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2013年3月24日 (日)

サビアンシンボルの移行期に、人生を考える

 過日、南海トラフ巨大地震、別府湾地震を想定した校区防災マップが配られた。

 わたしの住むマンションは(わたしたちは借りている)、地区では、というより市全体でも建物としては高いほうで、マップで津波避難ビルに指定されている建物を見ても、何だか心許ない。

 津波となると、ここにいるのが一番だという気がする。しかし地震では古い型のマンションだから、バランスをとるために強く頭を振るに違いない。ここに引っ越してきてから地震に敏感になったのは、どうかしたら震度1でも体感できるくらいの建物の揺れ方なのだ。

 実際、3ぐらいでもこの階の住人は皆通路に飛び出す。巨大地震となると、もうどうなるのか、見当がつかない。

 近くの公民館は避難所にも津波避難ビルにも指定されない貧弱さで、ADAの設置もないが、何と防災井戸がある! 個人宅でも、井戸のあるお家は防災井戸に指定されていて、震災後に市民が押しかけるとなると、大変だろうなあ。

 最低でも、水、トイレットペーパー、カップヌードルはケースで各一つずつ、切らさないように心がけたい。

 わが家族は、日田市にいたときは台風被害、過日は近くで起きた火災など、結構怖い目に遭ってきた。

 夫(と相手)の過ちの後始末としての示談時に両家庭で再出発を誓ってすぐに起きた相手のストーカー行為(今後も何かあれば通報するしかない)や、再婚後にパートナーの影響で徐々におかしくなった父からふっかけられた裁判沙汰など合わせると、ここ10年近く、異常事態が続いてきたといってもよい。

 その間、体がストレスを受け止めきれなかっらしく、頻脈だけだったのが、喘息、冠攣縮性狭心症、骨腫瘍、弁膜症など、大きな事が起きる度ごとに病気が増えていった。

 ここ10年ほど、サビアン占星術ではシンボルが「割れたビンとこぼれた香水」〔※松村潔著『サビアン占星術』(学習研究社)参照〕で、色々なものが壊れやすく(実に、頭蓋骨まで手術でほんのちょっととはいえ割れた!)、示談や裁判など目立ったのは、これが木星の年齢域だったからだろうか。

 年齢的にはそろそろ「玩具の馬に乗っている小太りの少年」の域に移ろうかという時で、鏡関係には「パームの枝を刈る男」、意識の表と裏の関係と解説されている90度には、「聖職の浄化」「半旗として掲げられた旗」が来る。

 マグダラのマリアに関するリサーチには神秘主義者としての「聖職の浄化」としての意識が働いているように思え、鋭さを増してしまった評論活動(ブログと電子書籍を通してやっているにすぎないが)には「パームの枝を刈る男」というしつけ、教育にも関係しているというシンボルが大いに関係しているような気がする。

 わたしは、ケチをつけるとか悪口をいうとかといった心境とは遠い危機的意識で評論を書いている。というより、書くように促されているような切羽詰まった心境にあるといったらいいだろうか。辛辣になりがちなのは、そのためで、自分でもよくないとは思っている。

 大切なものが失われそうな恐怖感がある。その意識は、マグダラのマリアに関するリサーチとも無関係ではない。そして大切なものが失われそうな恐怖感は、「割れたビンとこぼれた香水」の年齢域に起きた災害の恐怖感から引き継がれたものともいえる。

「半旗として掲げられた旗」とは死んだ人を悼む旗のことだそうで、これは死んだ人というより退職する人などの引き際を意味するという。夫の定年退職はわたしにもストレートに影響があり、社会状況の悪化もあって再就職は大変だったが、夫婦で力を合わせて乗り切らなければならない状況は今後も続くのだろう。

 その状況と、わたしが始めた電子出版は無関係ではない。「玩具の馬に乗っている小太りの少年」は創作と関係しやすいシンボルであるようだ。

 近くで起きた火事は、もう一室火元がずれていれば、現在わたしたち家族はここで暮らしていられなかっただろう。実際、隣のおばさんのお宅はそうであり、最近LEDランタンと軍手をプレゼントをしたばかり、というと、まだどんな状態にあるかが想像できると思う。放水で濡れたものの整理に毎日通って来られていて、根を詰めていらっしゃる様子なのが心配だ。

 延焼は免れても、火元の上は大変なのだ。溜めていた浴槽の水が全部蒸発していたという。床が熱かったため放水されたが、床下に溜まった水は火元の鎮火後の夜、300度もあったそうだ。床は、床下も含めてボコボコになったらしい。消防の人がその夜は遅くまでいた。

 わが家は見た目にはベランダが煤けたくらいで変化がなかったが、室内のポリ袋が煤けていたり、萎びたようになったりしていたことから考えると、下に避難していた間に煙がかなり入り込み、室内の温度も高くなっていたに違いない。ベランダの植物は健在だったが、室内に置いていた植物は枯れた。

 おばさんのお宅で、一昨日、盛大な工事の音がしていた。喧しかったが、嬉しい音でもあり、心が弾んだ。来月が終わる頃には、おばさんにも以前の生活が戻ってくる見通しで、わたしも早くそうなればいいなあと思っている。

 ところで、色々なことが起き、これからもまたいつ――という不安感に駆られやすいわたしには、カロッサの戦時下における日記が参考になる。そのときはそのときと割り切り、いつものように過ごす、それが大事なことであるような気がする。

 今日すべきことをする、それが大事。現在のわたしの場合は、家事と創作。家事は家族の勤務を支える欠かせない仕事で、これが一番大事だが、創作はそれとは次元のことなる重要味を帯びた仕事だ。

 傍目にはおばさんのお遊びにしか見えなかろうと、神秘主義的体験をわたしのような形で持ち、かつそれを客観視できる知識と能力に恵まれた人間は少ない。そうした体験を通して社会を見、考察する力量は貴重だ。プロにはなれないまま終わろうとも、他人にはその重要さが認識できないとしても、歴とした仕事なのだ。

 その仕事はまだ始まったばかりといってよい段階で、これから充実させていきたいのだが、さてどこまで体が持つのか。

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