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2012年3月17日 (土)

メモ - ミヒャエル・エンデ著『モモ』

「瀕死の児童文学界」⑥ - (2)を書くためには、ミヒャエル・エンデ著『モモ』を読破しないわけにはいかないと思い、チャレンジした。

以前から、観念に肉付けしただけの、偏りのある異様な作品だと感じられ(短絡的すぎてついていけない作品と感じられ)、分析するために読んでしまわなければと思いながらも、読もうとすると、たちまち睡魔に襲われ……昨日もそう。しかし、今日は頑張った。が、疲労困憊して今日は書けそうにないので、簡単なメモだけ。

『モモ』でエンデのいう時間とは実はお金のことで、資本主義に対する批判の書だとか、マルクス主義批判ともいわれるが、そう読むとすれば要するに利子批判といってよいだろう(何て夢のないテーマだろう。経済システム批判なら、論文ですりゃいいじゃないか。第一お金ならお金と書け! 時間などと、いい換えるな!)。

  • NHK『エンデの遺言』放送後、日本各地で地域通貨ブーム。
  • 「オリーブの森で語り合う」
    これは、1980年代にエンデ、ドイツ社会民主党の政治家エプラー、演劇人テヒルによってローマクラブで行われた対談。

とすれば、ゼロ金利の日本はエンデの理想郷に近づいたというわけだろうか? 嫌でも、モモの友人たち――高齢のためにまともな仕事にありつけないペッポは定年後の職探しに苦慮している夫の姿に重なるし、作り話が特技でちゃんとした仕事についていないジジ――彼は若者だが――の姿は自分に重なる。そしてホームレスのモモのライフスタイルを手本とするような物語は、現在のわが家で読むと、恐怖小説以外の何ものでもない。

以下に、参考までにウィキペディアから抜粋しておく。

[引用 ここから]……
モモ (児童文学)
ウィキペディアの執筆者,2012,「モモ (児童文学)」『ウィキペディア日本語版』,(2012年3月18日取得,//ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A2%E3%83%A2_(%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%96%87%E5%AD%A6)&oldid=41167783).

モモ
MOMO
著者 ミヒャエル・エンデ
発行日 1973年
発行元 Thienemann Verlag Gmbh
国 ドイツ
言語 ドイツ語

『モモ』(Momo)は、1973年発表のドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学作品。

概要

1974年にドイツ児童文学賞を受賞した。各国で翻訳されている。特に日本では根強い人気があり、日本での発行部数は本国ドイツに次ぐ。

1986年に西ドイツ・イタリア制作により映画化された。映画にはエンデ自身が本人役で出演した。

あらすじ

イタリア・ローマを思わせるとある街に現れた「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれてしまい、皆の心から余裕が消えてしまう。しかし貧しくとも友人の話に耳を傾け、その人自身をとりもどさせてくれる不思議な力を持つ少女モモが、冒険のなかで奪われた時間を取り戻すというストーリー。

致死的退屈症

致死的退屈症(ちしてきたいくつしょう)とは、本作に登場する架空の病気である。この病気は精神的な症状が見られる。症状としては主に、慢性的な空虚感、抑鬱気分、絶望感、感情不安定、社会的関係への関心のなさ、情緒的な冷たさがある。

解釈

ストーリーには、忙しさの中で生きることの意味を忘れてしまった人々に対する警鐘が読み取れる。このモモという物語の中では灰色の男たちによって時間が奪われたという設定のため、多くの人々はこの物語は余裕を忘れた現代人に注意を促すことが目的であるとされている。しかし、エンデ本人が世の中に訴えたかったことは、この「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせることが目的だったという事が、のちに発行された『エンデの遺言』という書籍に記載されている。なお、この事に最初に気が付き、エンデ本人に確認を取ったのはドイツの経済学者、ヴェルナーオンケンであるとされる。
……[引用 ここまで]

岩波少年文庫版『モモ』の腰帯には、以下のように書かれている。

大人にも愛される永遠の名作
不思議な少女「モモ」が気付かせてくれる〈時間〉の大切さ

これは、こうなるわけだ。

大人にも愛される永遠の名作
不思議な少女「モモ」が気付かせてくれる〈お金〉の大切さ

お金を時間に置き換えることもそうだが、『モモ』にはこの種の重大な問題があると思う。言葉の置き換え、意味のすり替え。これについては丁寧に見ていく必要がある。特に分析の必要な箇所は以下。

頁106

頁85と頁119のフージ氏の比較。

頁110

頁113

頁217

「ここまでくると、もう病気は治る見込みがない」
過去の事実としていうなら別だが、どうしてそんなことがいえるのか?

この記事は単なるメモです。

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