大東亜共栄圏の夢が破れ、日教組の罪な戦後教育
前の記事「YouTubeよりセレクト - 慰安婦問題、南京事件」で、19世紀朝鮮の写真を集めた動画を観、胸が潰れるような思いがした。あれが人間の暮らしとは、とても思えない。
で、李氏朝鮮時代について調べていた。末期は本当にひどいものだったようだ。体制自体に欠陥があったとしか思えず、現在の北朝鮮は先祖返りしているかのよう。
イザベラ・バードの旅行記はぜひ、読んでみたい。
今の中韓の反日教育は、仮にそれ相当の理由があるにせよ、日本にとってとんだいいががりにせよ(日本が朝鮮を統治する前後の写真を見ただけで、そう思わされる圧倒的な力があった)、そんなことを続けて自国のメリットになるわけがない。国としても、人間としても、品性が損なわれるばかりだろう。
そしてまた、日本の戦後教育にも甚だ欠陥があったわけで、日教組が中心となって子供たちに自虐史観を教え込み、どんな情操教育も無になるようなことをしてきた罪は、とてつもなく重いといわねばならない。
敗戦という弱みにつけ込んで、「あなたたちの祖先は極悪人なのよ」といい続けてきた。安手の平和主義、平等主義を刷り込んだ。子供たちのことを思ってそうしたとはとても思えない、何か別の目的があってのことだと今頃になって気づいたわたしはもう中年。
複雑な状況下で、日本が選択し、実行したことを、まるで生まれついての極悪人だったからとでもいうように、キリスト教の原罪以上に残酷な刷り込みをした。
そのお陰で、わたしの世代は統一教会に騙されやすかった。自虐史観がまるで、笛吹男のような役割を果たしたのだ。
人間の魂の底から輝き出る真の幸福感は、反日教育、自虐史観、どちらからも来ない。何にもならないことを続けて、どうしようというのか。李氏朝鮮末期の、あのような悲惨な状態を理想郷とするとでもいうのだろうか。とても、ついて行けない。
大正・昭和に活躍した作家の中で、戦争を賛美した――と単純化した表現が当たり前となっている――時期を持つ人物は少なくない。ちょっと思い出すだけでも、高村光太郎、佐藤春夫、林芙美子、吉屋信子、谷崎潤一郎、菊池寛……この作家たちは決して頭の悪い、感性の鈍い人たちではない。
それに、例えば吉屋信子の作品に表現された中国王朝に対する繊細、甘美な憧憬と戦争の賛美ということが、どうしても結びつかなかった。それが不思議だった。
しかし、それはわたしがあの戦争を、弱者から搾取するだけの植民地化を目的とした、鬼畜のような戦いかたをする日本軍による帝国主義まるだしの戦争――だったと教わるままに思い込んでいたからだった。
それが、大東亜共栄圏という文字通りに、白人支配からの解放と、解放後は共に栄えることを目的とした戦争だったとしたら、話は違ってくる。
日本が統治する前後の朝鮮の写真を歴史の教科書に載せないのは、重罪である。
出張で韓国に行っていた息子が、朝、帰ってきた。すぐに都内での学会に出かけるそうで、慌ただしい様子だ。落ち着いた頃にでも、感想を聞いてみたい。
娘が文通をしているフィレンツェの書店主さんは、バルザックの『幻滅』を読了されたとか。互いに語彙不足で、感想をいい合うには不自由さがあるようだが、楽しいみたいだ。
それにしても日本がハングル語を朝鮮(の大衆)に根付かせたとは知らなかった。それに、赤字経営の植民地政策だなんて、笑いたくなってしまう、ありえない話ではないか。
動画をそのまま受けとるのもナンなので、きちんとリサーチしたいが、もし本当だとすると、まるでプロメーテウスではないか、日本は。
朝鮮人の有名な短気さは語彙不足のため、内面の表現が不自由であったことから来ているという説があるようだ。
純文学は語彙を豊かに、美しく保つ役割を担ってきたのに、その役割が果たせなくなってきている。日本を中韓のようにしたい人々は、中韓に行って貰いたい。日本人である必要がないのではないか。
※当ブログにおける関連記事
・2013年5月27日 (月)
YouTubeよりセレクト - 慰安婦問題、南京事件 (※29日に追記あり)
https://elder.tea-nifty.com/blog/2013/05/youtube---82b7.html
・2013年6月 9日 (日)
村上春樹現象の深層 ⑤言論統制が行われている中国・韓国で、村上春樹がヒットを続ける理由
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