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2014年6月 8日 (日)

初の歴史小説 (34)『葉隠』 ⑤猪熊事件を連想させる密通事件と幽霊

(33)で、佐賀藩の第2代藩主、鍋島光茂が幕府に先んじて殉死を禁止したと書いたが、中公クラシックス『葉隠 Ⅰ』(奈良本辰也&駒敏郎訳、85頁)の注釈では、それは光茂が「朱子学の教養を積み、人道主義的な傾向が強かったため」とある。

『葉隠』の口述者である山本常朝は光茂に仕えた人物であるが、彼はこのことに対して「命がけで主君のお味方になる家来がなくなった」と、むしろ否定的だ。

 また、光茂は前髪小々姓を召し連れて行くことをやめたが、そのことに対しても「侍の風俗が悪くなった」として否定的である。

 そして、常朝は嘆く。以下は、前掲書(62~63頁)より引用。これは、「武士道とは死ぬことと見つけたり」の一ヴァリエーションと思われる。

 五、六十年以前までの武士は、毎朝、行水して身体を清め、髪を整え、髪には香の匂いをつけ、手足の爪を切って軽石ですり、こがね草で美しく磨き、少しも怠ることなく身なりをととのえたが、もちろん武具の類にいたっては少しも錆をつけず、埃も払って、磨き立てておいたものである。身なりについて格別な心づかいをするということは、いかにも外見を飾るようであるが、これは何も数奇者[すきもの]を気取っているのではない。今日は討死か今日は討死かと、いつ死んでもよい覚悟を決め、もしぶざまな身なりで討死するようなことがあれば、平素からの覚悟のほどが疑われ、敵からも軽蔑され、卑しめられるので、老人も若者も身だしなみをよくしたものだ。いかにも面倒で、時間もかかるようであるが、武士の仕事というものはこのようなことなのだ。
 いつでも討死する覚悟に徹し、まったく死身になりきって、奉公も勤め、武道をも励めば、恥辱を受けるようなことはあるまい。このようなことに少しも気づかず、欲得やわがままばかりで日を送り、何かにつけて恥をかき、しかもそれを恥とも思わないで自分さえ気持ちがよかったら他人はどうでもよいなどと言って勝手気ままな行いをするようになってきたのは、いかにも残念なことである。平素から、いつ死んでも心残りはないという覚悟を決めていない者は、きっと死場所もよくないだろう。そして、平素から必死の覚悟でいるならば、どうして賤しい振舞ができよう。このことをよくよく胸にたたんでおくことだ。
 さてまた、三十年くらい前から、世の中の気風も変わってきて、若侍たちが寄り集まったときの話は、金銀の噂、損得の勘定、家計のやりくり話、衣裳の吟味、色欲に関する雑談というようなものばかりで、こうした話でないとみなが気乗りがしないように聞いている。まことに情けない風俗となったものだ。(……)このような風俗になったのも、世の中がはでになり、暮らし向きのことばかりを大切に思っているからのことであろう。自分の地位にふさわしくない奢りさえしなかったならば、何とか生活はできるものである。そしてまた、いまどきの若い者で、しまり屋を、家計のやりくりが上手などと誉めるのはあさはかなことだ。しまり屋は、しばしば世間の義理を欠く。義理に欠ける者は、卑劣な人間だ。

 常朝は、このように武士の俗化を嘆いた。

 しかしながら、常朝の生まれる53年前の慶長11年(1606年)、佐賀藩祖・直茂が京都に出かけて留守の間に、三の丸で密通事件が起きたりしている。処刑されたのは男性6人、女性8人というから、大変な人数である。

 この事件が連想させるのは、(17)で触れた猪熊事件である。

 猪熊事件は公家衆と女官の乱交事件であったが、このことが発覚したのは慶長14年(1609年)。事件に関わったのは公家8人、女官5人、地下[じげ]1人であった。

 起きた年も、事件に関わった人数も近い。これは何だろう? 起きた場所も、関わった人々の身分も異なるのに、似たような……。

『葉隠』が語った佐賀藩での密通事件には、後日談がある。処刑後、三の丸では夜毎、幽霊が現れるようになったというのだ。

 三の丸勤務の女性たちが怯えるので、直茂の継室・陽泰院が祈祷、施餓鬼を行ったが、幽霊は出現し続けた。

 その報告を受けた直茂はいった。「さてさて、嬉しいこともあるものだ。あの者たちは、首を斬っただけでは物足りないと思っていた憎い奴らである。それを、死んでも行くところへも行けず、迷って幽霊になり、苦しみを受けて落ち着けないのは、嬉しいことではないか。これからも長いあいだ幽霊になっておるがよい」(前掲書、227頁)

 すると、幽霊はその夜から出なくなったという。

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