ガブリエラ・ミストラルの詩『ばらあど』(荒井正道訳)をご紹介
恋愛を甘美にするのは、厳しい自己抑制だということを、純文学は教えてくれる。
大学時代、わたしにとっては生涯のあの時期でなければ経験しえなかったと想われる激しい恋をした。相手と一つになりたい渇望は生理現象と見分けがつかず、死に物狂いで努力しなければ、理性の働く余地があまりにもなかった。
その男性は、わたしを一番相手にしてくれていたが、他の複数の女性とも関係があった。
彼は英語科で、わたしと同じ作家志望。大江健三郎とか武田泰淳といった肉体派の作家を師と仰いでいた時期だった。本来は誠実なタイプの人ではなかったかと思う。
わたしはあらゆる手段を尽くして彼につきまとった。
感情の抑制の効かないままに書き綴った数々の詩は部内の合評会で、自己愛の産物、牛の涎と評された。本当にそうだった。それは全く病的な恋愛感情であり、自己診断では依存症だったにも拘わらず、それが自分にも相手にもふさわしくない恋愛だと悟りきるまでには時間がかかった。
なぜそんなタイプの恋愛になったのだろう? 大好きだったのに、どこかで限界を感じていた――露骨な表現をとれば、いずれ厭きてしまいそうな気がしていた――ということが、恋愛の形態を現在形に限定し、直情的にしたのかもしれない。
わたしは自分から彼に別れを告げた。彼はわたしを引き寄せ、愛おしそうに「俺の女……」とつぶやいた。残念ながら、その言葉はわたしの胸を打たなかった。
当時、わたしの指標にも、心の支えにもなったのはガブリエル・ミストラルの『ばらあど』だった。わたしはこの詩を高校時代(中学時代だったか?)から知っていた。昨日、ミストラルに関する研究書を図書館から借り、恥ずかしながら当時のことをまざまざと思い出した。
失恋した女性の気持ちを格調高くうたいあげたミストラルの詩を通して、失恋こそ高貴な調べとなりうることをわたしは学んでいた。彼に別れを告げることは人生の終焉にも等しく想われたが、わたしの人生は当然ながら続いていった。まさしく、「いちめんにひろがる海をわたくしの血は染めなかった」だった。
およそ10年の後、風の便りで彼が円満な家庭生活を送っていると知った。まだ小説を書いているのだろうか? 読んでみたい気もするが、あのリアリズムに徹した――わたしには単調に感じられる――作風だったとしたら、やはり、さほど興味が持てないかも知れない。
よくも悪くも、わたしを唯一厭きさせない男性は今のところ夫だけだ。
創作は学生時代の趣味に終わった観のある夫だけれど、当時わたしが読んだ、髪の逆立った童子が真っ赤な口を開く怪奇譚の結末も、蟻と角砂糖を拡大鏡で観たような詩も、印象に濃い。それにしても、どちらも変な作品だった。
創作を応援し励ましてくれた彼と、わたしが書こうが書くまいが、どうでもよさそうな――いやむしろ、そんな時間があれば自分に構ってくれといいたげな――夫。まだ創作の初歩的段階にいたあの頃に彼ではなく夫に深入りしていたとしたら、ペースを乱されて、一生を書き貫くという創作姿勢を打ち立てることはできなかったかもしれない。あの頃のわたしには夫ではなく、彼が必要だったのだと思う。
夫は、大学時代のわたしの恋愛沙汰の一部始終をつぶさに見ていた。そして、定年も過ぎたというのに、夫は、自分があの男性と同じようには愛されていないと思い込んでいる節がある。
別のかたちの愛を求めて一緒になったというのに。未来も夢もある愛情を注いでいる――つもり――というのに。夫も同じ文芸部だったが、夫は当時も今も純文学を読まない。読んでくれていたらなあ、と思ってしまう。
つまらない話で記事を汚してしまった。
ガブリエル・ミストラルの詩『ばらあど』を、荒井正道訳で紹介したい。「世界の詩集 12 世界女流名詩集」(角川書店、昭和45年)より。
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ばらあど
ガブリエラ・ミストラル
荒井正道訳あのかたが ほかのひとと
行くのを見た
風はいつもあまく
道はいつもしずか
あのかたの行くのを見た この
あわれな目よ花園を行き あのかたは
そのひとを愛した
さんざしが開き
うたがゆく
花園を行き あのかたは
そのひとを愛した渚ちかく あのかたは
そのひとに接吻した
レモンの月が
波間で戯れた
いちめんにひろがる海を
わたくしの血は染めなかったあのかたは 永遠に
そのひとのそばにいる
あまい空があろう
(神は黙[もだ]したもう)
あのかたは 永遠に
そのひとのそばにいる
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