『ジョルジュ・サンドからの手紙――スペイン・マヨルカ島,ショパンとの旅の生活』(持田明子編、藤原書店)を読んで
藤原書店から出ている『ジョルジュ・サンドからの手紙――スペイン・マヨルカ島,ショパンとの旅の生活』を図書館からまた借りた。
本の初めのほうが汚されていて、再度、借りては来たものの、頁をめくる気がしなかったのだが、読んだ。
マヨルカ島でサンドと暮らすショパンの結核(ショパンの病気は気管支炎と当人もサンドも信じていたという)の悪化ぶりが凄まじい。
ショパンの療養を兼ねたふたりの愛の逃避行というには、そもそもサンドは子連れで、ショパンの病状は深刻になりすぎるし、自然に恵まれた別荘というには不便極まる仮の住居での生活に、ショパンの看病に、執筆に、と追われるサンドは多忙すぎる。
ショパンはマヨルカ島でよく死ななかったものだ、と感心する。サンドの楽天性としたたかな生活術に救われた逃避行だったといえるだろう。サンドはさすがは軍人貴族の血筋だけあって、骨太の女性だ。
主体的で、母性愛にも富んだサンドはマヨルカ島での生活以降、完全にショパンの母親と化している。友人に宛てた手紙で、「あの子」「天使」「坊や」とあるのはショパンのことである。
しかし、なかなか到着しないピアノを待ち焦がれるショパンの様子、ショパンにとっては不快と恐怖以外の何ものでもなさそうなマヨルカ島での過酷な滞在中も作曲を続ける姿、繊細の塊のような面影を、さすがにサンドの筆はよく捉えている。以下は、本に引用されていた『わが生涯の歴史』の部分からの印象的な断片である。
◇その日は、体の調子がとても良かった彼を残して、わたしはモーリスを連れ、仮住まいに必要なものをパルマまで買いに出かけた。雨が降り始め、急流が氾濫した。三リューの道のりを戻って来るのに六時間もかかったほどの洪水であったが、途方もない危険のなか、貸し馬車の御者に放り出され、靴さえ無くして、真夜中に辿り着いた。病人が不安になっているだろうと急いだ。果たして、彼の不安は激しいものであったが、凍りついてしまったように、絶望の果ての落ち着きのなかにあった。そして、涙を流しながら、美しいプレリュードを弾いていた。私達が入って来るのを目にすると、大きな叫び声を上げて立ち上がった。それから、錯乱した様子で、そして奇妙な口調で、「ああ! 僕にはよく分かっていましたよ、あなた方が死んでしまったのが!」と言った。
彼が正気を取り戻して、私達の様子を見たとき、彼は私達が直面した危険を思い浮かべて、気分が悪くなった。それから、私達の帰りを待っている間、こうした光景を残らず夢に見たこと、そしてこの夢と現実の区別ができなくなり自分も同じように死んでいると言い聞かせて、ピアノを弾くことで気持ちを鎮め、まどろんだようになっていたことをわたしに打ち明けた。◆
ほとんどショパンの母親となったサンドだったが、サンドにはモーリスという男児とソランジュという女児の子供がいて、子供たちはマヨルカ島滞在で健康になっている。対照的に、ショパンはこの滞在で甚だしく健康を損ない、生活の安定まで損なわれることになった。
パリに居心地よく整えたアパルトマン、社交界の人々や芸術仲間、生活の安定にかかわる15人ほどの生徒、楽譜出版業者たちとの絆が切れることをショパンは心配し、マヨルカ島への旅立ちを恐れたという。
ショパンは作曲家としても、演奏家としても、教師としても優れた人物だった。サンドとの恋愛がショパンの音楽に寄与した点は勿論あっただろうが、脂がのったこの時期に、サンドの誘いかけでマヨルカ島なんぞに出かけなければ、ショパンは音楽界にとってどこまで大きな存在になりえたのか、想像もつかないくらいだ。
そうした面から見ると、サンドはショパンにとって、疫病神に等しい。気質的に違いすぎるのである。それは、友人、知人に宛てられた彼らの手紙を読んでもわかる。感情の起伏がストレートに出がちなサンドの手紙とは対照的に、ショパンの手紙は真情の籠もった端正なものである。
これ以後のショパンについてネットでリサーチしたところでは、サンドの子供たちとの問題が複雑に絡んで、サンドとショパンの別れにつながったようだ。モーリスはショパンに反抗的だったというし、サンドは実務的手腕のある――ちょっと身勝手なところもありそうな――女性だから、サンド側にとってはノアンの土地・家屋の相続権のことなども問題の遠因としてあったのではないだろうか。
『ジョルジュ・サンドからの手紙――スペイン・マヨルカ島,ショパンとの旅の生活』は、サンドとショパンの人となりが生々しく伝わってくる作品の構成となっていた。
マヨルカ島での暮らしを終え、なつかしいノアンに帰り着いたサンドは旧友バルザックに手紙を書いている。バルザックには『ベアトリックス』というサンドをモデルとした小説がある(東京創元社から出ている『バルザック全集 第十五巻』に納められている)。
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