まだ捨てられそうにない文芸部の機関誌 - 自作詩3編と合評メモ。
3年前にも、わたしは黄ばんだ紙の束を捨てようとして、思いとどまったようです。
- 2010年12月29日 (水)
また捨てられなかった文芸部の機関誌
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/12/post-d47c.html
今年もまた捨てられそうにありません。中身を確認さえしなければ、捨ててしまえたでしょうけれど。
福岡大学で学生生活を送ったのが、昭和51年4月~55年3月までで、1回生の早い時期に入部し、卒業する前年まではよく合評会に出席していました。
創作詩を中心とした「太陽」の合評会はだいたい毎週行われていました。他にも、年に2回小説部門に主眼を置いた『福大文学』、年に1回詩部門機関誌『シャバ』が発行されていて、その選考のための合評会もありました。
全部保存していればかなりの数になったでしょうが、わたしが保存しているのはその一部です。「福文連機関紙創刊号 vol.1」も混じっていました。雑誌になったものもあったはずですが、これはガリ刷りです。行織沢子さんの「あこがれ」が載っています。
「福文連機関紙」は九州産業大学、西南学院大学、福岡大学の作品を集めた、合評のための機関誌でした(その前には九州全域の大学に呼びかけた「九文連」が企画されたこともあったとか。続かなかったようですが)。九州大学にも呼びかけていましたが、当時九大は不活発で、愛好会か同好会しかなかったように記憶しています。
でも交流はあり、わたしはその中の1人から、「蜜柑」という小説に分厚い感想の手紙を頂戴したことがありました。いろいろと批判してありましたが、あなたなら小説家になれるという激励の手紙だったような……よく覚えていませんが。
ガリ刷りは年月が経つと印字が薄くなったりするんですね。ほとんど読めなくなっているものもあります。はっきりしているものもあります。なつかしさがこみ上げてきます。
「太陽」には熱心に作品が寄せられていました。わたしも沢山書き、「太陽」で批評して貰い、そして卒業する頃には自身の詩の才能に見切りをつけ、小説に転向しようとしていました。
詩ではなく、散文になってしまうのですね。そのように指摘されることも珍しくありませんでした。
沢山書いた中では、以下の記事で紹介した「月とたましい」だけがどうにか詩になっているように思えます。『シャバ』に載りました。
- 2006年8月17日 (木)
自作詩「月とたましい」&児童文学作品を通して見る母親の幸不幸
https://elder.tea-nifty.com/blog/2006/08/post_ff22.html
今回、一部を読み返してみました。書いたことすら、すっかり忘れていた詩が出てきて、びっくりしました。3編の拙詩及び合評会で受けた批評のメモを紹介します。といっても、少ししかメモできていませんが、合評会の余韻があります。
合評会では、作者は最後にひとこということができるだけで、合評中は静かに耳を傾けているのが作者のとるべき基本的な姿勢とされていました。
「或る記憶」は、飼っていた犬のポリーが死んだときのことを描いた詩。「ろうそく」、もう一つという気がしますが、確か『シャバ』に載せて貰いました。「エロス」は何でしょう、プラトンに心酔していたときの詩でしょうか。プラトンの『饗宴』を読んだあとに書いたのかもしれません。同じ号に「直観をめぐって」という未消化な哲学的エッセーを載せています。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「或る記憶」
後足の細さが かすかにもがいて赤んぼうのように
ポリーは土に降りた。歩いて 歩きながら
ポリーの目は脹れる様(さま)に
見開いてしまった。 わたしは見たのだ。
いつもと変わらぬ 天と地と空(くう)のその一さいが
ポリーの小さな瞳めがけて
雪崩(なだ)れ込むのを
語らぬものの全てが語らぬを周知に ポリー
の瞳を選定した。
わたしは見た。ポリーがなぜ死ぬのかを。
○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*
合評メモ
- 「視覚的理解」と視覚的恐怖をそのままスケッチしようと思った。
- 外界、命もたないもの。
- 感覚的言葉の連続。ぎこちない。
- 「死の瞬間」
- 人間――見る側の選定。
- 最終行の「なぜ」はある部分をごまかしているのではないか? しめくくりに問題あり。
- 一瞬ゾッとした。
- 文全体では入ってこない。
- 「感ずることのあまり新鮮にすぎるとき それを概念化することは きちがひにならないための 生物体の一つの自衛作用だけれども いつまでもまもってばかりゐてはいけない」 [注]司会者のまとめとして引用された文章でしょうか?
