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2013年7月 1日 (月)

瀕死の児童文学界 ⑨「鬼の創作道場」 - 鬼ヶ島通信 - における体験学習(応募)を経て

 前に、どのアドバイスも参考になりましたと書きましたが、正直にいえば、それは「鬼の創作道場」のレベルがどの程度のものであるかを知る参考になったという意味も含んでいたのですね。

 今の日本では批評されたことは謙虚に受け止め、反論などしてはならないことが暗黙の了解のようになっていますが、これってヘンですよね。口封じのための方便としか思えません。

 バルザックにしても、ゾラにしても、今読んでいるカロッサにしても、様々な批評、批判に対して精力的に反論し、自作を弁護しています。双方の主張がぶつかり合う中で文学観が磨かれたりもするのではないでしょうか。

 わたしは現在本を出されているプロの児童文学作家のブログやレビューの書かれたアマゾンなどをちょくちょく見ますが、互いに褒め合い、宣伝し合っている場面しか拾えません。

 文学論も戦わせない作家なんて、本来の意味でいう作家とはいえないのではないでしょうか。

 で、上記批評を分析してみますと、全体に、これは文学賞への応募作品という水準にある作品に対する批評の仕方ではありませんわね。子供の作文に先生が一言だけ意見を添えるとしたら、こんな風になるのかもしれませんが。

 それでもこれじゃ、その子供が次の作文を書くときの助けとはなりえないでしょう。

 これ以上応募を続けたら、最後には花丸をねだるようになってしまうのではないかという危機感さえ覚えました。純文系雑誌の新人月評など見てもひどいものですが、それにしても、ちょっとひどくはありませんか。

 でも、頑張ってそれに耐え、できれば共産主義者にもなって、30年後ぐらいの作家デビューを目指せたらと真剣に考えたりもしました。

 30年後、わたしは85歳で、2013年、厚生労働省の発表によると、日本人の平均寿命は、男性79.59歳、女性86.35歳ですから、おお、ぎりぎりセーフ。

 自作の弁護に移りますが、わたしは『田中さんちによってきたペガサス』を書くために、乗馬体験をしてから馬が大好きになり、YouTubeで競馬観戦などするようになりました。

 そして、人間を楽しませてくれる馬のレース引退後の運命を知り、そこに思いを馳せたとき、人間の罪深さを思わずにいられませんでした。

 実は今わたしにはお気に入りの牝馬がいるのですが(わたしの想像するペガサスに似ています。優美なところがあるのです)、成績が揮わなくなり、調整のためにレースに出なくなりました。このまま調子が戻らないとなると……胸が潰れそうです。

 危ない運命の迫っている馬の一頭をせめて、架空の世界で助けたかったのです。

 メリーゴーランドから抜け出した木馬が窮地を救う、それも、飛び出したばかりで、外の世界が何が何だかわからない木馬の、他の馬と一緒に走りたいという衝動が他の馬を助けるきっかけとなる愉快な展開にしたいと思ったのでした。

 競馬の馬の過酷な運命を子供に向けて書くためらいは大いにあり、数日悩みましたが、知っておいてもいいのではないかという結論に達しました。

 子供の読者のショックを和らげるためにも、ユーモラスな、美しさもある展開にしたかったのです。メリーゴーランドの着飾った木馬を出したのは、華やかさを演出したいという意図もありました。

 火事の場面は、ちょうど作品を執筆する前に自身が体験したことでした。火元の真上のお宅は5月の連休明けには長かった改修工事が済んで、それを待っていたかのように鳩が戻ってきましたよ。うちにも遊びにやってきますが、糞をするので叱ります。

 あの火事のとき、わたしの想い描くような木馬がいれば、火事で犠牲になった男性も助かったかもしれないと思いました。

 神秘主義者のわたしは、火事の夜、男性がオロオロと見回っているのを感じ、この世のことはこの世に任せるようにとアドバイスしましたけれど(詳細)、まあそれについては、わたしの夢想ということにしておきます。

 子供の読者に対し火事を生々しく描写してみせることのデメリットも数日考えましたが、リンドグレーンの『はるかな国の兄妹』ではもっと悲惨な場面が描かれているのを読み、間近で火事が起きたときの参考になるのではないかという結論に至りました。

 序破急の構成でしたから、2回助けた木馬が最後に助けられる結末にしたいと考えました。

 わたしは自身がメリーゴーランドの木馬のように狭い家の中、限られた執筆環境の中でグルグル回っているような虚しさに囚われることがよくあります。

 いくらかの文学的才能と神秘主義者としての体験を持っているのに、このまま宝の持ち腐れで終わるのかしら。グルグル回っているだけで、何も世のためになっていないのではないかしら。

 その応えを、最後の「急」に求めたのでした。物事に行き詰まったとき、わたしはよくグーグルアースで世界を旅するのです。大きな世界のことを考えることで、救われる気がします。

「木馬にもっとよりそって」という意見がありましたが、ガイドブックを持たずに旅行に出たときのわたしがあんな風で、どこで何をしたらいいのかよくわからないまま、何か気を惹かれたり、誘われたりしたらそちらに行ってしまいますから、木馬だってそうではないかと思ったのですね。

 ところで、いじめを描いたティーンズものが流行っているようですが、少年少女にはそんなときこそ、いじめなどとは無縁なスケールの大きさを感じさせる作品に出合って貰いたいものだとわたしは思います。

