神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ④フェルナンド・ペソアの青い哲学的果実
③を書いたあと、フェルナンド・ペソア読んでおかなくてはと思い、図書館からフェルナンド・ペソア『新編 不穏の書、断章』(澤田直訳、平凡ライブラリー780、2013年)を借りた。タブッキ『黒い天使』、『イタリア広場』。『フェルナンド・ペソア最後の三日間』を再度。『ビクトリアス・ポターの生涯』。他は初の歴史小説のための資料として借りた本。
フェルナンド・ペソア『新編 不穏の書、断章』は神秘主義者の瞑想的断章という趣ではなく、形而上学的思索の断章で編まれた本という印象で、わたしには難しいところがある。しばしば著者の思考を追っていけず、取り残される。わたしの読解力のなさが原因の一つではあろうが、これがペソアの試行錯誤の書でもあるからだと思う。
タブッキに覚えたのと同じ親しみを期待して、ペソアの本を繙いたのだった。ところが、ペソアの本は見知らぬ思索者の本として存在していた。
流派の違いをはっきりと感じ、改めてアントニオ・タブッキが神智学という思想、思考法と如何に関係の深い人であるかがわかった気がした。タブッキが神智学協会の会員であったかどうかは知らないが、彼の諸作品は神智学の芳香を放っている。
「神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界」ももう④になってしまった今頃になってだが、神智学をご存知ないかたのために、ライン以下に「はてなキーワード:神智学」から引用しておく。
タブッキは「インド夜想曲」で、「僕」に、ペソアはグノーシス神秘主義者と公言していた薔薇十字だったといわせている。「インド夜想曲」は小説だが、著者タブッキはペソア研究の第一人者だったそうだから、「僕」の言葉はタブッキのペソア研究から出たものなのだろう。
解説には、それらしいことは何も書かれていない。わたしは薔薇十字をのぞき見したことがあるだけなので、ペソアの作品が薔薇十字的かどうかはわからない。そこに漂う薫りは少なくとも神智学の薫りではない。「汎神論、アレゴリー的解釈法、折衷主義、直接の体験によって真理を知ろうとする神秘主義」といった神智学の特徴が見出せない。
ペソアはひじょうに真摯な、形而上学的思索者というほうがぴったりくる気がする。
グノーシスの定義は難しいようだが、グノーシス主義の特徴は二元論だといわれる。ペソアは二元論的である。が、神秘主義者といわれても、わたしにはどこがそうなのかがわからない。
ウマル・ハイヤームの詩が引用されているせいで、連想が働くのかも知れないが、イスラム思想の影響がある気がする。わたしは大学時代、ハイヤームにも惹かれた時期があったが、ペルシャの神秘主義的詩人ルーミーの『ルーミー語録』を読み、イスラム神秘主義[スーフィズム]の高級感ある世界に驚嘆した。
しかしペソアは、ルーミーの洗練の極みのような陶酔の境地からも、ハイヤームの虚無的完成度からも遠く、近代的な、そして過渡的な青臭さがあって、陶酔しかけては用心して覚め、虚無に徹するには躊躇があるといった風ではないだろうか。
タブッキが描いたようなペソア像――ペソアの創作した群像というべきか――は、わたしはちょっと違うという気がある。タブッキのペソア像は、すこやかに神秘主義を呼吸していたタブッキ自身の投影、ヴァリエーションとしか思えない。
『新編 不穏の書、断章』には印象的な断章が多く存在する。わたし好みの――引っかかる部分も含まれるのだが――独特の禁欲的な美しさを帯びた断章を以下に抜き書きしておきたい。
P249
