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2013年2月 4日 (月)

しばらくはトラウマになりそう

 夕食の支度が遅れたと焦りながら管理画面で記事を途中まで書いたとき、近くで火災が発生し、中断を余儀なくされた。その3日後には、これまでの部屋で、こうしてまた普通に記事を書いている事が不思議だ。人間、何が起きるかわからない。

 普段は、自分自身でつくり出す想念の繭につつまれて、快適に生きているのだということがつくづくわかった。あのときは、その繭から暴力的に引き摺り出された気がした。

 自分の体は全くの物質であり、物質界の法則に支配されているのだということが嫌というほどわかる瞬間。台風被害に遭ったときも、そうだった。「なぜ、今なの? 楽しく記事を書いていたのに。たった今まで、何事もなかったのに、嘘でしょう?」

 寝ていた夫を起こし、娘を急かす。そうしながらも、「なに、これ。嘘でしょう?」と考えている。わたしたちはもしかしたら、死んでしまうのだろうか、という思いもよぎった。そんな、まさか、嫌だわ、と思った。

 しかし、危険が迫っていることを認めないわけにはいかなかった。あまりに異様なので、ベランダに出ると、「火事だよ! あんたんとこだよ!」と向かいのホテルの人が拡声器を通して教えてくれたのだから。あれは本当にありがたかった。

 確かに、既に熱くて、煙たかった。出る準備を急ぎながらも、困惑は続いていた。神経も何も、むき出しになったように感じられた。

 最初はドンドンドンと聴こえたのだ。ドンドンドンといっても、叩くような音ではなく、ほとんどボンボンボンとも聴こえる、天井を突くような圧迫音とでもいおうか。こんな時間から大がかりな改装工事なんて……と呆れた。

 次いで、バリバリバリと聴こえた。これまでに聴いたこともなかったような、凄まじい音。樹木を裂くかのような。

 あっという間にそうなった。この時点では、もう床がとても不安定に感じられ、いくらか熱くなっていた。離れていてもこうだったのだから、出火元の真上の人はどれほどの恐怖だったことだろう。

 室内着の上にオーバーを羽織り、大事な書類(自分の作品ではない)を抱え、ショルダーバッグを肩にかけた。娘もショルダーバッグを肩にかけていた。夫は車のキーとなぜか飴玉を3個ポケットに入れたそうだ。家族の誰にも、ブレーカーを落とす心理的な余裕がなかった。ドアの鍵は夫が締めた。

 通路には人影がなく、不思議なくらいに静まり返っていたので、同じ階の他の人々は皆避難したか、外出中だと思った。

 火事の場合は身に危険が迫っていても、本当にわかりにくい。地震のときであれば、少しの揺れでも、皆、通路へと飛び出すのだが。

 それに、他がどうなっているのかさっぱりわからなかったので、この辺りだけがこんな非常事態にあるとは思わず、マンション全体のあちこちがこんな風だと思い込んでいた。

 それで、無理をしてでも外に直に通じている非常階段を下りるつもりだったのだが、そこは黒煙が立ちこめていて、暗く、上からはほとんど何も見えなかった。明かりのあるエレベーターのほうへ行くしかなかった。エレベーターの近くの階段を使って下りた。

 下りている間中、拍子抜けするくらい、安全だった。管理組合の役員の人たちなのか、消火器を抱えて上へ行く幾人かの私服の男性とすれ違った。

 この時点で、まだ出火元の真上にいた人は、ドアが熱風で開けられずにいたという。消防の男性がドアを開け、おんぶして安全な場へ連れ出してくれたそうだ。

 部屋で横になってテレビを見ていると、ドンドンドンと、まるで悪戯でもするようなひどい音がしてきたそうだ。「やめて、悪戯は!」と叫び、それでも続く音に気が変になりそうになり、外出中の家族に電話をしたという。

「電話している間に、なぜ外に出なかったの?」と、家族にあとでいわれていた。

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