詩人、行織沢子の死 ④永遠に残るもの
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- 詩人、行織沢子の死 ③母代わり?
- 詩人、行織沢子の死 ④永遠に残るもの
昨年の梅雨どきから今年にかけて、生活不安や世に出たい願望から、賞狙いに明け暮れていた。
馬鹿だった。
その行為は何の実りももたらさなかったどころか、わたしが詩人と呼んだ女友達との最晩年の交友に制限を加えた。
そんなことさえしていなければ、もっと長い手紙やメールを書いただろうし(彼女はそうしたものを好む人だった)、電話ももっとかけただろう。
博多に出かける機会もあったというのに、作品のことで頭がいっぱいで、連絡する気持ちのゆとりもなかったのだ。
突然死だったという。
起床が遅いので部屋に行ってみたら、既に亡くなっていたそうだ。
救急車を呼んだけれど、病院では死を確認できただけだったという。
原因が脳だったのか、心臓だったのか、それ以外だったのか、知りたいと思ったが、さすがにこちらからは訊けなかった。
優しい、穏やかな死に顔だったと聞き、本当によかったと思った。
それを伝えるお父様のお声の調子も優しく、穏やかで、その最後のお顔に想いを馳せていらっしゃるような、何だか詩のようにも聞こえた。
「あなたに申し訳ないような気がしてね……」ともおっしゃったが、「申し訳ないだなんて、そんなことはありません」と応えるばかり。
敏感なはずのわたしは、彼女の死の予兆も、死後の訪問も、何も感じなかった。
統合失調症の病状が悪いとき、彼女は突発的に電話やメールをよこす傾向があり、自分では制御できないらしかった。
そのため、調子がいいときは極力連絡を控える癖があった。調子のよいときの連絡は大歓迎だったのだが……。
死んで彼女は本来の自分をとり戻し、快適な状態になっていたに違いない。そう、調子がよかったからこそ、訪問を控えたということも、彼女の性向からすれば、ありうる。
そういえば、彼女に神秘主義的な話をしたことは、ほとんどなかった。そもそもわたしは、家族を除けば、ほぼ話さない。
ブログのことは話していなかったし、神秘主義的な傾向の作品は見せなかったから、わたしが死について神秘主義的な考察を重ねていることなど、彼女は知らなかっただろう。
彼女はこんな話題を好まないような気がした。神秘主義的な話題が病気に障ったらいけないという警戒心も働いた――というより、話したいという欲求をおぼえなかったから、話さなかっただけだ。
ブログではおおっぴらに書いているけれど、本来神秘主義は人を選ぶのだ。適性を欠いた人に話しても意味がないばかりか有害ですらあるから。
だから、こうした話題が嫌いな人には本当はわたしのブログには来てほしくない。わたしがその人を好きか嫌いかということとは、また別の問題なのだ。両親や妹にすら話さなかった。今の家族に話すのは、話せるムードがあるから話している。概ね客観的に聞いてくれる。
彼の世へ行くまでの1週間、死者はこの世で透明人間状態となって過ごすことができるようだ。
[註 ここから]……
尤も、H・Pブラヴァツキーは『神智学の鍵』で、死後2、3日の間といっている。カバラの『ゾハル』には7日間とある。
自身の体験から、この点に関して――少なくとも現時点では――、わたしはカバラの説をとっている。
ブラヴァツキーのいうことが信用できないということでは、決してない。ただ彼女は、一般公開するには早いと思われる事柄については、アレンジを加えたり、ぼかしたりした形跡があるので、信仰書的に一言一句を信じるということはわたしはしていない(たとえば、人間の7本質に関することがそうだ。オーリック・エッグについては、神智学協会内部に形成された秘教部門にだけ伝えられた事柄だった。現在では一般公開されている)。
……[註 ここまで]
わたしを訪問した人々は全員、ほんの少し前まで最悪の身体状況にあったとは思えないくらい、軽やかで自由な印象だった。
風船みたいに空中に浮かんだり、瞬間移動もできるようになるらしい。
聴覚、視覚、嗅覚は確実に残っているようだ。
といっても、肉体は機能を完全に喪失していたり、焼かれたりしているはずだから、それは霊的な機能なのだろう。
訪問者に心で話しかけると、大抵通じるが、わたしも自分ではまだこのことに確信がなくて、狂気の沙汰と思ったりしているので、本当にスムーズにコミュニケーションがとれたのは1人の男性とだけだ。
彼は斎場からついて来たが、礼儀正しい男性だったので、別に嫌ではなかった。心の中で嫌といえば、来なかっただろう。
旅行を楽しんでいる様子だった。
わたしが死者に応答できるかどうかを疑ってもいないみたいに、町の地理や人口について訊いてきたりした。
風船みたいに浮かんでみせたのは、この人だ。
わたしには姿は見えなかったのだが、彼の意識がふいに高いところに移った気がしたので、「風船みたいに浮かんでいるの?」と心の中でつぶやくと、愉快そうな弾けるような――肉の耳には聞こえない――笑いが、屋根の高さくらいのところから返ってきたのだった。
彼は短期間に様々な情報をもたらしてくれたので、それについてはいずれ書きたいと思っている。
彼は、彼の世に行ってからは沈黙している。
神智学の女の先生が高齢で亡くなったとき、あれほど動転していず、自分の感覚を疑いすぎていなければ、有意義な対話ができていただろうにと残念だ。
死後の貴重な時間を割いて、何度も来てくださったというのに。
先生は生前まめに文通なさるかただったが、17年経った今も、空間に青や金や銀の宝石のように輝く光のかたちで、彼の世からお手紙をくださっている。
つい数日前にも、届いた。
女友達は亡くなって自分をとり戻し、悦びを覚えると同時に、この世での出来事を整理する必要を覚えただろう。
彼女はずっと創作に執着を持っていたが(新年のメールにも作品のことが書かれていた)、大学時代以降は、思うように書けないジレンマの中にいた。
だが、死んでしまった今は、作品を残す残さないに、そう大きな違いなどないと、気づいただろう。
ミューズに捧げる作品を書くより、ミューズの構成要素となることのほうが本質的なことだと。
彼女が、この世という教室で難しい授業を真摯に受け、自身の霊の高級な器官に貴重な蜜(エッセンス)を蓄えたことは間違いない。
その神聖なエッセンスこそが、永遠に残るものだとわたしは教わった。
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