ママ友とおしゃべり
ママ友が互いに年を重ねて、婆友になるのもそう遠くない――そんな女友達に昨夜電話をした。
夫同士は、夫の前職での同僚であり(彼女のご主人はわたしと同学年)、わたしたちはその奥さんで、彼女は現在は福岡市に家を建てて共稼ぎをしているが、新婚時代から最初の子供ができてしばらくはスープの冷めない距離に住んで、毎日のように昼間はどちらかの家に一緒にいた。
一緒に妊婦を経験し、一緒にお乳をやり、一緒にお昼を食べてお昼寝し、一緒に料理の本を覗き込んで献立を考えて夕方「じゃあまた明日ね、バイバーイ!」と別れた。
転勤してからも家族ぐるみでよく会っていたため、息子は彼女の一家と親戚だと長く思い込んでいたという。
その彼女に、夫の再就職を報告する電話だった。
お猿さんで有名な公園の清掃は倍率が高くて落ちたというと、彼女は冗談と思ったのか「キャハハ……」と笑った。
「それが、笑い事じゃないのよ」とわたしはいった。それでも彼女はぴんと来ないようだったが、そういえば……といった。
知り合いのまだ三十代の男性がこちらで職が見つからず、宮城に行ったそうだ。震災に遭った宮城には傾いた住宅が沢山あって、そうした家々を修繕する仕事に就いているらしい。月に1回は帰省させて貰えるという。
「ねえ、4月からご主人のお給料が下がったんじゃない?」と訊くと、そうした――年のいった店長たちの給料を減額する――話が水面下で進行していたのは本当だが、士気が下がるという社長の言葉でとりやめになったのだそうだ。
前社長だと、恩情からそうした計らいになるところだろうが、現社長の場合は計算能力の高さからそうした結論が弾き出たというわけか。まあ年のいった店長たちにとっては、結果オーライだ。
「Nちゃんー、家のローンがもうきつくて、きつくて。わたし、すぐにでも仕事をやめたいくらいなのに」と、いつものようにわたしたちはお金の話に突入した。
「あら、残るものがあるからいいじゃないの。両方が働けるってのはいいわね。わたしはもうだめよー、体が壊れていて。主人が決まらなかったらと思うと、頭の中が真っ白になったの」とわたし。
彼女の家の場合、夫婦で夕飯作りを――1日交替で――し、家事全般を協力し合って行っているという。彼女のご主人は家事能力が高いことを、わたしも知っている。わたしは夫の就活中も後方部隊に徹したことや、退職後に時間のできた夫がいくらか家事に馴染んできたことなどを話した。
「今の夫の仕事は、定年後にはぴったりよ。勤務時間には無理がなくて、休日もゆとりがあるから、お給料はそれなりだけれどね。年に1回はボーナスも出るんですって。もう一つ、結果待ちのものがあるんだけれど、仮にそちらに上がったとしても、今のところを選ぶかもね。長く無理なく働けそうなのは、今のところだから。結果待ちのところは公的な機関の少し変わった仕事内容でね……」とわたし。
夫が受けてみたいといったので、面白い展開だと思い、わたしがネット検索をフル活用して参考書を手作りした。
合格するには受験勉強が必要だったが、それらしい参考書や問題集が書店には見当たらなかったのだ。夫にはポリテクの授業があり、求職活動が本格化してからは案外時間がなかった。
手作りの参考書――というと大袈裟になるが、参考文書類を編集したものに夫は感激してくれ、わたしも驚く熱心さで勉強していた。
ポリテクに行く前に数学の問題集をやり――必要なかったが――、それで長年の数学コンプレックスが解消されたらしく、夫は以来、見違えるように勉強好きになった。公文教室で働いていたとき、たまにそんな子がいたけれど……。
ただ、今回は時間が足りず、半分ちょっとしか覚えられなかったようだ。
今の仕事はまだかなり緊張するそうだが、慣れたらゆとりのある時間を利用して、何かしてみたいと夫はいう。
何か、というのが、健全なもので、お金があまりかからないことであれば、わたしは歓迎だ。
結婚以来、夫の好奇心とイエス・ノーの使い分けが下手なところに起因して、わたしは危機管理センターとならざるをえないことも多いが、創作に携わる普通の妻、たまにはまるごと女でいられれば嬉しい。
女友達とは、親や子供の話を含む諸々の話をしたあと、夏くらいに会おうということになった。
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