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2014年3月12日 (水)

神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ③「フェルナンド・ペソア最後の三日間」

 アントニオ・タブッキ『フェルナンド・ペソア最後の三日間』(和田忠彦訳、青土社、1997年)を読んでいた。

 タブッキは、実在した詩人ペソアの最後の三日間をモチーフに描いている。ペソアの作品要素を巧みに採り入れたペソア解釈ともなっているようだ。とすると、『夢のなかの夢』と似た構成になっている。

 しかし、わたしが読みながら驚いたのは、この本が純良100%の神智学の本だということである。ごく普通の幻想小説としても読めるところが――一般人ならそのような読み方だろうし、勿論それで構わないのだろう――この作品の優れたところだ。

 本をちょっと開いてみただけでも目につく、というより全部だ。神秘主義は単なる知識ではなく、思想を呼吸することだから、当然とはいえ……月並みな表現だが、すばらしいの一言に尽きる。

 今は解説をするゆとりがないが、いずれタブッキについてはまとまった長さの――150枚くらいは――評論を書きたいと思っている。娘につき合って観ているイタリア語講座は、いずれ書くそのときのためにも……。

 以下はタブッキをご存知ない方のために、ウィキペディア「アントニオ・タブッキ」ページへのリンク。

アントニオ・タブッキ:Wikipedia

 しかし、この解説にはタブッキの作品に特徴的な神智学に関する情報が欠けている。邦訳書の解説全てもそう。

 タブッキの心酔したペソアが薔薇十字だったという情報もない。邦訳書の解説全てもまたそう。

 前にも書いたことだが、よくここまで無視できるものだと呆れるほかない。

 神秘主義を長い間、否定、蔑視、無視、抹殺、抑圧してきたリベラル(中道左派)系人々が意識的に行っていることなのか、無意識的に、あるものもないことにしてしまうのかはわからない。

 リベラルといえば恰好よく聴こえるが、要するに本質は幼稚な唯物論ということだ。幼稚というのは、神秘主義もまたその本質は唯物論であることからなされた、神秘主義側からの区別である(参照)。

 以下の引用は、神智学協会を設立したブラヴァツキーの思想の正統な継承者と目されてきたレーリッヒ夫妻のうち妻エレナ・レーリッヒの著書『新時代の共同体』(日本アグニ・ヨガ協会、平成5年)の用語解説より。

唯物論 近代の唯物論は精神的な現象を二次的なものと見なし肉体感覚の対象以外の存在をすべて否定する傾向があるが、それに対して、古代思想につながる「霊的な意味での唯物論」(本書123)は、宇宙の根本物質には様々な等級があることを認め、肉体感覚で認識できない精妙な物質の法則と現象を研究する。近代の唯物論は、紛れもない物質現象を偏見のために否定無視するので、「幼稚な唯物論」(121)と呼ばれる。「物質」の項参照。

物質 質料、プラクリティ、宇宙の素材。「宇宙の母即ちあらゆる存在の大物質がなければ、生命もなく、霊の表現もあり得ない。霊と物質を正反対のものと見なすことにより、物質は劣等なものという狂信的な考えが無知な者たちの意識に根づいてきた。だが本当は、霊と物質は一体である。物質のない霊は存在しないし、物質は霊の結晶化にすぎない。顕現宇宙は目に見えるものも、最高のものから最低のものまで、輝かしい物質の無限の面を私たちに示してくれる。物質がなければ、生命もない」。(『手紙Ⅰ』373頁)

 バランス感覚から出たと思えるタブッキの政治的行動と日本のリベラル――進歩的文化人というべきか。今や退歩的文化人といったほうがいいかもしれないが――との違い。

 豊かな内面性を保持したまま行動するタブッキと、群れる以外は大して有益な政治活動を行うわけでもないのに、イデオロギーに染まって内面性の干からびた人々。

 尤も、日本人が昔からこうだったわけではない。大正から昭和にかけて活躍した文化人が書き残したものを読むと、戦後の文化人の知的、精神的な衰退ぶりがよくわかる。

 反日勢力と見分けがつかなかったり、既得権益に群がっているようにしか見えなかったりする。大正から昭和にかけて活躍した文化人は独自の哲学を持ち、精神的に屹立していた。誇らしげな日本人であって、何かにコントロールされている風ではなかった。

 美しい訳でタブッキの作品が読めることは本当にありがたい。

 それでも、作品を専門的に見ていくとなると、タブッキ、ペソアを神秘主義との関係性の中で読み解く必要があることは、タブッキの「インド夜想曲」からも明らかだ。

 以下は、アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』(須賀敦子訳、白水社、2013年)からの引用。彼、というのは作品の中ではマドラス(現チェンナイ)にある神智学協会の会長という設定。