「できれば共産主義者になって」と書きましたが、説明を加えますと、今の日本の児童文学界は共産主義者のための楽園というべきか、閉鎖社会になっているという現実が窺えるからです。

 尤も、福音館はプロテスタント系ですが、日本のプロテスタントと共産党は不思議なことに仲がいいそうです。

 知恵袋がその辺りを解説してくれています。

 どの出版社のものも、すばらしいのは翻訳物ばかりではありませんか。

 日本の児童文学界自体やその作品群に漂っている閉塞感と暗さの一因は、今の日本共産党的考え方では、他国から攻められたときには滅ぶ以外にないという、未来像を描けないところからきているではないかと思います。武装中立国を目指した時期もあったようですが、まだしもそれだと納得がいきます。

 戦争を知らない子供たちの一人であるわたしは戦争のことなど、できれば考えたくなく、ましてや大日本帝国が行ったといわれるヒトラー並の侵略戦争などもってのほかだと思うのですが、あれはGHQ影響下の日教組による愚民教育の一つで、真実ではなかったという説が最近盛んですね。

 わたしはそれについてリサーチを続けているところですが、共産主義者が大戦中の国難の時に国家転覆を企んで大日本帝国の足を引っ張り、あの戦争を一段と悲惨なものにしたことは間違いないでしょう。愚民政策の一つなのか、馬鹿に美化されていますが。

 攻められたときのことを考えると、防衛は本当に大事ですよね。

 わたしは日本が攻め込まれたら、竹槍ででも戦います。安手の平和論ほど、嫌らしいものはないと思っています。

 わたしの母方の祖母の家系を傍流から丹念に辿れば、やまとのあやに辿り着き、一番近い祖先は元冦の役の功で祖母の実家のあった辺りの土地を賜ったようです。そのとき松浦水軍の一員として戦ったらしい夫の祖先とわたしの祖先は、縁がありそうです。

 祖母は母が13歳のときに亡くなっています。聴いた話では、祖母は名のある軍人の仲人で結婚し、嫁いだときは沿道に見物人が詰めかけたといいますから、名のある軍人に仲人を頼めるような人が祖母の身内にいたのではないかと思い、ググってみました。

 すると、名のある軍人と直接に親しいと考えるには若すぎますが、身内かもしれないと思える軍人が見つかりました。祖母は結婚した年が明治41年で、女学校を出ていますから、明治21年生まれのその人は弟でしょうか? 兄かもしれません。祖母の生年がよくわかりません。

 本当に祖母の身内だったかどうかはわかりませんが、そこから離れて、その男性の一生を軍人の一サンプルとして(?)鳥瞰するとき、海での戦に明け暮れた大変な人生が浮かび上がってきます。

 その人は、明治44年(1911年)、大日本帝国海軍の筑波 (巡洋戦艦)に海軍少尉として勤務したのを始まりとしています。佐藤さとる先生の海軍士官だった父の人物伝『佐藤完一の伝記 海の志願兵』にこの筑波が出てくるそうですね。

 中尉のときに一旦勤務を離れて、砲術校、水雷校に行っています。そして大尉になるまで巡洋戦艦、戦艦、海防艦、駆逐艦に乗り、海軍大尉のときから海軍少佐のときは主に駆逐艦長。海軍中佐のときは駆逐隊司令など。海軍大佐のときから出てくる鎮附って何でしょうか?  海軍提督府に勤務すること?

 まあ何にせよ、いろいろな軍船や海軍施設などでこの人は勤務して、昭和17年(1942)年に戦死53歳、海軍少将。戦死する前年は駆潜隊司令とあり、これは駆逐艦とは違って、漁船を改造したような小回りの利く小さな船? 

 海軍の船について今調べたばかりで、さっぱりわかりません。間違ったことを書いているかもしれません。 

 31年間もほとんど海に出っぱなしで、もう引退もしたかっただろう時期に、最後は危ない小船に乗って司令中に撃沈されたのかしら?

 その心は知りようがありませんが、お国を守るために必死だったのではないかと想像します。命をかけて守った国が戦後、こんなになるとは知らないで。

 原発反対だってね、わたしは原発は計画的に止めていくべきだと思いますが、急に原発がとまれば、石油や天然ガスに頼らざるをえませんよね。自然エネルギーは大した足しにはならないし、シェールガスは環境破壊や誘発地震がいわれており、結局手っ取り早く頼れるのは石油に天然ガスでしょう?

 タンカーの乗組員だった父は中東情勢が悪いときも、死ぬ覚悟でとりにいっていましたよ。2年近く帰れないこともありました。嵐のときなんか凄いらしくて、優秀な船長候補が狂ってしまったなんて話を聞いたことがあります。若いのに、わけのわからないことを口走って、垂れ流し状態になったんですって。

 西側諸国のこうした行動は中東を刺激し続けているのです。

 反対するのであれば、優れた対案を出していただきたいものですが、共産党は国会じゃ、とりあえず反対するばかりですよね。綺麗事ばっかり。そして、共産党は日本では少数派なのに、児童文学界では多数派という異常な事態がありますわね。 

 鬼ヶ島の先生方にはすばらしい方が多いようですし(楽しみにしていた連載もいくつかありました)、そこに集う書き手も優秀な人々だと思いますが、体質改善が必要なところもあるのではないかと感じました。

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