Cちゃん、Rちゃん
15日は、大学の女子寮で4年間一緒だった女友達Sちゃんと、娘を交えて過ごした。大学つながりの連想から、同じ法学部だった女友達のことを思い出した。
その女友達Rちゃん、そして、やはり同じ法学部だったCちゃんのふたりはわたしにとって、親友といってよい女友達だった。
昨日会った女友達Sちゃんには――当時から現在に至るまでの仲のよい――親友がいる。
わたしはSちゃんの親友と過去に喧嘩した。それ以降一度も接触がない。才能のある人だから今でも気にはなるが、人間的にわたし好みではないのだ(おそらく互いに)。
Sちゃんとわたしはたまに会って当たり障りのない(?)話をする、なんというか男友達同士のような、さっぱりとした友人関係といったところだろうか。
彼女は水瓶座。わたしは魚座だが、上昇惑星、水星、金星が水瓶座とあって、結構クールな側面があり、彼女もそうで、そのクールな側面で融合し合う、なんというかオーガニックなおつきあいなのである。
だからこそ大学時代、30人いた同学年の女子が出ていったあとも、ふたりだけで寮に残れたのかもしれない。Sちゃんとは学部が違う。彼女は文化学科だった。
同じ学部のRちゃん、Cちゃんとは内面までさらけ出し合った仲であり(互いに似たところがある気がする)、よくも悪くも濃密な面がむき出しになりがち。だが、Cちゃんとは絶交してしまった。
過去記事にも書いたと思うが、Cちゃんとは結婚後もほぼ毎日電話をかけ合うべったりした仲だった。わたしは夫の操縦法がわからず、自分のペースがつくれないでいるうちに、それと関係があるのか無関係なのかはわからないが、健康を害してしまった。
まだ不整脈の治療が安定しない頃で、体調は最悪。彼女は医者の娘なのでおとうさんに聴いた医学的な意見をいってくれたりし、心配して始終電話をかけてきた。
Cちゃんは乙女座で、こまやか。頭がよく、お嬢様にしては世智に長けており、センスもよく……わたしはすっかり頼りにしていた癖に、当時はあまりの体調の悪さに電話に出ることさえ苦痛になっていたのだった。
そして、何といったのか覚えていないが、彼女が電話をかけたくなくなるようなことをいったのだろう。あとでしまった!と思い、関係の修復を試みたが、だめだった。離婚する男女は、こんな感じなのかもしれない。
乙女座と魚座は180度の関係にあり、強く惹かれるが、緊張を伴う関係でもあるのだ。
今も、年賀状は出し合っている。彼女は分譲マンションに住んでいて、うちは分譲マンションの一室を借りているのだが、ここへ引っ越してきた翌年の年賀状に、●●階からの眺めはどうですか、と書いてあっった。
年賀状を改めて見ると、ナンとうちと同じ階だったばかりか、全く同じ室番号だった。
彼女は大学時代、緑色を好み、常に緑色を纏っていたので、葉緑素と呼ばれていた。偏食がちだったので、顔色までいくらか緑色がかっていた。おとうさんから栄養剤を飲まされていた。洋風の顔立ちで抜群に可愛らしかった。
肉も魚もほとんどだめで、酉年の癖に――2月生まれのわたしは犬年になる――ささ身を入れたオムライスばかり食べていた記憶がある。が、結婚後に他の女友達と新居に押しかけたときは、料理教室仕込みの腕で、料亭さながらの料理を出してくれ、驚かされた。
息子に、自分で作った五月人形を贈ってくれたときに、「わたしが死んだら、この人形の髪の毛が伸びるわよ」といった。彼女が大事にしている人形には決して埃がつかないのだという。
いやよー、髪が伸びた人形を見るのは怖いから、5分でも先に逝きたいわ~!
RちゃんはCちゃんと同じグループで、また違った傾向の友人関係にあった。彼女は宗教とは無縁だったが、どことなく求道者的なところがあり、はっとさせられるような無垢な――としかいいようのない――面を見せることがあった。
気取りがない性格だったが、ときに馬鹿に緊張感を漂わせていることがあって、そんなときは何かを真剣に考え詰めているときだった。
一応の解決を見出すまで、ずーっと考え詰める人間なのだ。無理に結論を出さなくてもいいんじゃないかとわたしなどはよく思ったが、彼女は結論を出さないと動けなくなる。Rちゃんは山羊座。彼女は学校に勤めていたが、一昨年だったか、父親のために早期退職した。
そのRちゃんに、今年になってから初めて電話をした。
彼女は大学時代、たまに童話を書き、読ませてくれた。彼女の無垢なところが登場人物に注ぎ込まれていて、技法的にはもう一つな気もしたけれど、わたしは心を打たれたものだった。
その彼女が退職する数年前から童話を書き出し、それだけでなく、何かしら成果を急いでいるかに感じられ、彼女は例の緊張感を漂わせていた。あとでわかったのだが、身近で人の死が続いたようだ。
おかあさんが亡くなる前に、彼女は願をかけたという。奇跡的におかあさんが助かれば創作を続け、もしだめであればやめる――と。
おかあさんは亡くなった。そして彼女は、創作をやめるといった。そもそも、願のかけ方が間違っていたとわたしには思えたが、いえなかった。Rちゃんは例の緊張感を漂わせていた。こんなとき、わたしは何もいえなくなる。
いつしか、創作が彼女の生き甲斐となっているようだった。おかあさんを亡くしたからこそ、彼女には創作が必要だとわたしは思った。彼女が創作を続けることを願って手紙を書いたが、直接そのことには触れなかった。
Rちゃんはまた創作を始めた。電話や手紙からは、彼女が相変わらず結果を出したいと焦っているように感じられた。賞狙いは彼女には全く似つかわしくなかった。
この世の理(ことわり)に対する不審感が彼女を急がせ、また、彼女は校長先生をしている夫にある反発を覚えている一面があって、そのためにも結果を出したかったのかもしれない。
文学賞には世俗的な要素があるだけでなく、芸術作品を判定する難しさもあり、そして今の日本の文学界が如何に偏っているかをわたしは話した。彼女がそれをどう思ったかまではわからなかった。
評判のよくない自費出版社から本を出したりした。
今日、電話の向こうで彼女は嬉しそうに、賞に応募する作品を仕上げたと語った。傾向と対策まで語った。ある生き物を出す必要のある賞で、彼女は生憎その生き物について詳しくなく、書くのに苦労したといった。
わたしはその生き物が好きで詳しく、観察に時間をかけたことがあったので、話すと、興味深そうに聴いていた。賞狙いは続けていたが、あの緊張感と思い詰めたような成果主義(?)はあまり感じられず、よかったと思った。
Rちゃんは、輝くような明るさ、無邪気さを取り戻していた。登場人物に彼女はそれを注ぎ込んだに違いない。
彼女は作品の中でも結論を出そうとするから、説教臭くなりがちなのだが、その説教臭さは彼女の汗と血がにじんだものであって、嫌なものではない。でも、できれば、そうした境地を突き抜けてほしい気がしている。
彼女の童話が読みたい。今日の電話では、おとうさんのところへ行くために急いでいて、改めて電話をかけ直すといった。
そういえば、亡くなった詩人も山羊座だった。
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