初の歴史小説 (33)『葉隠』 ④構成。死の観念論を弄ぶ余地のない世界。
『葉隠』の構成は以下のようになっている。
- 夜陰の閑談
プロローグ、鍋島藩について。 - 葉隠聞書 一 教訓
武士の心得 - 葉隠聞書 二 教訓
武士の心得 - 葉隠聞書 三
鍋島直茂(佐賀藩の藩祖)言行録 - 葉隠聞書 四
鍋島勝茂(佐賀藩の初代藩主)言行録 - 葉隠聞書 五
鍋島光茂(佐賀藩の第2代藩主)、綱茂(佐賀藩の第3代藩主)などの言行録 - 葉隠聞書 六~葉隠聞書 九
佐賀藩に関する事柄、藩士の言行録 - 葉隠聞書 十
他の藩主、武士の言行録、その他 - 葉隠聞書 付録
十の補足、その他
三以下は武士の実践に役立つための実例集とでもいうべきもので、血腥いエピソード満載で、なるほど「武士道とは死ぬことと見つけたり」だなあと思う。この本は何といっても、武士(現代でいえば軍人、昔の西欧でいえば騎士)のための手引書である。
現代に応用できる処世術も多く含まれてはいるが、常に死を覚悟し、斬るか斬られるか、斬らねば殺られる、殺らねばお家断絶(一国の滅亡を意味する)、といった極端な境地に生きざるをえない武士稼業というものがどんなものであったのか、武士階級の舞台裏を見せてくれる希有な書となっている。
死の観念論を弄ぶ余地のない場面で、佐賀藩の武士、他藩の武士はどう戦ったか、戦いの場で何が起きたかを語り尽くしているという印象。その戦いの持つ意味合いが浮かびあがってくるだけの状況説明がなされている。
観念で戦はできない。失敗は許されない。そのための人を斬る練習は死刑囚の生きた体(死刑執行人となって)や死んだ体を貰い受けて行う――そんなエピソードが出て来る。
また、斬り損じないためにはどうすればいいかなど。
切腹した三島由紀夫を介錯しようとしてうまく行かず、何度も首に刀が入ったために、三島は苦し紛れに舌をかみ切ろうとしたらしい。七つも離れていて、当時のニュースをよく覚えている夫がいっていた。
切腹して腸が出た上に、首はなかなかちょん切れず、死ぬに死ねない――その苦しみといったら、想像することすら怖ろしい。
時代錯誤もいい加減にすべきだった。
藩主の裁量の大きさ。裁判官であり、ときに死刑宣告を下す。恩赦を与える。藩主の人間性、教養が人の命を左右した。
しかし、現代のごくありふれた民事裁判だって、人の財産だけでなく、命すら左右しかねないことを法曹界の人間なら、よくわかっておくべきだ。
父が再婚後に、精神障害の疑われる奥さんの影響を受け、だんだんおかしくなり、あるとき裁判沙汰を起こした。訴えられたのは父のことを心配していたわたしたち姉妹。
寝耳に水で、家庭裁判所に出向いた。あとで、書記官から聞いた話では、その日、認知症気味の人々が起こした訴訟ばかり集められていたという。
次は地方裁判所に出向いた。今度は父の実家の人々まで呼ばれていた。書記官から弁護士を雇うように勧められたが、費用を聞いて目の玉が飛び出そうになった。
うっかり弁護士など頼んでいたら、それこそ借金を背負って、難儀な身の上がますます難儀となっただろう。
最初の裁判官はこちらが四苦八苦して書いた準備書面をろくに見てもくれなかった(※日本の裁判は書面のやりとりを中心にして行われる)。世の中が暗いところに思え、死んでしまいたくなったほどだった。
その裁判官のまるで魔女裁判を連想させる酷薄な雰囲気。わたしたちの前に商業分野かと思われる別の裁判があっていたが、裁判官はにこやかに弁護士に語りかけていた。
終わらない裁判。それでも、弁護士を雇うお金なんか、なかった。何も悪いことはしていないはずなのに、まるで貧乏人を転落させるかのような裁判。
どうなるのかと思っていたら、5ヶ月ほどして裁判官が変わった。次の裁判官は上品な雰囲気の人だった。永遠に続くかと想えた裁判はすぐに終わった。
- 2009年7月 1日 (水)
判決が下りました
https://elder.tea-nifty.com/blog/2009/07/post-e8f7.html
わたしも娘も法学部だったので、法曹界の実態を知り、本当に驚いた。民事裁判がこれほど怖ろしいものだとは思わなかった。そこは、もっと厳密、厳正、公平な世界だと思っていた。
こうした体験がなければ、『不思議な接着剤』で異端審問を描こうと思ったかどうか……。
殉死する2人の行動とそれを見守る人々の生々しい描写。殉死は、卑弥呼の登場する『魏志倭人伝』にも出てくる。
わたしは殉死がどんな風になされたのか、強要の有無はどうだったのか――など、疑問を持っていた。
殉死を、その雰囲気まで捉えて描いた一話があるので、中公クラシックス『葉隠 Ⅰ』(奈良本辰也&駒敏郎訳、282頁)から、少し長くなるが以下に引用しておきたい。
このとき亡くなったのは鍋島勝茂、光茂の祖父である。光茂はその後を受けて藩主に就任する。
ご臨終のとき、お薬を差し上げる役目をしていた鍋島采女が、その場でお薬の道具を打ち砕き、御印役の志波喜左衛門が、光茂公の御前で御印判を打ち割って、悲しみの心を表わした。そして、両人で御死骸を清めたうえ、棺にお入れして、打ち伏して涙を流していたが、急に立ちあがり、「殿は一人で出かけておしまいになった、いっときも早く追いつこうではないか」と言って、浴衣のままで表に出て行ったところ、大広間には多久美作守殿をはじめとして、お側に仕えた者、あるいは他藩からの弔問客などがつめかけていたので、両人ともに手をついて、
「どなたさまも、古くから懇意にしていただき、あらためてお礼の申しようもありません。名残りを惜しめば幾日語り明かしても尽きないことでございましょう。私どもはこれにて失礼いたします」と言って通り過ぎて行った。
いあわせた人はみな、ただ涙を落とすばかりで言葉もなかった。さしも剛勇をもって聞こえた美作守殿さえ、声も出すことができないで、後を見送りながら「ああ剛勇の者よ、剛勇の者よ」と言われただけであった。中野杢之助は、最後まで自分を讒言した者のことを憤っていた。采女は、わが家に帰り、これまでの疲れを休めるために行水を使って、少しのあいだ休息したいと言い、しばらく寝て、目が覚めてから「枝吉李左衛門が餞別にくれた毛氈を敷くように」と言いつけ、二階の一間に一枚の毛氈を敷いて、その上で追腹を遂げた。介錯は三谷[みたに]千左衛門がしたということである。
ある人が言うには、杢之助がいつも持っていた扇子に、一首の歌が書いてあった。
惜しまるゝとき散りてこそ世の中の
花も花なれ人も人なれ
光茂の前を通って、2人が殉死するために出ていったのだった。光茂は藩主に就任後、幕府に先駆け、殉死を禁止した。
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