P76
 彼は目をあけ、悪意、でなければ皮肉をこめて、僕を見た。「あなたの好奇心はどの辺りまでですか」

「スウェーデンボルク」僕は言った。「シェリング、アニー・ベザント。すべて少々かじっただけです」彼が興味を示したのをみて、僕はつづけた。「でも、間接的に知った人もあります。たとえば、アニー・ベザントがそうです。フェルナンド・ペソアが彼女の書いたものを訳したからです。ペソアはポルトガルの大詩人で、一九三五年に、無名のまま死にました」
「ペソア」彼が言った。「そうね」
「ご存じですか」僕はたずねた。
「ちょっとだけ」会長は言った。「あなたがかじったとおっしゃったぐらいです」
「ペソアは自分がグノーシス神秘主義者だと公言していました」僕は言った。「薔薇十字だったんです。Passos da Cruz[十字架の道]という秘教的な詩集の著者です」

 小説の中の「僕」は、フェルナンド・ペソアの訳したアニー・ベザント(神智学協会第二代会長)の著書を通してベザントを知った。ペソアはグノーシス神秘主義者と公言していた薔薇十字だった。

 近代以降の西洋における神秘主義御三家は、薔薇十字、フリーメイソン、神智学で、これらは姉妹関係にあるといってもよく、共有している知識は多いだろうから、薔薇十字であるペソアが神智学の著書を訳したとしても、何の不思議もない。

 わたしは薔薇十字であったらしいバルザックの著書を読んでいると、作品に散りばめられた神秘主義的な言葉やムードのため、なつかしい気持ちでいっぱいになる。

 それにしても、小説に登場する神智学協会の会長は何とも思わせぶりでありながら、そっけない。

「インド夜想曲」をまだ充分に読んでいないせいか、この会長はいささか癇に障る、妙な人物としてわたしの記憶に留まっている。「インド夜想曲」はあとで改めて採り上げたい。

 神智学色の濃い、目についた文章を以下にメモしておこう。

 図書館から借りているというのが少々辛い。手に入れたくても、中古しかない。文庫版がどこからか出ないかしら。

P60-61
アントニオ・モーラは狂人、少なくとも公には狂人です。しかし頭脳明晰な狂人で、異教とキリスト教について多くの考察をしました。
〔……〕
わたしに多くのことを語りました。まず初めに、神々が戻ってくるだろうということ、なぜなら唯一の魂、唯一の神といういうこの物語は歴史の周期の中で終わりかけているかりそめのものだから、と話しました。そして神々が戻ってくるとき、われわれは魂のこの唯一性を失い、われわれの魂は自然の望むままに再び複数になるだろうと。

P87
わたしたちが人生と名付けているイメージのこの舞台を後にする時間です。わたしが心の眼鏡を通して見たことをあなたに分かってもらえたなら。
〔……〕
そして、わたしは男、女、老人、少女でした、西洋のいくつもの首都の大通りの群衆であり、わたしたちがその落ち着きと思慮深さをうらやむ東洋の平静なブッダでした。わたしは自分自身であり、また他人、わたしがなり得たすべての他人でした。

P88
わたしの人生を生きるということは、千もの人生を生きることでした。わたしは疲れています。わたしのろうそくは尽き果てました。お願いします、わたしの眼鏡をとってください。

「わたしの眼鏡をとってください」から作品は終曲に入るのだが、この終曲がまた圧巻。古代アレクサンドリアの神智学派(フィラレーテイアン派)の香気さえ漂う――。

P88-89
 アントニオ・モーラはチュニックを正した。かれの中ではプロメテウスが急き立てていた。ああ、と叫んだ。神なる天空よ、軽快な疾風よ、河川の源よ、海の波頭の数知れぬ微笑みよ、大地よ、宇宙の母よ、あなたがたをわれは呼び出そう、そしてすべてを見ている太陽球よ、われが耐えているものをご覧あれ。
 ペソアはため息をついた。アントニオ・モーラはナイトテーブルから眼鏡をとってかれの顔にのせてやった。ペソアは目を見開き、その手はシーツの上で動きを止めた。ちょうど二十時三十分だった。

 キリスト教作家とはよくいわれるが、神智学作家とはわたしが初めて使うのではないだろうか。タブッキはまぎれもない神智学作家だが、そのような分類は一笑に付されるだろうか。しかし、タブッキを深く理解したい、研究したいと思えば、必要なことではないかと思う。

 神秘主義の世界に布教されて入ることなどまずありえず、思い出すようにして、なつかしさから入ってしまうほかないが、その神秘主義世界の原理原則、言葉、イメージを、タブッキは万華鏡のように作品に散りばめている。

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