初の歴史小説 (34)『葉隠』 ⑤猪熊事件を連想させる密通事件と幽霊
(33)で、佐賀藩の第2代藩主、鍋島光茂が幕府に先んじて殉死を禁止したと書いたが、中公クラシックス『葉隠 Ⅰ』(奈良本辰也&駒敏郎訳、85頁)の注釈では、それは光茂が「朱子学の教養を積み、人道主義的な傾向が強かったため」とある。
『葉隠』の口述者である山本常朝は光茂に仕えた人物であるが、彼はこのことに対して「命がけで主君のお味方になる家来がなくなった」と、むしろ否定的だ。
また、光茂は前髪小々姓を召し連れて行くことをやめたが、そのことに対しても「侍の風俗が悪くなった」として否定的である。
そして、常朝は嘆く。以下は、前掲書(62~63頁)より引用。これは、「武士道とは死ぬことと見つけたり」の一ヴァリエーションと思われる。
五、六十年以前までの武士は、毎朝、行水して身体を清め、髪を整え、髪には香の匂いをつけ、手足の爪を切って軽石ですり、こがね草で美しく磨き、少しも怠ることなく身なりをととのえたが、もちろん武具の類にいたっては少しも錆をつけず、埃も払って、磨き立てておいたものである。身なりについて格別な心づかいをするということは、いかにも外見を飾るようであるが、これは何も数奇者[すきもの]を気取っているのではない。今日は討死か今日は討死かと、いつ死んでもよい覚悟を決め、もしぶざまな身なりで討死するようなことがあれば、平素からの覚悟のほどが疑われ、敵からも軽蔑され、卑しめられるので、老人も若者も身だしなみをよくしたものだ。いかにも面倒で、時間もかかるようであるが、武士の仕事というものはこのようなことなのだ。
いつでも討死する覚悟に徹し、まったく死身になりきって、奉公も勤め、武道をも励めば、恥辱を受けるようなことはあるまい。このようなことに少しも気づかず、欲得やわがままばかりで日を送り、何かにつけて恥をかき、しかもそれを恥とも思わないで自分さえ気持ちがよかったら他人はどうでもよいなどと言って勝手気ままな行いをするようになってきたのは、いかにも残念なことである。平素から、いつ死んでも心残りはないという覚悟を決めていない者は、きっと死場所もよくないだろう。そして、平素から必死の覚悟でいるならば、どうして賤しい振舞ができよう。このことをよくよく胸にたたんでおくことだ。
さてまた、三十年くらい前から、世の中の気風も変わってきて、若侍たちが寄り集まったときの話は、金銀の噂、損得の勘定、家計のやりくり話、衣裳の吟味、色欲に関する雑談というようなものばかりで、こうした話でないとみなが気乗りがしないように聞いている。まことに情けない風俗となったものだ。(……)このような風俗になったのも、世の中がはでになり、暮らし向きのことばかりを大切に思っているからのことであろう。自分の地位にふさわしくない奢りさえしなかったならば、何とか生活はできるものである。そしてまた、いまどきの若い者で、しまり屋を、家計のやりくりが上手などと誉めるのはあさはかなことだ。しまり屋は、しばしば世間の義理を欠く。義理に欠ける者は、卑劣な人間だ。
常朝は、このように武士の俗化を嘆いた。
しかしながら、常朝の生まれる53年前の慶長11年(1606年)、佐賀藩祖・直茂が京都に出かけて留守の間に、三の丸で密通事件が起きたりしている。処刑されたのは男性6人、女性8人というから、大変な人数である。
この事件が連想させるのは、(17)で触れた猪熊事件である。
- 2013年11月18日 (月)
初の歴史小説 (17)実家 ①伯父の起こしたスキャンダル「猪熊事件」
https://elder.tea-nifty.com/blog/2013/11/17-55f6.html
猪熊事件は公家衆と女官の乱交事件であったが、このことが発覚したのは慶長14年(1609年)。事件に関わったのは公家8人、女官5人、地下[じげ]1人であった。
起きた年も、事件に関わった人数も近い。これは何だろう? 起きた場所も、関わった人々の身分も異なるのに、似たような……。
