初の歴史小説 (29)黄檗宗 ①僧たちは腹便々。金鼓木魚等鳴り物の拍子。煎茶道。
祐徳院(萬子媛)
1625年 - 1705年(閏4月10日)
○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*
(27)(28)で書いたように、佐賀藩の第2代藩主、鍋島光茂、萬子媛の間には親しい交際関係があったのではないかとわたしは見ている。
光茂に仕えた山本常朝の口述による『葉隠』は有名で、山本常朝は、潮音道海の影響を受けて神仏儒の合一を説いた石田一鼎(いしだ いってい)の門下生であった。
潮音道海(ちょうおんどうかい、1628-1695)は黄檗宗の僧侶である。この潮音道海は、明僧・木庵性瑫(もくあんしょうとう、1611-1684)の弟子。
木庵性瑫は、黄檗宗の開祖・隠元隆琦(いんげん りゅうき、1592-1673)を補佐し、その法を嗣ぎ、万福寺2世となった人物である。
萬子媛は黄檗宗の僧侶となった。
以下の本を、図書館から借りている。
黄檗宗の歴史・人物・文化
木村 得玄 (著)
出版社: 春秋社 (2005/10)
隠元隆琦、木庵性瑫、潮音道海について、詳述されている。
また、以下の本は江戸時代について、わかりやすく解説している。
史上最強カラー図解 江戸時代のすべてがわかる本
大石 学 (著, 編集)
出版社: ナツメ社 (2009/7/22)
これらの本を参考にしながら、メモをとっておきたい。
黄檗宗は臨済宗、曹洞宗と共に禅宗の一つで、徳川四代将軍家綱1651年 - 1680年)のときに、明(中国)から渡来した隠元隆琦によって開かれた宗派。
家綱の時代は、三代家光までの武断政治が文治政治へと転換した時代だった。新田開発、治水、交通・流通網など、インフラ整備を行った(萬子媛の夫、直朝が行った治水事業、干拓地造成、新田開発なども、江戸幕府発インフラ整備の一環だったのだろう)。
農業の生産力が上昇し、富が生まれ、大商人が出現した(三井、住友、鴻池など)。商品経済・貨幣経済の浸透により、生活水準が向上し、元禄文化と呼ばれる町人文化が生まれた。
隠元隆琦の渡来は1654年。隠元は63歳であった。
この頃、「江戸幕府は鎖国政策をとっており、外国との接触は長崎だけを通じて行われていたが、当時長崎には多くの中国人が居留していた」。
「当時の日本仏教界は新寺建立の禁止や檀家制度によって形式化し沈滞していたが、隠元禅師の来朝によって大いに刺激を受けた」。
隠元渡来を聞いた多くの禅僧が長崎に馳せ参じた。龍渓はその一人で、草創期の黄檗宗にとって重要な人物となった。
隠元禅師によって開創された万福寺(京都の宇治)は第二代木庵に引き継がれた。この第二代から第十三代、第十五代、第十八第、第二十代、第二十一代は中国僧。現在は第六十代。「これらの中国僧は隠元禅師に続いて続々と渡来した人たちであった」。
広島の妙心寺派禅林寺の虚欞が、長崎の興福寺で隠元の最初の結制(お釈迦さまが定められた制度や制約に従い、修行僧が結集すること)に参加したときのことを手紙に書いている。当時の様子が生き生きと伝わってきて、興味深い。詳しく書かれているのだが、目に留まったところを部分的に抜き書きしておこう。
- 隠元禅師はとても厳格で、現在日本僧が七十人ばかり、中国僧が二十人あまりいて、十月十五日より正月十五日まで結制しており、規矩は厳然[※厳は旧字体で変換できなかった――引用者]と行われています。日本僧と中国僧が入りまじっているので言葉が通じず、その上、日本僧も中国僧も自尊心が強いため、ときとして事が起こり、私一人が中に入って難儀している様子を想像していただきたいと思います。
- 妙心寺に隠元禅師を招請することについて、龍渓和尚は貴師(禿翁)とは別に幕府に申し入れていることは、信首座が話しているのを詳しく聞きましたが、結構なことだと思います。
- 諸精規は、信首座も聞いている通り、私もだいたい聞きましたが、日本とは大いに違っているところが多いようです。
- 食事は一日に三度ずつで、朝、昼に粥、御飯を食べるのが普通であるが、午後四時にまた粥が出て、夜に入ってからまた菓子とお茶が出ます。これは毎日のことであります。その間に不時の茶菓があることもあり、六、七度食事する日もあります。僧たちは腹便々で、これは日本と大きく違っています。
- 朝暮の勤行のあと、僧たちは、南無阿弥陀仏を唱えて行進します。金鼓木魚等鳴り物の拍子は面白いですが、しかし、日本では不相応の儀式で、毎日耳ざわりです。そのほか色々の作法がありますが、覚えられないので、書くことができません。
- 隠元禅師のまわりの僧は、そんなに力量のある人はいません。西堂の独応という人は賢い人だと訊いています。その次に書記の独知[どくち](慧林)という人は、中国僧のなかではよい人ということです。そのほか、侍者の良演[りょうえん]という人は行いがよく、また独湛[どくたん]という人は工夫専一に努めており、隠元禅師も気に入っているようです。その他の僧は少々才智はありますけれど、日本人にはない考え方をするし、常識もなく、あまりよくありません。
「この手紙のなかに独応とあるのは、独言[どくげん]の誤りであると思われる」と解説されている。
渡来した中国僧と日本僧が拮抗しながら日本黄檗宗を形成していく様子が目に見えるようである。木魚は中国黄檗宗の僧が持ち込んだものだった。
それにしても……六、七度食事する日もあり、僧たちは腹便々……ダイエットの士気が下がりそうだ!
「夜に入ってからまた菓子とお茶が出ます。これは毎日のことであります。その間に不時の茶菓があることもあり」とあるが、隠元は煎茶道の開祖でもあった。
煎茶の好きな人は、黄檗宗を知らなくても、黄檗宗に触れているわけである。
潮音道海は黄檗の三傑と称されたうちの一人。『黄檗宗の歴史・人物・文化』221頁。
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