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2014年4月 7日 (月)

姪の結婚。竜王という釈迦の弟子。

 妹から昨夜、電話があり、姪の結婚が決まったという。

 可愛らしい姪がいよいよ結婚する!

 おつき合いしている男性がいると聴いていたので、そろそろかとは思っていたが、来年くらいかと想像していた。

 妹もそのつもりでいたようだが、早めることになったらしく、嬉しい悲鳴といったところのよう。

 姪は事務系に転職するまで、ブライダルホールに勤めていた。そこで8月の挙式予定。

 うちは全員招かれる。

 息子が東京勤務で、8月はアメリカに出張があるようなことをいっていたので、出席できるかどうかが心配。アメリカ出張やよほどの仕事のピークと重ならなければ、息子は始終、高校、大学時代の友人や仕事関係での披露宴に出席している様子なので、出席してくれるのではないかと思うが、アメリカ出張と重なれば難しいかもしれない。

 昔はわたしの立場だと黒留袖を着るのが普通だったと思うが、ネットでググってみると、最近では、土地柄や結婚式のタイプにより、バラつきがあるようだ。

 妹は当然、黒留袖を着るという。わたしの場合は遠方だし、洋装でもいいんじゃないといってくれる。妹はご主人の姪の結婚式では洋装にしたそうだ。

 着物を着たいが、体調のことを考えると、もし洋装で失礼に当たらないようであれば、そのほうがありがたい。

 娘は振り袖でいいだろうが、洋装にするのか、どうするのか。

 ナンにしても、体調を整え、ダイエットしよう。

 妹のご主人が糖尿病で、10㎏も痩せたと聴き、ダイエットに成功したと思っていたのだが、仕事の忙しさと病気の悪化もあり、痩せていたらしい。症状が安定したところ、気がゆるんだということもあって、また太ってきたとか。

 わたしはおなかが問題。中年太りなのか、病気が関係しているのかはわからないが、ここが異様にポッコリ前へ出た。おなかに、丸いまっしろなパンをくっつけたみたい。

 こんなことを堂々と書けるのだから、中年って怖い。いや、単にわたしの意識が低下しただけだろうが。

 何を着ても憂鬱。小柄で、ウエスト55㎝だったのに、昔の服はこのおなかのせいで下の方が全部着られなくなってしまった。上だけ残る。

 もういっそモグラになってしまいたいと思うほど。ダイエットして他の部分が痩せたとしても、中年のおなかはなかなか引っ込まないというが、実行してみるしかない。病気があるので、症状と相談しながらだが。

 心臓病になると太る――と、昔聴いたことがあった。そのせいもあるだろうと思う。調べてみると、病気自体、また薬が原因でもあるようだ。事実、心臓病の人が集うブログに行くと、太ったと悩んでいる人ばかり。

 心臓病の人って、自分がそうでなかったころは、青白くて痩せているのだとばかり思っていた。

 わたしの場合、その先に糖尿病の心配まで出てきた。詳しい検査を受けていないので、糖尿病になってしまっているのか、境界域をウロウロしているだけなのかはわからない。

 今月、副甲状腺の経過観察をしていただいている内分泌内科の受診があるので、そのときに循環器クリニックでの検査結果を持参して、お尋ねしてみたいと思う。

 クリニックの先生がおっしゃってた検査は受けたいと思っている。受けるとすれば、U先生は糖尿病のご専門なので、内科で受けたい。

 この機会にほどよいダイエットは病気のためにもいいだろう。中年のダイエットは、しすぎると皺になる危険性があるというから、難しそう。妹のご主人も10㎏痩せて、おなかが出産後の妊婦みたいにシワシワになったとか。

 最近、また膨らんできたと聴けば、もうこれは風船人間と想える。ナンにしても、ご主人には末永く達者でいて貰わないと、妹の幸不幸に関わってくるので、姉としては心配になるところ。

 大学時代、今思えば危険な断食を若さに任せてやってみたことがあった。

 3日でおなかがぺったんこになった記憶がある。当時は痩せていたので、それこそ、おなかの皮と背中の皮がくっつくという感じに窪んだのだ。たったの3日で、ああなるとは驚いた。

 それでも、いつもはサボったりした大学の講義にきちんと出席した。体が軽くて、ある意味では爽快だったのだ。後に神智学で、自己流の断食はとても危険であることを知った。

 当然、自己流の様々な行法すべてがとても危険である。今は瞑想一つとっても、いわゆるハタヨガ的な行法にしても、きちんと指導できる人はいない――何かあったときに対処できるだけの人はいない――と、お亡くなりになった神智学の先生はおっしゃっていた。

 先生のお父様は牧師補時代にキリスト教に疑問を持ち、東洋思想に転向。ヨガの達人として知られ、神智学を日本に紹介。知性、人格、霊性共に別格の人であったらしい。竜王会という総合ヨガの会を設立された。

 わたしが竜王会に入会したときは内部に神智学協会ニッポン・ロッジがあった。現在は竜王会と神智学協会ニッポン・ロッジに分裂。

 わたしは竜王文庫から出ている本に心惹かれたが、竜王会への入会を迷っていた。変な名前の会に思えたので。釈迦の大勢の弟子の一人に竜王という人がいたそうで、そこからの命名であるようだ。

 大学卒業の直前に母が倒れ、そのときにKindle本にもした『枕許からのレポート』に書いた神秘的な体験があった。竜王会への入会を迷っていたのは、退院した母をドライバーとして病院に送り迎えしながら公文教室で助手のバイトをしていた頃で、ある日、夢現のうちに輝かしいエメラルドグリーンの大きな円が額の上あたりに見えた。

 そのエメラルドグリーンの中に今生のわたしを見守ってくださっている人々がいて、その中心にナンと、写真でしか見たことのなかった――正直いって、あまり意識もしていなかった――先生のお父様である三浦関造氏の生き生きとしたお顔があった(勿論、とっくに故人であった)。そのことが何を意味するのかまではわからないが、縁があることは間違いないと思う。

 三浦先生も、祐徳院様も、仏教と関わりが深い。遠い昔、わたしも釈迦の大勢の弟子の中の劣等生弟子の一人であったのかもしれない。釈迦のまわりに集った大勢の男女は、一大学派集団を形成していたと思うのだ。女性弟子も非常に活発で、哲学的な議論を好んだという。尤も、わたしはそのとき、男性だったのではないかと思う。

 江戸時代に80歳で断食入定なさった祐徳院様は凄いわ。それで、ふと思ったことだが、そのご遺体はどうなったのだろうか。参詣記、まだ書いていない。

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