦のとき、既に病気だった。従兄は3歳、その妹である従姉はまだ赤ん坊だった。
病気のおかあさんを助けて3歳の従兄は御飯を炊いていたというが、一家が引き揚げる途中でその人は亡くなった。
伯父と再婚した女の人も、やはり満州からの引き揚げ者で、日本に向かう船が嵐に遭い、負んぶしていた赤ん坊が背中からすっぽ抜けて波に攫われたと聞いた。
彼女は帰国後しばらく、気が触れたようになっていたという。伯父は再婚後一児を儲けて亡くなり、彼女ももうとっくに癌で亡くなったが、一緒にお風呂に入ると、首から背中にかけて一面に火傷の痕があった。綺麗な人だったのに。戦争の傷痕に違いないと子供のわたしは思った。
それでも、伯父たちの体験がぴんとこなかったけれど、『ぼくらの出航』を読んでいると、それがどのようなものであったかが目に見えるような気がしてくる。
以下、ネタバレあり。
作品の中で、主人公タダシの父親がシベリアへ行くトラックに乗せられる場面からあとは悲痛な出来事の連続である。そうしたことがまるで川が流れるように、淡々と書かれている。
寝込むようになった母親を看病する少年。ソビエト軍の命令で家を立ち退かなくてはならなくなり、着替えをしてばったり倒れた母親をリヤカーに乗せて郊外に出るが、小高い丘に来たとき、母親は息絶えた。
涙が出てきて、しばらく先が読めなくなった。どんなに無念だったろう。タダシは下手をすれば、残留孤児になっていただろう。
作品から、勢力図の混乱に伴う複雑な諸相が読みとれる。
国際都市ハルビンで、終戦や各国の混乱の中、もう敵味方の区別さえつかなくなっているようでもある。それでいて、日本の子供、満人の子供、中国の子供、朝鮮の子供、ロシアの子供……それぞれのお国事情と立場がよく書き分けられている。
このような作品がなぜ、わが国の文学の主流であり続けなかったのか、そのことを疑問に思うと同時に本当にもったいない、残念なことに思う。どの観点から見ても、見事としかいいようのない文学作品ではないか!
ソビエト軍の戦車隊があとからあとから続く場面や、満人の子供ヤンとロシア人の御者との会話などは、まるでドキュメンタリーを観るように生々しい。以下に引用してみたい(頁74-76)。
戦車隊のうしろから、歩兵隊が行進してきた。どの兵隊も、あから顔で、サルのような顔に見えた。よごれた服、ズボン、みじかいゲートル、やぶれたくつ――。ヤンは、いままで、こんなうすよごれた兵隊を見たことがなかった。
かれらは、駅まえのヤマト=ホテルのまえまでくると、どやどやと、さけび声をあげてはいっていった。
まもなく、ヤマト=ホテルのてっぺんに、かまとつちのマークのはいった大きな赤い旗がひるがえった。
(ソビエト連邦共和国の旗だ。)
スズメの一群が、さえずりながら旗をかすめて、中央寺院のほうへとんでいった。
ホテルのまえにある肉屋のまどから、ロシア人のマダムの顔がのぞいて、あわててまどをしめた。
戦車の横を、ひげを長くはやしたこれもロシア人の馬車が、すずを鳴らして、いそいでとおりぬけ、ヤンのかくれているポプラの木の横の小道にはいって、とまった。ロシア人の御者は、馬車からおりてきて、戦車隊をながめている。
(……)
ヤンは、ロシア人の御者に中国語で話しかけた。
「おじいさん、あなたたちの国からきた兵隊だね。ロシアの兵隊がきたので、うれしいでしょう?」
ところが、ロシア人の御者は、はきだすようにいった。
「あれが、ロシアの兵隊なものかね。」
「ロシアの兵隊じゃないって?」
ヤンはけげんな顔をした。
御者のじいさんは、白いあごひげをなでて、「そうとも。ロシアの兵隊はあんなだらしないかっこうはしていないよ。わしらのときは金びかのぱりっとした服をきていたものだ。」
「へえ? おじいさんも、ロシアの兵隊だったことがあるの……。」
「ああ、ずうっと、ずうっと、むかしな。」
「それじゃ、ロシアへかえるんだね。」
「いや、わたらは、あいつらとは、生まれがちがうんだ。」
おじいさんはぶっきらぼうにいった。
「よく、わからないな。おじいさんの話。」
「つまりだ、生まれつきがちがうということは、わしらは、ちゃんとした皇帝の兵隊だったということさ。」
ヤンは、まだ、よくわからなかったが、うなずいた。
「皇帝だって! すごいな。」
