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2013年5月22日 (水)

気のせいだったのかもしれませんが

『茜の帳』のあとがきに時間をとられ、気づくと、もうこんな時間。しかも、まだ書き上がっていません。同人誌からエッセーを写す作業も、これから。

 この本を完成させるのにさえ手こずっているのに、日記体児童文学作品『すみれ色の帽子』、幻想小説集『杜若幻想・フーガ・牡丹』、歴史エッセー『卑弥呼をめぐる私的考察』、神秘主義小説『露草』『昼下がりのカタルシス』、時事小説『地味な人』、純文学小説としかいいようがない『銀の潮』『救われなかった男の物語』を早くやっつけてしまわなければと気が急きます(このところサボっていただけに)。

 7月になると新しい小説を書く予定があるので、またしても『不思議な接着剤』はお預けです。まだノートをとる段階ですしね。いつか完成させられるのでしょうか。おぼつかないので、やっぱりミニチュア、書いておこうかしら。

 タイトルとは別のことを書いてしまいましたが、わざと関係のないことを書いているともいえます。あまり目立ってほしくない記事なので。

 わたしの気のせいか、寝言と思っていただければ幸いです。ライン以下に畳んでおくことにします。ライン以下からは神秘主義メモです。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

〔神秘主義メモ〕

 先日、息子と電話でおしゃべりしたとき、近所で起きた火事の話題が出ました。火元も改装されて綺麗になっているに違いないというと(見に行っていないので、詳しくは知りません)、息子が――一般論を語るという感じで――もし火災に遭った部屋に入居する人がいるとしたら、気持ちが悪くないだろうか、といいました。

 それはそうね、とわたしはいいました。知っていて入りたがる人はあまりいないでしょうね。近所の火元だったところが借家になるのかどうかは知りませんが。実際、わたしは夜になると怖いんです。一般論がわたしの頭にも染み込んでいて、怖い。

 なぜ一般論といったかといえば、わたしの気のせいかもしれませんが、あの火災の夜、一般論では解釈できない出来事に出合った(気がする)からです。

 鎮火後に部屋に戻った後でだったと思うのですが(すぐにメモしておけばよかったのですが、時間帯がはっきりしません)、「しまった~!」という感じで、中年くらいの、比較的若々しく感じられる男性が、あちこちのぞき回っている気配を覚えたのです。

 肉眼に映るように姿が見えたわけでも、耳に聴こえるように聴こえたわけでもないのですが、自身が作り出した澄明な空間の中で、その姿や感じが何となくわかり、その人の心の声がわかるという感じを覚えました。

 死んで間もない人が透明人間のような元気な姿で(霊媒には幽霊として見えるのかもしれませんが)、死後しばらくの間、行きたいところへ行くことをわたしは観察済みです。

 何人かの死者の訪問を受けたことがあるからです。わたしの観察が間違っていなければ、7日ほど経つと、死者はどこかへ行かなければならないらしく、バタバタしていなくなります。成仏というのも、慌ただしいものですわね。

 宮沢賢治の銀河鉄道みたいなものが本当にあるのかもしれないと、わたしは思ったりしています。

 で、わたしはあちこち心配してのぞき回っている男性を、状況から考えて、火元の亡くなった人ではないかと思いました。まさか火事になるなんて思いもしなかったのに、そうなってしまい、ぎりぎりまで何とかしようとして亡くなったのではないでしょうか。

 わたしは、その人に聴こえるかどうかわからないままに、いくらか蓮っ葉に呼びかけました(死んだ人には、心で呼びかけると通じることが多いように思います)。

「あなた以外に死んだ人はいないんだから、大丈夫。仕方のないことだったのよ。もう亡くなったんだから、こちらのことは心配しないで、あの世で楽しくおやりなさいな。完璧に生きられる人なんかいないんだし、あなたは何とかしようとがんばったんだから。本当にお疲れ様」

 わたしの呼びかけには思いがけない印象を受けたようでしたが、事態の大きさに対する戸惑い、焦り、心配は相当に大きいようでした。

 このとき、わたしはもっと被害が少ないと思っていました。自分のところが何の被害もなかったので、火元以外は無傷に近いと思っていたのです。その人は被害がもっと大きいことを知っていたのでしょうね。うちのお隣や、火元の下の階でも被害は出ていたようです。

 いずれにしても、その人は他の普通の人々と同じように、指定された時に指定された場所へきちんと行かれたんじゃないか(つまり無事に成仏なさったのではないか)と思っていますが、その後のことは知りません。

 死んだばかりの人は、生きていた頃の感じそのままです。だから、性悪の人の葬式には行かない方がいいですよ。くっついてきて悪さをしかねませんから。でも、おおかたの死者は、肉親や知人のことを気にして、そちらのことにかまけています。

 わたしはその人のことを全然知らなかったし、火元となった部屋には「お爺さんが一人で住んでいた」、などと他の人たちがいっていたので、オロオロとあちこち見回っているその人が、それよりずっと若いことに意外な感じを受けました。

 一酸化炭素中毒で亡くなったようですが、元気そのものでしたよ(?)。

 翌日、火元の人がわたしと同年代だったことを知りました。その人が見回っていることを感じたときは何も怖くありませんでしたが(近所の人に出くわしたのと同じことなので)、そんなこと、わたしの気のせい(妄想)だったにすぎないかもしれませんし、わたしは怖がりなので、今も夜になると少し怖いです。

 それにしても、死んだあとのことを考えると、創作に執着するのもほどほどにしたいと思うのです。死んだあと、何かに執着するあまり、指定された時に指定された場所へ行けないと困りますから。あの世のセーフティネットからこぼれないようにしなくては。

 あの世の方々だって万能ではありませんし、ボランティアの数だって限られているでしょうからね。この世と同じで。

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