瀕死の児童文学界 ④失われた40年間
昨夜、なぜか夫と三島事件について話していた。三島由紀夫を知らない人は少ないと思うが、若い人はどうだろうか。以下はWikipediaより。
[引用ここから]……
三島由紀夫
ウィキペディアの執筆者,2012,「三島由紀夫」『ウィキペディア日本語版』,(2012年2月12日取得,//ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB&oldid=40885711).三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家。
略歴
戦後の日本文学を代表する作家の一人である。晩年は、自衛隊に体験入学し、民兵組織「楯の会」を結成。右翼的な政治活動を行い、新右翼・民族派運動に大きなな影響を及ぼした。
代表作は小説に『仮面の告白』、『潮騒』、『金閣寺』、『鏡子の家』、『豊饒の海』四部作など。戯曲に『サド侯爵夫人』、『近代能楽集』などがある。批評家が様々に指摘するように、人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。
1970年11月25日、前年の憂国烈士・江藤小三郎の自決に触発され、 楯の会隊長として隊員4名共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現:防衛省本省)に東部方面総監を訪れ、その部屋で懇談中に突然日本刀を持って総監を監禁。その際に幕僚数名を負傷させ、部屋の前のバルコニーで演説しクーデターを促し、約一時間後に割腹自殺を遂げた。この一件は世間に大きな衝撃を与えた。
……[引用ここまで]
夫はその頃(1970年)、予備校生だったそうで、記憶が確からしいが、わたしは小6だったから、曖昧な記憶しかない。
切腹したあとの三島の首がごろんと転がっていた映像がニュースで一瞬だけ流れたそうで、夫はそれを見たという。
「その生首の目は開いていたの、閉じていたの?」と訊くと、「えっ、それはどうだったかな……」と夫。
介錯が下手だったために、首が立たなかったのだそうだ。
ググってみたら、いろいろと出て来た。
そういえば、九州芸術祭文学賞のパーティーで、福島次郎さんとお話しし、サインも貰ったのだった。大柄で、温和な、ぬいぐるみのクマさんみたいな人だという印象だった。
夫は三島に惹かれるところがあるみたいだが(尤も作品は大して読んでいないという)、わたしは三島の過度な技巧性と操り人形のような人物造形が苦手だ。いくつかのコンプレックスの上に精緻に構築されたようなあの美学も全くピンとこない。しかし、評論はすばらしいと思う。本来、学者肌だったんじゃないだろうか?
あの事件については、主張するところもわからないではないけれど、戦争に負けていながら、あの時期にあんなこといったって仕方ないじゃないかと思う。あの時期だったから、起きたことなのかもしれないが。
ただ、以下に、Wikipediaより抜粋した『果たし得ていない約束』の中の「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」という三島の予測は当たっている。
今や日本は資本主義経済の末期的症状を呈していて、それが社会構造のうちで一番デリケートな文化面、なかでも文学に顕著にあらわれていると思う。
[引用ここから]……
三島事件
ウィキペディアの執筆者,2012,「三島事件」『ウィキペディア日本語版』,(2012年2月12日取得,//ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=40649290).三島は、同年7月7日付のサンケイ新聞夕刊の戦後25周年企画「私の中の25年」に、『果たし得ていない約束』の題名で寄稿している。その中で、戦後民主主義を「偽善というおそるべきバチルス」と断言し、「それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来た」ことに負い目を感じていた、と告白する。そして、これまでの自分の作品は排泄物に過ぎず、「その結果賢明になることは断じてない」とまで言い切る。そして、文章の最後で「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」と日本の将来への絶望を吐露している。この文章は、実質的な『遺書』の一つとして、以降の三島研究や三島事件論において多く引用されている。
……[引用ここまで]
三島を起点にして考えると、それ以前と以後の日本の作家たちでは、作品もそうだが、その雰囲気、その表情、その目の輝きからしてまるで別物という感じがする。