『葉隠』が語った佐賀藩での密通事件には、後日談がある。処刑後、三の丸では夜毎、幽霊が現れるようになったというのだ。
三の丸勤務の女性たちが怯えるので、直茂の継室・陽泰院が祈祷、施餓鬼を行ったが、幽霊は出現し続けた。
その報告を受けた直茂はいった。「さてさて、嬉しいこともあるものだ。あの者たちは、首を斬っただけでは物足りないと思っていた憎い奴らである。それを、死んでも行くところへも行けず、迷って幽霊になり、苦しみを受けて落ち着けないのは、嬉しいことではないか。これからも長いあいだ幽霊になっておるがよい」(前掲書、227頁)
すると、幽霊はその夜から出なくなったという。
| 固定リンク
「歴史」カテゴリの記事
- 新型コロナはヘビ中毒で、レムデジビルはコブラの毒ですって? コロナパンデミックは宗教戦争ですって?(12日に追加あり、赤字)(2022.05.11)
- ウクライナの核心的問題に迫る山口氏の動画(ブレジンスキーについて知っていますか?)。ノルマンディー上陸作戦記念式典で十字を切るプーチン大統領と「死の手」と呼ばれる核報復システム(都市伝説だといいですね)。(2022.04.22)
- 祐徳院について、二代目庵主様の肖像画の不鮮明な写真。イベルメクチンがオミクロンに有効との朗報とアルツハイマーのような症状が起きることのあるワクチン後遺症について、ごく簡単に。(2022.02.01)
- 愛川様がお送りくださった祐徳院関係の貴重な資料が届きました。お礼のメールはまだこれからです。(1月24日に加筆訂正、赤字)(2022.01.19)
- 萬子媛関連で、新たにわかったこと2件(18日に加筆、19日に加筆緑字、20日に加筆訂正赤字)(2022.01.17)
「文学 №2(自作関連)」カテゴリの記事
- 『卑弥呼をめぐる私的考察』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます! (2022.05.06)
- 神秘主義エッセーブログに「114」「115」をアップしました(2022.03.30)
- Kindle版『直塚万季 幻想短篇集(1)』をKENPCでお読みいただき、ありがとうございます!(2022.01.06)
- 『祐徳院』らくがきメモ 7)田中軍医をモデルとしたワキが、萬子媛をモデルとしたシテ(前ジテ)に出逢う場面 (2021.12.16)
- 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち)』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます! (2021.10.28)
「萬子媛 - 祐徳稲荷神社」カテゴリの記事
- 言葉足らずだったかな……しばしお待ちを(2022.04.01)
- 萬子媛の言葉(2022.03.31)
- 姑から貰った謡本(この記事は書きかけです)(2022.03.15)
- 祐徳院について、新発見あり。尼寺としての祐徳院は三代まで続いたようです。(2022.02.02)
- 祐徳院について、二代目庵主様の肖像画の不鮮明な写真。イベルメクチンがオミクロンに有効との朗報とアルツハイマーのような症状が起きることのあるワクチン後遺症について、ごく簡単に。(2022.02.01)
「Notes:萬子ひめ」カテゴリの記事
- 言葉足らずだったかな……しばしお待ちを(2022.04.01)
- 萬子媛の言葉(2022.03.31)
- 姑から貰った謡本(この記事は書きかけです)(2022.03.15)
- 祐徳院について、新発見あり。尼寺としての祐徳院は三代まで続いたようです。(2022.02.02)
- 祐徳院について、二代目庵主様の肖像画の不鮮明な写真。イベルメクチンがオミクロンに有効との朗報とアルツハイマーのような症状が起きることのあるワクチン後遺症について、ごく簡単に。(2022.02.01)