別府アルゲリッチ音楽祭で、またしてもフジコを想う
1日に「第16回 別府アルゲリッチ音楽祭 ベスト・オブ・ベストシリーズ Vol.2 アルゲリッチ&クレーメルデュオ」に出かけた。以下はプログラム。
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M.ヴァインベルク: ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第5番 ト短調 op.53
第1楽章: アンダンテ・コン・モート
第2楽章: アレグロ・モルト
第3楽章: アレグロ・モデラート
第1楽章: アレグロ~アンダンテ~アレグレット
L.v.ベートーヴェン: ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第10番 ト長調 op.96
第1楽章: アレグロ・モデラート
第2楽章: アダージョ・エスプレッシーヴォ
第3楽章: スケルツォ、アレグロ
第1楽章: ポーコ・アレグレット
(休憩)
M.ヴァインベルク: 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 op.126
L.v.ベートーヴェン: ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第8番 ト長調 op.30-3
第1楽章: アレグロ・アッサイ
第2楽章: テンポ・メヌエット・マ・モルト・モデラート・エ・グラツィオーソ
第3楽章: アレグロ・ヴィヴァーチェ
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アルゲリッチはどうしても聴いておきたいピアニストの一人だったが、アルゲリッチ音楽祭は毎年あり、グランシアタで演奏会があるため、いつでも行けるような錯覚を覚え、引き延ばしてきた。
さすがに上手で、両手のバランスが実によい、無理のない、生で見ると本当にフォームが綺麗なアルゲリッチのピアノだった。が、演奏会の途中でわたしはまたしても、ふいにフジコ・ヘミングのピアノが聴きたくなった。
ギドン・クレーメルのヴァイオリンがあまり好きではないせいもあったかもしれない。上手で、繊細な音色から迫力満点の音色まで自在に出せる感じなのだが、全体的になぜか筋張って聴こえてしまった。ヴァインベルクの曲が抽象的すぎる現代絵画を連想させ、わたしには全然理解できなかったためかもしれない。
アルゲリッチを聴いたあとで、彼女以外のピアニストの演奏をCDや動画で、物故者から活躍中のピアニストまで、ここ3日ほどいろいろと聴き比べていた(創作関係は完全なサボり。たまにはいいじゃない、こんなことって、めったにない)。
ギーゼキング、ギレリス、クラウディオ・アラウ、アルトゥル・シュナーベル、ポリーニ、ホロヴィッツ、リヒテル、ブレンデル、バックハウス、ラザール・ベルマン、ホルヘ・ボレット、ジョルジュ・シフラ、ディヌ・リパッティ、ルービン・シュタイン、グレン・グールド、マリヤ・グリンベルク、マリア・ティーポ、ブリジット・エンゲラー、アリシア・デ・ラローチャ、イーヴォ・ボゴレリチ、キーシン、ブーニン、内田光子、マリア・ジョアン・ピリス……
昔はリヒテル、ルービン・シュタイン、グールドが好きだった。ディヌ・リパッティは初めて聴いた。リパッティを聴いたあとでグールドを聴くと、うるさく感じた。特に、声がうるさいと思う。それが好きだったのに。自分の弾くピアノで足りないところを彼は思わず声で補うと伝記にあったと思う。グールドだけ聴いていると、うるさいとは感じない。
リヒテルはやはり好きだ。タイプが違うので比べられないが、リヒテルは巨匠、リパッティは若き芸神といったイメージがわく。
このリパッティの指、わたしにはとても人間の指には見えないのであるが……指なんかじゃなく、蛸足でしょ? そういって!
クラウディオ・アラウも好きになった。クラウディオ・アラウの「Trois études de concert、S.144/R.5 ため息~3つの演奏会用練習曲より 第3曲」はすばらしい。フジコの演奏と交互に何度も聴いた。
オーケストラと一緒のときに、ギーゼキングほど強度を発揮した人が他にいるだろうか? ギーゼキングもかなり好きだ。
前掲のピアニストたちの音楽を聴いたあとでフジコを聴くと、重たく感じた。一部の専門家がフジコを批判するのもわからぬではないなと思う。オーケストラと一緒だと特によくない。もたついて聴こえるときがある。
が、ショパンの革命を聴きたくなり、ジョルジュ・シフラ、ウラディーミル・アシュケナージ、キーシン、ブーニン、ポリーニ、ボリス・ベレゾフスキー、ホロヴィッツ、ユンディ・リ、ヴァレンティーナ・リシッツァ、アンドレ・ワッツ、リヒター、イディル・ビレット、イグナツィ・パデレフスキ、アナトール・キタイン、ギオマール・ノヴァエス、ヴラディーミル・ド・パハマン、フランチェスコ・リベッタの革命を聴いた。
ガタガタとうるさく感じられるものが多かった。名だたる演奏家たちの音がうるさいだけに感じられるとは。さっきまでとは印象が逆転してしまった。古い人のは録音状態が悪いせいもあるのかもしれないが。
ふと思ったのだが、フジコはピアニストには珍しい文系タイプの人なのではなかろうか?
音楽家には理系が多いそうで、実際にわたしは子供の頃にピアノを習っていて、そう感じた。アルゲリッチとは対照的なピアノ奏法――中村紘子がハイ・フィンガー奏法と呼ぶ――を教わり、それでピアノが嫌いになったのだが、それとは別に疎外感を覚えることがあって、理系人間の中に文系人間がぽつんと混じっているような感じを受けることがよくあった。
文系人間だからかどうかはわからないが、わたしには無味乾燥な指の訓練が耐えられなかった。が、理系人間の人々は正確に音を刻み、一抱えもある精密な世界を構築することに快感を覚えているように見えた。
リズムの乱れは神経に障るのだろう。フジコは理系でもあるのかもしれないが、文系の要素を備えていることは間違いないと思う。彼女が弾きながら物語を繰り広げているからだ。文系人間のわたしにはそれが透けて見えるから、バルザックを読んでいるような感じさえすることがある。
フジコの革命からは、街の通りが見え、民衆の生活ふりが見えてくる。彼らの喜び、街路樹や花の香り、そしてまた男のタバコ、女の化粧が匂い、労働の汗が匂い、赤ん坊から乳が匂い、家の奥からすえた臭いまでしてきて、嘆きが感じられ、やがて動乱の物音や人々の叫びが聴こえてくる。
そうした物語が、多くのピアニストからは見えてこない。技術的にはすばらしいことがわかってしばらくは驚嘆し、指が紡ぎ出す妙なる調べに浸っていても、物語が見えてこないと、わたしはそのうち退屈してしまうのである。
多くのピアニストは、例えば、革命なら、「革命とはこんなものだろう」という浅い解釈で弾いている気がしてしまう。それはやはり解釈をもとにした肉付け、音色に表れる。
フジコは年がいってからのデビューだったので、オーケストラとの共演にはつらいものがあるのではないだろうか。巨匠と呼ばれる音楽家でさえ、ある年齢になれば、仕事を減らしたりするのではないか。
普通の人間がひかえめとなる頃に、フジコはデビューを果たした。若い頃に出ていたら、また違ったかもしれない。しかし、長い孤独の中で彼女は曲の内容を深め、それを演奏で表現してくれる。
またフジコの演奏会に行きたい。
関連記事:カテゴリー「イングリット・フジコ・ヘミング」
- 2010年5月 3日 (月)
中村紘子のピアノ・リサイタルで、フジ子・ヘミングを想う
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/05/post-c8ee.html
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