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「ろうそく」
ろうそくの灯は わたしを招く手のかたちです
とうの昔から今も眠るものたちの透明な殻が
大地へと染み通った風に擦(こす)られ聴こえてくる
さざめき
ろうそくの灯の疼痛に似た濃い黄は確かに幾ばくかの
ミステリーを隠している
生に立ち還ろうとするもののミステリー
わたしはうわべにすぎぬ
いくら剥ぎ取っても玉葱のように薄ら闇を抱いた
うわべのわたし
泣きにも叫びにも笑いにも実体のほうで籠もってくれはせず
裸足で見つけた わたしの乳母 夢
うつろになるまで夢を見果て
ああ 脳がまた歯ぎしりをしだす
ろうそくの灯はあかいマントの旅人です
○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*
合評メモ
- ろうそく……誰でも使いそうな題材。
- 「うわべ」重厚な観念か? 生活していくことの貴重な認識。調ったいい詩。
- 5行~7行「ろうそくの灯の疼痛~ミステリー」の部分では、生に対する考えがもろに出ている。きつい表現があっても、柔らかくしか読めない。読者にとってはそれがよかった。
- 1行1行の魅力。
- 8行~10行「わたしはうわべ~うわべのわたし」は愚痴っぽい。
- 9行~11行「いくら~籠もってくれはせず」は生の声。限りなく共感を感じる。静かな焦燥感。
- 「わたしはうわべにすぎぬ」「裸足で見つけた わたしの乳母 夢」の定義すごい。切望が籠められている。
- 最後の4行は少女漫画のような構成。「ろうそくの灯はあかいマントの旅人です」は乙女チック。
- 閉じた中にろうそくという対照的な構成。
- いい詩なのか、悪い詩なのか、わからない。
- 「ああ また脳が歯ぎしりをしだす」では作者の中に葛藤がある。高次元の葛藤。
- ろうそくの灯の明晰さとの対比。
- 「ああ また脳が歯ぎしりをしだす」と収束していくが、ひどく重たくなった1行。
- 行ごとに主張が深まっている。
- 読んだイメージとしてはいいが、気に入らなかったのは、「うわべ」が2回来ている。「うわべ」が強調されすぎているのではないか? 後のうわべは削ってほしかった。ろうそくのイメージになじまないものがある。全体の感じとしてはよかった。
- ぐるぐる人生のサイクルの中で、夢のような美しいものを捉えようとするけれど、捉えられないということが書かれている。
- 最後、言い切ってしまっている。言い切ってしまってほしくなかった。
- 行の間に時間が感じられない。一瞬の思考。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
「エロス」
空にあって完璧に
翳と光は聖別されている
無数の絵を
どこにもかしこにも散りばめて
見る者を酔わせる空
わたしとは現在を
その空間と時間を
できるだけ充たそうとする
いっしゅんの
わたし
その集積が醸(かも)し出す
光景(ヴィジョン)ではない
酔って酔いどれて
このいっしゅんの輝きのグラス
指の間からこぼれるままに
おまえの峻別する翳と光
身にしみてふるわせるおまえの
うつろさ貧しさ
愚かなおまえ
酩酊の片恋(エロス)よ
たましいの一点だけの明晰
ああ ソクラテス
翳と光の賢者
○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*
合評メモ
- 言葉のつながり。エーゲ海あたりの紺碧の空。「ソクラテス」へのあこがれ。かなり強く伝わってくる。この詩には共感できた。
- 作者が次元の高い所を求めていっているような感じを受けるが、もう一歩なのではないか? 「ソクラテス」は不自然に感じる。読者が相当に読み込まないと駄目な詩。
- 最初から「いっしゅんの わたし」までは素直に入ってきた。作者のいいたいことがおぼろげにわかる。「酔って酔いどれて」どうしてここで出てきたのか、わからない。「ソクラテス」はあったほうがいいように思う。
- 「酔って酔いどれて このいっしゅんの輝きのグラス」書かれていることはわかる気がする。少々の混乱。
- はじめ読んだとき、作者にしかわからない。しかし感覚としてわかる。「ソクラテス」読者に漠然としたものしか感じられない。最初、ああ今から入っていくのだと思った。「酔って~おまえの峻別」するまでは。「ソクラテス」という哲学をもって来られると困る。全部をつつむように「ソクラテス」をもってこられたら困る。哲学で最後を締めくくられるのは嫌いだ。最後の4行は戸惑う。詩的形式が無視して書かれているからだ。比喩が少ない。かといって、直截的ではない。概念――思考内での解釈をそのままで横たえている。問題――詩的魅力があるかどうか。こういう書き方では観念が鈍化していくのでは。散文にしたほうがいいのではないか。映像を氾濫させるとか。
- 思考の姿を空に託そうとするように感じられる。「酔って」以降、思考の展開。「おまえ」がはっきりしない。手際よく行われてはいない。表現はいいが、展開がよくない。体言止めが三つ続く――もう少し考えるべき。「ソクラテス」唐突すぎる。「わたし~光景ではない」には共鳴できる。
- 硬質の詩。タイトルがエロスだけに、詩として収めきれない。「ソクラテス」気にはならなかった。
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