私たちひとりひとりが小さな社会なのだ。少なくともこの地区の生活を優雅で卓越したものにしなければならないし、われらの感覚の祝祭を抑制し、われらの思考の祝祭を簡素で礼儀正しいものとしなければならない。周囲では、別の魂たちが、貧しく汚い地区を建設することもあるだろう。どこからがわれらの地区なのか、その境界をはっきりと標し、われらが高い建物の外壁から、遠慮深い秘密の部屋まで、すべてが高貴で、静謐であり、簡素に彫刻をほどこされ、すべてが物静かで、目立たないようにしよう。こうして、愛は、愛の夢の影となり、青白く、月に照らされた二つのさざ波の、波頭のIあいだのさざめきのようになる。欲望は無用で攻撃性のない、魂が自分とだけ交わす優しい笑顔のようにしよう。そして、魂はけっして実現を夢見ることも、自分に言って聞かせることもないようにする。捕らえた蛇のように憎悪を眠らせ、恐怖には、視線の奥底、われらの魂のなかの視線の苦悩以外の表現を控えるようにさせること。これこそ唯一、美学に反さない態度だ。P308-309
私は、肘をついてぼんやりと座っていた机から立ち上がる。私はこれらの不揃いな印象を自分に語って楽しんだ。私は身を起こし、窓のところへ行く。窓からは屋根が見え、沈黙がゆっくりと始まるなかで、眠りにつく街が見える。月は大きくて、ほんとうに真っ白で、家並みの微妙な違いに悲しく光を当てている。そして、月の光は、その氷のような白さで、世界の神秘全体を照らしているかのようだ。それはすべてを示しているように見える。だが、すべては偽の光と、まやかしの間隔(インターヴァル)と、不合理な高低差と、目に見えるものの不整合性からなる影にすぎない。風ひとつなく、神秘が増したように思われる。私は抽象的な思考に嘔吐感を覚える。私自身の啓示であり、なにかの啓示であるような文を、私はけっして書くことはないだろう。薄い雲が月の上を、隠れ家のように、ぼんやりと漂っている。私は、これらの屋根と同様、なにも知らない。私は、自然全体と同じように、座礁してしまったのだ。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
はてなキイワード「神智学」より。
神智学(Theosophy)とは、神々が持っているような神聖な智慧を意味している。その名称はアレクサンドリア哲学者中、真理愛好家といわれているフィラレーテイアン派(Philaletheian)から来ており、フィル(phil)は愛すること、アレーテイア(aletheia)は真理。
3世紀にアンモニオス・サッカス学派から始まった思想的潮流で、新プラトン派のプロティノスからヤコブ・ベーメに至るまで、多くの優れた哲学者、神秘家を輩出した。
神智学は、汎神論、アレゴリー的解釈法、折衷主義、直接の体験によって真理を知ろうとする神秘主義といった特徴を持つ。
――以上、H・P・ブラヴァツキー『神智学鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、竜王文庫、平成7年)を参照。
1831年、帝政ロシア時代のウクライナ、エカテリノスラーフ(現ドニプロペトローウシク)に生まれたH・P・ブラヴァツキーは、若い頃からインドの大師との深い結びつきがあり、西洋における「神聖な智慧」の伝統と東洋の秘教思想から、すべての宗教のエッセンスを抽出しようと試みた。様々な宗教体系はもともとそこから湧き出て、あらゆる秘儀、教義が成長し、具体化したのだという。1875年、神智学協会を創立して、近代における神秘主義復活運動を興す。1891年、ロンドンに没するまで、多くの著作を世に送り出した。代表作は『シークレット・ドクトリン』。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- Mさん、お誕生日おめでとうございます(2023.11.07)
- 新型コロナはヘビ中毒で、レムデジビルはコブラの毒ですって? コロナパンデミックは宗教戦争ですって?(12日に追加あり、赤字)(2022.05.11)
- 萬子媛の言葉(2022.03.31)
- 姑から貰った謡本(この記事は書きかけです)(2022.03.15)
- クリスマスには、やはり新約聖書(2021.12.25)
「評論・文学論」カテゴリの記事
