新しい児童文学作品の構想が二つ
前の記事で、ここ数日、過日仕上げた短編について考えていたと書いたが、それについてなおも考え続けた結果、それをモチーフとした作品の構想が浮かんだ。あるワンシーンが鮮明に――頭の中で――見えた。
テーマを追究するためには、200枚は書かなくてはなるまい。タイトルはAnとしておこう。作風はいわゆるファンタジーだが、伝統的手法で書きたい。
この段階ではいつもわくわくして、自分が自分ではなくなる。
わたしは魚座で、二匹の魚の尻尾を結び合わせたものがシンボルであるせいか、何かにつけて対になるもう一つが存在する。
今回も実はもう一編、作品の構想が具体化しかけた。それは児童文学作品Pの続編Aだ。
しかし、これはさらにもう一編の児童文学作品『不思議な接着剤』へとつながる歴史解釈を必要とするので、かなりの時間が必要だ。
……あら、もう嫌だわ。この段階では妙に生産的になってしまい、この記事を書きながら今度は『不思議な接着剤』とAの間を埋める、Aの続編K(にしておこう)のワンシーンがありありと――やはり頭の中で――見えた。
何てことだろう。たった今までAnを書くつもりでAを振り切ったのに、同じ引力でこのKがわたしを引き寄せようとする。
これも児童文学作品として書きたいが、歴史ミステリー的な作風となるだろう。
Kのワンシーンがあまりにもくっきりとしていて、衣装の色や辺りの景色、人物の物腰、空気の香りまでわかり、その姿を追いたくなった。追いかければ、確実に物語に入っていく。
だが、Anのワンシーンも絵画美に満ちていて、息が詰まるほどだ。
ああどっちも書きたい。でも、わたしには双子は育てられない。三人の子供の夢を見て、そのうちの二人にお乳を含ませている夢はこれだろうか。
興奮のためか、創作中本当にお乳が張ってくることがある(ほとんど閉経が完了しかけていて、こんなこと……)。
書かずに放置していると、ネグレクトされた子供さながらに、子供の姿をとった作品が暗いキッチンで泣いている夢を見たりするのだ。
これほど大興奮して書いた作品を賞に応募し、落選したら、今度はその子供が殺害された夢まで見なければならないのだから、創作がわたしは怖くなることがある。
早くプロになって本を出せるようになりたいのは、これ以上の殺生を犯したくないからなのだ。
彼の世では、こうした創造されたものたちも生きることができるそうだから(彼の世という所は、創造につながる空想がモノをいう世界であることを、神秘主義者であれば知っている)、これまでに喪われたわたしの創作の子供たちに、死後、彼の世で会えるだろうと思っている。
AnかKの一方を書いているうちに、もう一方の作品の生命力が損なわれてしまいそうだ。
どちらを書くか、しばらく考えよう(只今、興奮状態!)。
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