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2013年1月 8日 (火)

フリーのグラフィックソフト「GIMP」を始めてみました……わくわく。文学について。

 昨夜、電子書籍の表紙絵にタイトルを入れるとき、ふと「パソコンに入っていたペイントじゃ、つまらない」と思ってしまいました。さらに表紙絵の作成自体でも、「年賀状ソフトのほうが色々とできたなあ」と思ってしまったのです。

 それで、フリーソフトを探し、解説が沢山出てきたGIMPをダウンロード・インストールしてみました。

 下記からダウンロードしました。

 本家は下記。

 本家へ行くと、トップ画像に「gimp 2.8 『Release Notes』『Download』」と表示されていて、これが最新版のようです。が、2.6の解説が充実しているようだったので、とりあえず、2.6をダウンロード・インストールしてみた次第。

 お絵描き音痴なわたしは、グラフィックと聴くだけで、別世界のお話だと感じ、そこで情報をシャットアウトしてきましたが、GIMPはオープンソースで開発されている無料のグラフィックソフトだというのです。

 タイトル文字をもっとすてきにしたい、という思いが別世界へのカーテンを開けさせたのでした(大袈裟ですみません)。

 GIMPが高性能、多機能なグラフィックソフトであることは、いくらお絵描き音痴のわたしでもわかりました。

 それが、たまたま下記のサイト様のページ『GIMP for Windowsを使ってみる』にアクセスしたところ、〈初級者だけど手っ取り早くロゴを作りたい!〉 〈金色のロゴを簡単に作りたい!〉という見出しが目に入り、そこを閲覧して「わあ、すてき。わたしにもできるかもしれない」と思ってしまったのでした。

 現在、下記のサイト様で勉強させていただいているところです。

 古いパソコンがいかれたときは、使い慣れたパソコンと心中してしまいたいくらい悲しかったけれど、あのパソコンがまだ元気で使い続けていたとしたら、今日のような展開はなかったでしょうね。GIMPの重さにはとても耐えられなかったでしょう。

 それと同じように、一種の絶望から始まった電子書籍へのチャレンジ。本格的にやりたいと思っているKindleへの登録もまだですが、お先真っ暗とは限らないかもしれないと思い始めました。少なくとも、賞に応募し続けるよりはいいかもしれないと。

 だってね、賞に応募して落ちると、勉強して出直せという感じで、どうかしたら文学講座のチラシが入っていたりするほどです。

 でも、バルザックやユーゴーやゾラなんかが活躍していた頃のフランスの文学界には、それこそオープンソースに匹敵するような文学サロンがあり、皆芸術家としての平等の意識で、優れたものを注ぎ込んでいたのです。

 それからすると、日本の文学界はあまりに貧相というか、そもそもが求めているものがあまりに違う世界でしかないという結論に、わたしは達してしまったのでした。

 商業誌「〇〇〇」は、よく芥川賞作家が出る有名な文芸誌ですが、こんなこといったらまずいかしら。

 わたしの文学仲間の一人がそこの新人賞の一次だったか二次だったかは忘れましたが、中間発表に名があったので、「凄いわね」といったら、その文学仲間は、そこの下読みの人を知っていて、直接そこへ送ったといっていました。「普通に送ったら、通りっこないからね。でも、そこまでだともわかっていたけれど」だそうで。

 その文学仲間は、某芥川賞作家とも知り合い(というより、古くからの文学仲間)でした。某芥川賞作家の担当編集者とも遊び仲間だった関係で、文学界の裏話を色々と知っています。その文学仲間は「僕があなただったら、体を売ってでも作家になったよ」といいました。

 日本の文学界からすばらしい作品が次々に(いえ、たまにでもいいけれど)発表されている状況であれば、こんな裏話もむしろ華やかな(?)尾ひれと感じられたでしょう。

 なぜわたしがそんな昔の話(だと思います。現在はその段階にすらないと感じます)をしたかというと、あまりに賞を神格化している初な人が多いと感じるからです。勿論、どの賞もそうだとはいいません。いえ、どの賞もその賞なりにまじめで真剣だということはいえると思います。

 ただ、わたしもある賞の下読みをしたことのある経験上、賞がどんなものかはわかってしまっています。神格化すべきものでないことは確かです。

 文学賞とは、文学のイロハもわからない初心者が応募する場なのでしょうか。本当はそんなものではないはずでしょう。学生の作文コンクールではないのですから。

 文学賞というからには、そこは応募者がそれぞれの芸術観(文学観)を戦わせる場であり、そのことで社会を活性化させる役目を担うべきもののはずです。

 これは物のたとえですが、例えば民主政権を想わせるような、特定の派(在日外国人寄り、左翼寄り)による占有とその教育機関といったようなものではないはずだと思うのですが。

 外国の文学賞の実態がどんなものかは知りませんが、日本の文学賞は一種独特のものに成りはてているのではないでしょうか。昭和の……三島由紀夫が自殺するくらいまでは、日本にも文学の香気が感じられましたね。その頃までは、大正から書き抜いてきた筋金入りの作家が生き残っていたからでしょうか。

 わたしはもう年ですし、作家になるには頭が悪すぎるから仕方がないとも思いますが、熱心な有望な書き手が原因もわからずにどんどん潰れていっている現状を、あちこちで風に吹かれたままの創作ブログなどから感じるたびに、やりきれない思いがし、つい色々と書いてしまいました。日本の文学は、このままでは確実に滅びてしまいます。

 また芥川賞の発表の時期が近づいたのが怖い。でも、よい作品が選出される期待が失せてしまっているわけではないので、なるべく今回も感想を書くつもりです。

 ※後半の文学の記事に対するコメント、メールは受け付けておりません。

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