- (再掲)イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義(2020.10.17)
- 中共によって無残に改竄された、「ヨハネによる福音書」のイエス(2020.09.29)
- 「原子の無限の分割性」とブラヴァツキー夫人は言う(2020.09.15)
- 大田俊寛『オウム真理教の精神史』から抜け落ちている日本人の宗教観(この記事は書きかけです)(2020.08.28)
- 大田俊寛氏はオウム真理教の御用作家なのか?(8月21日に加筆あり、赤字)(2020.08.20)
「神秘主義」カテゴリの記事
- 長引いたコロナ。舅の死(ある因縁話)。百貨店でオーラの話。(19日に加筆あり)(2024.03.18)
- 小指が立つ癖。モーツァルトのロンド(ニ長調 K 485)、パッヘルベル「カノン」。ピタゴラスは弟子たちの魂を音楽によって矯正しました。(2023.08.06)
- 年賀状を用意する時期になりました。スペース座談会「第一回ワクチン後遺症を語る会〜メディアでは報道されない真実〜」。コオロギせんべい(グレート・リセット関連)。魂の無い機械人間?(ツイッターでのやりとり)(2022.12.20)
- 神秘主義エッセーブログより、改稿済み「71 祐徳稲荷神社参詣記 (2)2016年6月15日」を紹介(2022.11.04)
- 神秘主義をテーマとしていたはずのツイッターでのやりとりが、難問(?)に答える羽目になりました(2022.06.22)
「文学 №1(総合・研究) 」カテゴリの記事
- ついにわかりました! いや、憶測にすぎないことではありますが……(祐徳院三代庵主の痕跡を求めて)(2023.07.04)
- 第29回三田文學新人賞 受賞作鳥山まこと「あるもの」、第39回織田作之助青春賞 受賞作「浴雨」を読んで (2023.05.18)
- 神秘主義をテーマとしていたはずのツイッターでのやりとりが、難問(?)に答える羽目になりました(2022.06.22)
- 萬子媛の言葉(2022.03.31)
- モンタニエ博士の「水は情報を記憶する」という研究内容から連想したブラヴァツキー夫人の文章(2022.02.20)
「詩」カテゴリの記事
- 高校の統合で校歌が70年前のものに戻っていたので、作詞者と作曲者について調べてみました(夕方、数箇所の訂正あり)(2021.02.08)
- 堀口大學の訳詩から5編紹介。お友達も一緒に海へ(リヴリー)。(2017.08.29)
- 20世紀前半のイタリアで神智学・アントロポゾフィー運動。ガブリエラ・ミストラル。ジブラン。(加筆あり)(2016.06.09)
- 神智学の影響を受けたボームのオズ・シリーズ、メーテルリンク『青い鳥』、タブッキ再び(2016.06.01)
「Theosophy(神智学)」カテゴリの記事
- 長引いたコロナ。舅の死(ある因縁話)。百貨店でオーラの話。(19日に加筆あり)(2024.03.18)
- 年賀状を用意する時期になりました。スペース座談会「第一回ワクチン後遺症を語る会〜メディアでは報道されない真実〜」。コオロギせんべい(グレート・リセット関連)。魂の無い機械人間?(ツイッターでのやりとり)(2022.12.20)
- 神秘主義エッセーブログより、改稿済み「71 祐徳稲荷神社参詣記 (2)2016年6月15日」を紹介(2022.11.04)
- モンタニエ博士の「水は情報を記憶する」という研究内容から連想したブラヴァツキー夫人の文章(2022.02.20)
- (再度の加筆のため、一旦閉じました)神秘主義的エッセーブログを(一応)更新しました(加筆あり、赤字)(2021.11.25)
「Notes:アントニオ・タブッキ」カテゴリの記事
- 創作状況(初の歴史小説、エッセー)(2017.04.28)
- アントニオ・タブッキの新刊『イザベルに ある曼荼羅』(和田忠彦訳、河出書房新社、2015年) ※31日に加筆あり。(2015.03.29)
- 神秘主義者としての課題と最近の出来事(2014.03.27)