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2014年4月 4日 (金)

Kindle本『卑弥呼をめぐる私的考察(Collected Essays, Volume 3)』を販売中です

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祐徳稲荷神社に出かけました。遅い初詣でした。

新しく撮った写真、私的な発見がありました。祐徳院様(萬子媛)が用いられたという水鏡を見学し、卑弥呼が用いたと思われる鏡、そして道教の鏡、老子の言葉など、『卑弥呼をめぐる私的考察』にある以下の記述を連想したりもしていましたが、参詣については記事を改めます。

鏡は、道教グッズ(?)なのである。物の本体を映し出すとされるからだが、鏡は「老子」の美しい第十章を思い出させる。

「おちつきをなくした魄(たましい)を迷わぬように維持して、統一をしっかり抱(たも)ち、それから離れないようにできるか。呼吸(いき)を凝集(こら)し、それをやわらかにして、嬰児(あかご)のようにすることができるか。神秘的な幻想(ヴィジョン)をぬぐい去って、くもりがないようにできるか。」

 この部分は、シックな老子がわたしたち俗人に珍しくも呆れるほど身を寄せて囁いてくれた、〈道〉――老子の形而上学における究極の存在、すべての根源(本体)――を自分のものとするための最高度の技法である。
 どこから検討してみてもこの技法は完璧で、したがって球体を想わせる。神秘主義の森に入り込んだ者は、それがどのような系統のものであれ、遅かれ早かれゆきあたる技法である。
 神秘主義的な諸テキストにあっては、文学的表現と科学的表現は目も綾に織りなされている。 鏡は技法を想起させる。そして、神秘主義が明かす、恐ろしいような秘密を鏡ほど見せてくれるものはない。鏡は象徴的な意味合いにおいて〈道〉を映し出すのだ。
 鏡を見るとき、そこに映し出されているものは、何だろう? 自分自身ではないだろうか。道はその自分自身のただなかにあるというのだ。だからこそ、神秘主義者は救いを他に……ではなく、自分自身に求めようとするのである。これほどの確実さ、最短距離、同時に険しい道というものは、どう探し尽くしても他にはない。
 鏡が〈道〉のシンボルとして、宝物の扱いを受けても不思議ではないとわたしには思える。だが、世俗に降下した時、鏡は象徴的なテキストではなく単なる護符となった。

中公文庫版『老子』第一章、注釈より引用した。

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