書評のためのメモ;ヴァレス『子ども』、ブラヴァツキー『ベールをとったイシス第1巻―科学上―』
『ベールをとったイシス』については、本文をろくに読みもしないで書かれた悪評が多い。それについては、いずれ、きちんと分析してみたいと思っている。
『ベールをとったイシス第1巻―科学上―』の本文を読む前に、訳者であるユング学者、老松氏によって書かれた「二重見当識のあわいで――訳者解説にかえて」を読み、編者ボリス・デ・ジルコフによる「前書きにかえて『ベールをとったイシス』はいかにして書かれたか」を読んでいるところだった。この前書き、後書きに相当する部分だけでも、それぞれが重厚味のある論文であるので、まずはこの二編の論文の感想を書いておきたい。
ブラヴァツキーの仕事の貴重さは今後、科学が進み、考古学の発見が重なるにつれ、その論文中に照らし合わせることのできる部分が増えていって、再認識されるようになっていくのではないだろうか?
現に――エッセネ派、初期キリスト教徒、グノーシスについて書かれた部分だけでも、今ではそれが可能かと思う。
訳された部分はまだ全体の4分の1で、わたしが現在知りたいことは『第2巻神学上』あたりに書かれていると思われ、完訳がとても待ち遠しい。
ヴァレス『子ども』を少し読んだ。ヴァレスの母親像には、バルザックの作品や書簡から想像される母親像や『にんじん』におけるジュール・ルナールの母親像と共通点がある。子育てに関する共通点だ。
ちなみに、これら三者の生年と没年はバルザック1799―1850、ヴァレス1832―1885、ルナール1864―1910である。
『子ども』を読むことで、当時のフランスにおける子育てがどんなものだったかを、知ることができそうだ。
三者に共通する被害者意識(母親の冷たさに対する)、鋭い観察眼、生き生きとした描写力。三者の感受性は壊れているどころか、限りなく豊かなところがわたしには一種の謎として迫ってきていて、『子ども』を読むことでそれが解明できるかどうかだ。
『フラウィウス・ヨセフス伝』のノートも続けたい。
創作と電子書籍と書評……時間の配分が難しく、自分で自分に課したノルマがたまっていく(ひーっ!)。
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