「そうとも。わしらは、あいつらとは縁もゆかりもないわけさ。あいつらは、レーニンとか、スターリンとかという百姓の兵隊だ。」
「ふうん。」
ヤンが、小首をかしげて考えこんでいると、ロシア人の御者は、馬車にのっていってしまった。
(おもしろいおじいさんだな。おんなじロシア人なのに、じぶんの国の軍隊をけなしてさ。いろんな人がいるんだな。)
ヤンは、そう思った。
わたしもそう思う。おんなじ日本人なのに、いろんな人がいる。昔も今も。いろんな人がいる――そのことを教えてくれるだけでも、文学とは凄いものではないか。
そのあとの場面で、わたしたち読者は酒場で再びソビエト兵に再会する。彼らはバラライカという楽器にあわせて、大声で歌をうたっている。彼らが大きな肉をちぎって口に放り込んでいるのを、タダシと一緒に見る。
彼らはタダシを酒場に引っ張り込み、肉やじゃがいもをご馳走してくれる。「カリンカ カリンカ カリンカ マヤ ヘイ!」と繰り返し歌う、陽気でフレンドリーなソビエト兵たちをタダシは好きになる。
似た場面を、わたしは林芙美子の旅行記の中で読んだ気がする。
彼らが見せてくれる家族の写真やドイツの子供たちの写真を、わたしたち読者もタダシと一緒に見る。
ぼろぼろのズボンを履き、裸足で立っているドイツの子供たち。その子供たちと笑って写真に写っていた年寄りの兵隊は、写真の子供たちを指して「おまえの友だちさ」といい、「あんたのおやじさんのために!」といって、ウォッカをぐっと飲む。傍らの若い兵隊の顔を見て、「世界のおふくろさんのために!」といって、また、ウォッカをあおる。
明日は自分たちの国に帰っていくというソビエト兵。
次に、また長い引用になるが(頁128-129)、そうせずにはいられない。この作品は、読み継がれるべきだ。世界中で読まれるべきだ。学校で子供たちに読ませるべき作品とは、こういう作品をいうのではないだろうか。
(じぶんたちの国!)
タダシの国は、どこなのだろう……。にっぽん、日本はくろい海をこえていったところにういている四つの島。目のまえがかすんできて、日本の地図がうかんできた。地図の上に波がうちよせている。日本の地図がタダシのまわりでぐるぐるうずをまいてまわりはじめた。日本はいまにもちんぼつしそうだ。日本の地図にだぶって、おかあさんの顔があらわれた。むこうから、エンジンの音がきこえる。トラックだ。トラックの上におとうさんがのっている。おとうさんは、おかあさんをトラックにのせると、だんだん遠く走っていってしまった。
(どこへいくの!)
タダシはさけぼうとしたが、のどがからからにかわいて、声にならなかった。
波がザブンと立ち、タダシは、ふわふわ、およいだ。大きな波がやってきた! タダシはそのまま、暗い海の底へぐんぐんひきずりこまれてしまった。
そのあとの感想はちゃんとしたレビューに書くことにして――、作品の最後を見ておくと、タダシら子供たちを救ってくれたのは新しい中国の軍隊であった。その中国の軍隊とは、中華民国の国民党だろう。
Wikipedia:引揚者によると、「満州や朝鮮半島の北緯38度線以北などソ連軍占領下の地域では引き揚げが遅れ、満州からの引揚は、ソ連から中華民国の占領下になってから行われた。満州においては混乱の中帰国の途に着いた開拓者らの旅路は険しく困難を極め、食糧事情や衛生面から帰国に到らなかった者や祖国の土を踏むことなく力尽きた者も多数いる」。
そこからの中国の流れをWikipedia:中華人民共和国、中華民国を参考、引用していえば、中国国民党率いる中華民国国軍は、ソビエトの支援を受ける中国共産党率いる中国人民解放軍に破れた。そして、1949年に、共産主義政党による一党独裁国家、中華人民共和国が樹立される。
国民党政府は、日本の進駐中であった台湾島に追われるかたちで政府機能を移転した。1951年のサンフランシスコ講和条約および1952年の日華平和条約において、日本は台湾島地域に対する権原を含める一切の権利を放棄。
国際法上の領有権は未確定ともいわれる台湾島地域は、中華民国政府の実効支配下にある。中華民国政府も、中華人民共和国の中国共産党政府と同様に、自らを「『中国』の正統政府」であると主張している。
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