三島が45歳という若さで亡くなったことを考えると、惜しい。文学賞の選考なども、どんどん務めてほしかった。そうすれば、日本の文学もここまで堕ちることはなかったのではないか? 老境に入るまで生きていればどう成熟していたかと思うと、まことに残念だ。
三島が亡くなってから40年余り。日本には、児童文学のすばらしい翻訳家が存在している。国内はもとより海外にも気軽に行ける時代になって、児童文学のメッカ、イギリスの児童文学作家にも劣らない児童文学作家が何人も出現していたって、おかしくはなかったはずだ。
だが、現実には三島以後の作家たちが作風も脳味噌も軽くなっていったように、児童文学の世界もそうなって、今やエンター系の作家たちが児童文学界を占拠している。
実は、3軒の児童文学系の出版社に電話で訊ねたとき、3軒とも、冒険物=エンター系との認識だとわかった。わたしが、「昔からの西洋の児童文学作品にあるような、しっかりとした文体と内容的な深みを持った冒険物もありますよね? そうしたものは、現在の日本で主流となっているエンター系の冒険物とはまるで違うように思えるのですが……」というと、通じた。純文系といわずに、岩波少年文庫に入っているような――といえば、わかりやすかったのかもしれない。
純文だのエンターだのという分類法は旧いという考えかたは、エンター系の側から発生してきたものではないかと思う。わたしの記憶する限りでは村上春樹に伴う現象だった。
だが、その区別は本来優劣をつけるためのものではなく、スタイル、流儀の違いから発生するものなのではないだろうか。書店勤めの娘は、最近は純文学とエンター系がごっちゃになっている出版社の本もあり、お客様に問い合わせを受けたときとか、説明をするときに困ることがあるという。
音楽のジャンルを見ればわかるだろう。CDコーナーへ行き、全部がごっちゃになっていると、探しにくいこと甚だしい。
もしデビューの手段がほぼ賞に限られるのであれば、受賞作品がエンター系タイプのものばかり……というのはおかしい(わたしにはそう見える)。今回のことでわたしは、日本の児童文学界ではなぜエンター系の作家しか育たなくなったのかの回答を見つけた気がした。
わたしは、児童物の読者としては純文系もエンター系も知育系も、皆、好きだ。だからこそ、各ジャンルの作品が均衡を保ちつつ、影響し合い、刺激し合って、広大な、壮大な世界をつくってほしいのだ。
日本の文学は、スーパーマーケットでいえば、お菓子とお酒ばかりが所狭しと置かれたような状態ではないかと思う。片隅に海外コーナーと復刻コーナーがあって、そこには米、パン、生鮮食品……といった食材がかろうじて置かれている。
お菓子とお酒が大量生産されればされるほど、質は落ちて行くばかり。大勢の子供たちがお菓子だけを食べている。中にはお酒を飲んでいる子供もいる。そんな異常な光景を見るようで、わたしは心底戦慄を覚えたのだった。
三島は、もう手遅れだと思ったからこそ、あそこまで行動がエスカレートせざるをえなかったのだろう。有名な作家だったから、その影響には大きなものがあった。彼が生き抜いて、日本の問題点を指摘し続け、彼の主張をより優れたものにして、海外に向けても発言してくれていたらと思うと、本当に残念だ。
わたしにはほとんど何の力もない。ブログで小さく叫ぶだけが精一杯で、プロでないどころか、この先書き続けられるかどうかさえ、わからない。だが、少なくとも、今のところは諦めるつもりはない。三島とは違って、今は完成度の低い、貧弱な作品しか書けていないかもしれないが、作品の霊はミューズからいただくものなので、現段階でも、自分の作品を排泄物だなんて、思わない。
国語力さえあれば、文学作品は独学で書けるものだとわたしは思っている。大人の純文学の修業で(こちらも修業中)、いくつかのよい出会いがあったが、適切な指導者はそう簡単に見つかるものではない。下手な指導を受けると、どうなるだろうか。
子供の頃、わたしはピアノでハイ・フィンガー奏法という不自然な奏法を習ったために、すっかりピアノ嫌いになってしまった。またわたしが詩人と呼んでいる女友達が以前、詩の教室に通ったことがあって、そこでどれほど滑稽な添削を受けたことか……。
何万円も出してジャンル違いの指導を受けるくらいなら、世界の児童文学全集を古書店からでも手に入れるほうがまだしもためになる。優れた作家の作品を筆写することは、絶対にためになる。これは大人の純文学の修業で同人誌の編集者から教わったやりかただが、おすすめ。
ここで時間を置くが、独学のためのよい参考書を探してみたいと思う。既に手元に何冊かあるのだが、それらを吟味するためと、他によいものがないか、調査するための時間が要る。
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